——Anne Boleyn——
アン・ブーリン
生没年:1507年頃〜1536年5月19日
父:トマス・ブーリン
夫:ヘンリー8世
子:エリザベス1世
記載日:2006年10月27日以前

年表
 1532年10月20日〜10月29日 アン・ブーリン(1507年頃〜1536年)やトマス・クロムウェルを伴ったヘンリー8世フランソワ1世は、ブーローニュとCalaisで会見。カール5世に対する防衛同盟を確認しクレメンス7世をそれに引き入れることで合意すると共にヘンリー8世の婚姻無効問題について協議。
 1533年1月25日 この日頃ヘンリー8世は、かねて望んできたアン・ブーリンと秘密裡に結婚。
 1533年5月28日 Thomas Crannerヘンリー8世アン・ブーリンの結婚は完全に合法的な婚姻だと宣言。
 1533年6月1日 アン・ブーリンのイングランド王妃戴冠式、ウェストミンスター修道院で行われる。
 1533年7月11日 クレメンス7世ヘンリー8世アン・ブーリンとの結婚を無効と宣言すると共に、カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻は依然として有効であり、1533年9月までに彼女を正妻と認めなければその時をもって破門に処すと宣言。
 1533年9月7日 アン・ブーリン、女子エリザベス(1533年〜1603年:在位1558年〜1603年)を出産。長年、正統後継男子を望んできたヘンリー8世は、女子の誕生に落胆。
 1534年3月23日 「宗教改革議会」、ヘンリー8世カテリーナ・ダラゴーナの子メアリー1世を非正統とし、アン・ブーリンとの子エリザベスを正統な王位継承者と認めると共に、この継承者に反対する者を反逆罪に問い、かつこの「内容と効果を支持する」誓約を義務付けることを定めた「王位継承法」を可決。
 1536年1月7日 婚姻無効宣言を下された(1533年)後も王妃の称号と権利の放棄を認めず軟禁状態に置かれていたカテリーナ・ダラゴーナ、失意の内に病(?)死(1485年〜)。
           これによりカール5世への対応の自由を得たヘンリー8世の心、この頃すでに現王妃アン・ブーリンを離れ、宮廷の女性Jane Seymour(1509年頃〜1537年)に傾く。これをアラゴン家系貴族など反ブーリン家派、裏面から助長。
 1536年5月2日 ヘンリー8世Thomas Cromwellらの陰謀に乗り、幾重もの姦通と近親相姦が証明されたとしてこの日アン・ブーリンをロンドン塔に幽閉し、1536年5月18日斬首させる(1507年頃〜)。1536年5月19日Jane Seymourと婚約し、1536年5月30日結婚。

別表記
 アン・ブリン、アン・ブーレン、アンナ・ボレーナ

外部リンク
 ウィキペディア
 Famille de Carné
 Find A Grave

参考文献
 『新世紀ビジュアル大辞典』
 『世界大百科事典』
 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『ルネサンスの歴史』
 『世界悪女大全』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『西洋拷問刑罰史』
 『ルネサンスの華』
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで