——Antonino Pierozzi——
アントニーノ・ピエロッツィ
生没年:1389年3月1日~1459年5月2日
出身:フィレンツェ
没地:モントゥーギ
在位:ドミニコ会総長 1433年~1443年
   フィレンツェ大司教 1446年~1459年5月2日
列聖:1523年 聖アントニヌス
記載日:2011年10月21日

年表
1437年
コジモ・イル・ヴェッキオの大きな協力を得てサン・マルコ修道院の修築を始める。
1444年
アントニーノ・ピエロッツィは、コジモ・イル・ヴェッキオの莫大な財政的支援の下、コジモ・イル・ヴェッキオが指定し雇ったミケロッツォ(1396年~)の設計、指揮により、サン・マルコ修道院・聖堂を再建。
1458年7月2日~7月31日
メディチ家に対抗心を燃やしながらもコジモ・イル・ヴェッキオの威勢に服しているルカ・ピッティは、1458年7月~8月の正義の旗手に就くや直ちに共和政の事実上の変改を試み続けるがジローラモ・マキャヴェリらの強い反対で斥けられる。
この間、かねてからコジモ・イル・ヴェッキオの莫大な財政的支援を受けてきたサン・マルコ修道院のアントニーノ・ピエロッツィは、敢然として自ら筆を取って国法遵守誓約違反及び共和政変改を非難する文書を書き、主要教会に張り出す。
1459年5月2日
ドミニコ会総長(1433年~1444年)でこの年までにSumma teologiae(別名Summa moralis:(倫理)神学大全)を完成させた(1440年~)アントニーノ・ピエロッツィ、フィレンツェで死(1389年~)。(1523年聖人に列せされ、Sant'Antoninoと通称される)
1477年
アントニーノ・ピエロッツィの遺作Summa teologiae(別名Summa moralis:(倫理)神学大全)、ヴェネツィアとドイツ・シュパイアーで刊。以後15年の間にこの作、ヴェネツィアで次々と版を重ねた他スイス・バーゼルでも版を重ねて刊。
1484年
アントニーノ・ピエロッツィの遺作Chronicon(年代記(別名Summa historialis:歴史大全)、ニュルンベルクで刊。以後この作、1491年バーゼルで刊の他1517年以降リヨンで版を重ねて刊。

外部リンク
 Catholic Encyclopedia
 EWTN
 GCatholic.com
 Saints.SQPN.com
 Wikipedia

参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
聖職者
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで