——Bayazit II——
バヤジット2世
生没年:1447年頃〜1512年
在位:スルタン 1481年〜1512年
    先代:マホメッド2世
    次代:セリム1世
父:マホメッド2世
子:セリム1世
記載日:2005年5月29日以前

年表
 1481年5月3日 マホメッド2世、死。子バヤジット2世(1447年頃〜1512年)、オスマン・トルコのスルタンとなる(在位1481年〜1512年)。
           バヤジット2世と弟ジェーム(1459年〜1495年)との激しい後継争いのため弱体化したオトラントのオスマン・トルコ陣営を、未だその原因を知らぬカラブリア公アルフォンソ2世・ダラゴーナ軍・教皇軍、ジェノヴァ軍、激しく攻撃し始める。
 1499年夏〜10月 ルドヴィーコ・イル・モーロ、ヴェネツィアを牽制するためオスマン・トルコのスルタンバヤジット2世にヴェネツィア攻撃を勧奨。バヤジット2世軍は、ヴェネツィア領を攻撃し(〜1503年)、1499年8月下旬レパントを、1499年10月フリウーリを占領。
 1503年8月 ヴェネツィアとオスマン・トルコ、戦闘を中止し和約(1499年〜)。この和約によってヴェネツィアはギリシア諸領を放棄し、イタリア人はレヴァント貿易を全て失う。
 1512年4月 オスマン・トルコのスルタンバヤジット2世は、子セリム1世(1470年〜1520年:在位1512年〜1520年)にその位を奪われ、さらにそのセリム1世に1512年5月26日殺害される。

別表記
 トルコ皇帝バヤジト2世、バジャゼット、Bayazi'd II, BaisetoBayezitBajazet

外部リンク
 ウィキペディア

参考文献
 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『マキァヴェッリ 忘恩、運命、野心、好機』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの華』
 『ローマ教皇検死録』
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで