Adriano da Castellesi

アドリアーノ・ダ・カステッレジ

生没:1458年頃~1521年12月/1522年1月
出身:コルネート
在位:枢機卿 1503年5月31日~1521年12月/1522年1月
       任命した教皇:アレクサンデル6世

概要

 アドリアーノ・ダ・カステッレジは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。
 教皇アレクサンデル6世の死とチェーザレ・ボルジアの重病とが時を同じくしたことに関して、彼らがコルネート枢機卿のために作った毒を誤って飲んだという噂がある。

年表

1458年頃
コルネートにて、生。
14??年
教会首席書記官。
1489年~1514年
イングランドのサン・ピエトロの寄進徴収官に任命される。
1490年
イングランドとスコットランドの和平を取り持つため、インノケンティウス8世によりイングランドへ派遣される。ヘンリー7世の信頼を得る。
149?年
ローマ到着。
アレクサンデル6世の教皇の間付き事務官、秘書官に任命される。
1498年6月4日
新フランス王ルイ12世への教皇の祝辞を持参するため、ドゥブロヴニク大司教ジョヴァンニ・サッコを筆頭とする教皇特使団の一員として、ローマ出発。
1500年
教会財務官。
150?年
教皇庁駐在イングランド大使。
150?年
イングランド王ヘンリー7世の要請により、司教位に叙階される。
1502年2月14日~1504年8月2日
ヘレフォード司教に選出される。聖別については不明。
1503年5月31日
枢機卿会議にて、司祭枢機卿に列せられる。
1503年6月2日
司祭枢機卿を公表される。
1503年6月12日
サン・クリゾーゴノ司祭枢機卿の称号を受け取る。
1503年8月5日
別荘にて晩餐会を開き、アレクサンデル6世チェーザレ・ボルジアを招待する。
1503年8月
アレクサンデル6世が病床に就いた12日以前に、アドリアーノ・ダ・カステッレジが病に倒れる。
1503年8月18日(金)
アレクサンデル6世、死。
1503年8月
アレクサンデル6世を、おそらく誤って、毒殺したとして糾弾される。

別表記

 コルネート・アドリアーノ・ダ・カステッレージ、カステッリ・コルネート枢機卿、ハドリアヌス枢機卿、ダ・コルネート、Corneto Adriano da CastellesiAdriano CastelliAdrian

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『ローマ教皇検死録』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2006年10月25日以前
枢機卿
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで