Bianca Maria Visconti

ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ

生没:1425年3月31日~1468年10月28日
父:フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ
母:アニェーゼ・デル・マイーノ
夫:フランチェスコ1世・スフォルツァ
子:ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ
  イッポーリタ・スフォルツァ
  フィリッポ・マリーア・スフォルツァ
  スフォルツァ・マリーア・スフォルツァ
  ルドヴィーコ・イル・モーロ
  アスカーニオ・マリーア・スフォルツァ
  オッタヴィアーノ・マリーア・スフォルツァ

概要

 ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティは、15世紀のイタリアの女性。

年表

1425年3月31日
誕生。
1432年2月23日
フランチェスコ1世・スフォルツァとの婚約が決まる。
1441年10月25日
フランチェスコ1世・スフォルツァと結婚。
1450年3月25日
フランチェスコ1世・スフォルツァ、妻ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ、子ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ(1444年~1476年:ミラノ公在位1466年~1476年)及び弟、ペーザロの君主アレッサンドロ・スフォルツァ(1409年~1473年:在位1445年~1473年)を伴い、改めてミラノに入城。市民の大歓声の中、正式にミラノ公位に就く(在位~1466年)。
この就任式典に、フランチェスコ1世・スフォルツァを支援してきたフィレンツェを初め、ヴェネツィアとアルフォンソ5世・ダラゴーナを除くイタリアの主な都市、君侯の祝賀使節が参列。
ヴェネツィア・フィレンツェ同盟、事実上、破れ(1425年~)、両国は同盟関係の全面的転換を図る。
1468年10月28日
没。

肖像

 ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティの肖像
 ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティの肖像

チェーザレ・ボルジア数

 父フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ→きょうだいヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
 父フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ→母カテリーナ・ヴィスコンティ→きょうだいルドヴィーコ・ヴィスコンティ→妻ヴィオランテ・ヴィスコンティ→きょうだいジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子ヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 ビアンカ・マリア・ヴィスコンティ

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 kleio.org
 RootsWeb.com
 Treccani

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンス舞踊紀行』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

記載日

 2005年5月29日以前
ヴィスコンティ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで