Antonio Maria Ordelaffi

アントーニオ・マリーア・オルデラッフィ

生没:1460年5月3日~1504年2月6日
没地:フォルリ
在位:フォルリ領主 1503年10月22日~1504年2月6日
父:フランチェスコ4世・オルデラッフィ
母:エリザベッタ・マンフレディ

概要

 アントーニオ・マリーア・オルデラッフィは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

年表

1460年5月3日
生。
146?年
フォルリのサン・メルクリアーレ修道院にて、ラティーノ・オルシーニ枢機卿とバルトロメオ・コッレオーニを代父として、洗礼を受ける。
1466年
おじピーノ3世・オルデラッフィにより、父フランチェスコ4世・オルデラッフィ、母エリザベッタ・マンフレディと共に監禁される。
1466年4月22日
父フランチェスコ4世・オルデラッフィ、死。
1469年4月
エリザベッタ・マンフレディと兄弟たちと共に、ファエンツァへ逃亡。
1477年12月
母方のおじカルロ2世・マンフレディファエンツァガレオット・マンフレディに奪われたため、カルロ2世・マンフレディについてフェッラーラに向かう。
親族と共にファーノに行く。
1477年
ナポリ王に雇われる。
1480年2月10日
ピーノ3世・オルデラッフィ、死。
1480年
シニバルド2世・オルデラッフィの継母ルクレツィア・ピコによる摂政政治に不満を持つフォルリにより呼ばれ、兄弟フランチェスコ・オルデラッフィらと共にナポリ王国を出発。
ファーノ到着。
故フランチェスコ4世・オルデラッフィの支援者たちに説得され、モディリアーナ到着。
フォルリで、アントーニオ・マリーア・オルデラッフィ支持者たちによる反乱発生。
おじガレオット・マンフレディから軍の支援を受け、フォルリに入り、ラヴァルディーノ城を攻撃。
しかし、教皇シクストゥス4世によりフォルリは取り上げられ、ジローラモ・リアリオに与えられる。
フォルリ出発。
フィレンツェ共和国に雇われ、ヴェネツィア共和国と教皇軍に対し戦う。
1482年
マンフレディ家の支援を得て、数回フォルリ奪還を試みるも失敗。
1503年9月
ラヴェンナにて、教皇アレクサンデル6世の死の知らせを受ける。
1503年10月
モラッティーニ家の支援を得て、フォルリ領内に入る。
カストロカーロに行き、要塞をフィレンツェ共和国に売却し1万フィオリーノを得る。
ローマに使節を送り、正式にフォルリを授与するよう教皇ピウス3世に求めるが、拒絶される。
1503年10月18日
教皇ピウス3世、死。
1503年10月22日
フィレンツェ共和国の支援を得て、騎馬弩兵25と多勢の市民を率いてフォルリに入り、領主を名乗る。
1503年10月
ヴェネツィア共和国に支援を求めるが、拒否される。
1503年11月
フォルリの領主として認められるよう、新教皇ユリウス2世に大使を送る。
1504年2月6日
フォルリにて、死。異母兄弟ルドヴィーコ2世・オルデラッフィが相続。

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Wikipedia

記載日

 2018年11月19日