——Alessandro Farnese——
アレッサンドロ・ファルネーゼ
生没年:1545年~1592年
在位:ネーデルラント総督 1578年~1586年
   パルマ公 1586年9月15日~1592年12月3日
    先代:オッタヴィオ・ファルネーゼ
   ピアチェンツァ公 1586年~1592年
父:オッタヴィオ・ファルネーゼ
母:マルゲリータ・ディ・パルマ
子:マルゲリータ・ファルネーゼ
記載日:2006年10月27日以前

年表
 1573年11月17日 1572年フェリペ2世によりネーデルラント総督に任命されたミラノ総督Luis de Requesens y Zúñiga(1528年~1576年)、この日ブリュッセルに到着。以後、騒乱対策委員会(血の法廷:1567年~)を廃止するなど、Fernando Álvares de Toledoの強圧策に代えて融和策を実施(在位~1576年)。
            以後、融和主義者Luis de Requesens y Zúñigaの死(1576年3月)後のフェリペ2世軍の暴虐に抗してネーデルラント南北両部諸州、1576年11月8日平和協定を結んで団結(ヘントの和約)したものの、南部諸州は後任総督・(前摂政マルゲリータ・ディ・パルマの子)アレッサンドロ・ファルネーゼ(1545年~1592年:ネーデルラント総督在位1578年~1586年:パルマ・ピアチェンツァ公在位1586年~1592年)の工作に乗って、1579年1月6日フェリペ2世とカトリック擁護・フェリペ2世への服従を約定し(アラス同盟)、これに対して北部7州が1579年1月23日スペインへの抵抗を約定し(ユトレヒト同盟)、ネーデルラントは南北に分裂。
            さらに北部7州は、1581年7月26日フェリペ2世への服従拒否・スペインからの独立を宣言し、ネーデルラント共和国(オランダ共和国)を創立。1648年10月国際的に承認される(ヴェストファーレン条約)。

外部リンク
 ウィキペディア
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Treccani.it

参考文献
 『愛の年代記』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
ファルネーゼ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで