
- 生没
- ?~1467年以降
- 父
- ヤコポ・アッチャイウオリ
- 妻
- サラチーナ・ジャコミーニ・テバルドゥッチ
- 子
- ヤコポ・アッチャイウオリ
ロレンツォ・アッチャイウオリ
ニッコロ・アッチャイウオリ
ヤコポ・アッチャイウオリ
ネリ・アッチャイウオリ
ヤコポ・アッチャイウオリ
ラッファエーレ・アッチャイウオリ
タンチア・アッチャイウオリ
ラウドミア・アッチャイウオリ
概要
アニョーロ・アッチャイウオリは、イタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
祖父のドナート・アッチャイウオリよりカッサーノ男爵位を相続するが、ナポリ王国内の彼の領地は1467年に没収される。
外交官としての経歴はナポリより始まり、1415年、ジョヴァンナ2世・ダンジオより騎士の称号を授与される。
その後、先祖代々の地であるフィレンツェに引っ越し、フィレンツェにおいても騎士の称号を授与される。ヴェネツィア、ルッカ、フェッラーラ、教皇庁などの地へ派遣される。
1451年5月初め頃に発足した、ヴェネツィアとアルフォンソ5世・デ・アラゴンらの同盟に対抗するための十人委員会に、コシモ・イル・ヴェッキオ、ネリ・カッポーニ、ルカ・ディ・マーゾ・デリ・アルビッツィらと共に選ばれる。
1452年10月、フィレンツェは、使節として彼をシャルル7世の元に送り、ルネ・ダンジュー軍のイタリア派遣を要請して受諾される。
このようにメディチ支配下で指導的地位を占めていたフィレンツェの有力者であったが、ルカ・ピッティ、ディエティサルヴィ・ネローニ、ニッコロ・ソデリーニらと共に、ピッティ陰謀事件に加担したことにより、失脚。息子たちと共にバーリ近郊Barlettaへ、20年間追放の処分を受ける。
在位
カッサーノ男爵 ~1467年
先代:ヤコポ・アッチャイウオリ
正義の旗手 1448年11月~12月、1454年
年表
別表記
アニョロ・アッチャイウオリ、アニョーロ・アッチァイウォーリ、Angelo Acciaioli di Cassano
関連項目
外部リンク
Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
Wikipedia
参考文献
『メディチ家』
『メディチ家の人びと』
『フィレンツェ史』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
記載日
2006年9月12日以前