アルフォンソ・ダラゴーナ

Alfonso d'Aragona

アルフォンソ・ダラゴーナ

生没年:1481年~1500年8月18日
出身:ナポリ王国
没地:ローマ
在位:ビシェリエ公 ~1500年8月18日
   サレルノの君主 1485年~1500年8月18日
    先代;アントネッロ・サンセヴェリーノ
    次代;ロベルト2世・サンセヴェリーノ
父:アルフォンソ2世・ダラゴーナ
母:トルージア・ガッツェッラ
妻:ルクレツィア・ボルジア
子:ロドリゴ・ダラゴーナ

概要

 ルクレツィア・ボルジアの2番目の夫。ナポリとの関係を断とうとするチェーザレ・ボルジアに暗殺される。

性格

 温和。

容姿

 際立った美貌。

年表

1498年6月20日
ルクレツィア・ボルジアとの結婚が取り決められる。
1498年7月半ば
ローマに到着。
1498年7月21日
ルクレツィア・ボルジアとの結婚式が行われる。列席者は、アスカーニオ・マリーア・スフォルツァフアン・ロペスフアン・ランソル・イ・ボルハフアン・マラデス司教。スペイン人隊長フアン・セルヴィロンが、儀式の間中、抜き放った剣を新郎新婦の頭上に捧げる。祝宴が始まり、チェーザレ・ボルジアの手勢の者とサンチャ・ダラゴーナの手勢の者の間で、ヴァティカン宮殿へ入るに際して席順のことで派手な争いが起きる。その後の舞踏や余興の出し物は明け方まで続く。チェーザレ・ボルジアが、純粋と誠実のシンボルである一角獣に扮して再度姿を現す。アレクサンデル6世も「若者の所作」をする。
1499年8月2日
朝、ローマを逃亡し、ジャナッツァーノのコロンナ家を頼る。
教皇アレクサンデル6世の放った騎兵に追跡されるが、逃れる。
1499年
ジャナッツァーノにて妻ルクレツィア・ボルジア宛てに手紙をしたためる。自分のもとに来てほしいと懇請。
この手紙はアレクサンデル6世の手に渡ってしまう。
1499年
ローマ市内には入らずにフォリーニョを通って、ルクレツィア・ボルジアのいるスポレートに向かい、妻を連れてネピに行くようアレクサンデル6世に命じられる。
1499年9月
9月半ば少し過ぎにフェッランテ・ダラゴーナのかつての寵臣であったピニャテッリ家の1人と共にナポリを出立。
1499年9月19日
夕刻、スポレート到着。
1500年7月15日
アレクサンデル6世ルクレツィア・ボルジア、姉サンチャ・ダラゴーナとのヴァティカン宮殿での晩餐会の後、夕刻19時、トンマーゾ・アルバネーゼと馬丁の2人を従え、「祝福のロッジア」の下に設けられた門をくぐって、サンタ・マリア・イン・ポルティコ宮殿へ向かう。サン・ピエトロ広場に出ようとするところを、サン・ピエトロ大聖堂の階段に寝ているふりをしていたチェーザレ・ボルジアの配下の者たちに襲われ、頭と右腕と腿を切り付けられて重傷を負うが、馬丁が助けを呼び、トンマーゾ・アルバネーゼが戦って、ヴァティカン宮殿に逃れる。
1500年7月16日
早朝、ヴィンチェンツォ・コッリの小姓バボイーノが、サン・ピエトロ広場で、トンマーゾ・アルバネーゼの引き裂かれたマントと、アルフォンソ・ダラゴーナの服からちぎり取られた金の刺繍を拾う。トンマーゾ・アルバネーゼは、ヴィンチェンツォ・コッリの家に避難し、傷の手当てを受けていた。
1500年7月
16人の教皇の衛兵が守る巫女の間に移され、手当てを受ける。フェデリーコ・ダラゴーナから派遣されたナポリの高名な医師であるガリアーノ・デ・アンナとクレメンテ・ガクトゥーラ、叔父ジョヴァンニ・マリーア・ガッツェッラが到着。
1500年8月18日
12時、ヴァティカン宮殿で、チェーザレ・ボルジアの命を受けたミケーレ・ダ・コレーリアを指揮者とする一部隊が、コロンナ家の支援の下にボルジア家に対して企てた陰謀の責任を取らせるべく、医師ガリアーノ・デ・アンナとクレメンテ・ガクトゥーラと召使の背むし男を逮捕。ルクレツィア・ボルジアサンチャ・ダラゴーナミケーレ・ダ・コレーリアにその理由を詰問し、アレクサンデル6世に回答を求めるよう言われ、2人はその場を離れる。その間殺され、教皇の間から戻ってきたルクレツィア・ボルジアサンチャ・ダラゴーナに、ミケーレ・ダ・コレーリアはベッドから落ちてそれが致命的な出血の原因になったなどと説明し、死者に会わせることを拒否。
18時、フランチェスコ・ボルジアが執り行った質素な葬儀が行われるが、ルクレツィア・ボルジアサンチャ・ダラゴーナは参列を認められず。サン・ピエトロ大聖堂の隣のサンタ・マリア・デッレ・フェッブリ教会(現サン・ピエトロ大聖堂聖具室)に埋葬される。
逮捕されたガリアーノ・デ・アンナとクレメンテ・ガクトゥーラと背むし男は、サンタンジェロ城で尋問され、無罪として釈放される。

チェーザレ・ボルジア数

 妻ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
 きょうだいサンチャ・ダラゴーナ→夫ホフレ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
 きょうだいフェッランディーノ・ダラゴーナ→妻ジョヴァンナ・ダラゴーナ→母フアナ・ダラゴーナ→母フアナ・エンリケス→きょうだいエンリケ・エンリケス→子マリーア・エンリケス→夫フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 ドン・アルフォンソ

外部リンク

 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 THE BORGIAS wiki
 Wikipedia

参考文献

 『世界悪女大全』
 『世界大百科事典』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2006年10月27日以前
トラスタマラ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで