——Borghese Petrucci——
ボルゲーゼ・ペトルッチ
在位:シエナの君主 1512年〜1516年
    先代:パンドルフォ・ペトルッチ
父:パンドルフォ・ペトルッチ
妻:ヴィットーリア・ディ・アンドレア・トデスキーニ
記載日:2005年5月29日以前

年表
 1512年5月21日 パンドルフォ・ペトルッチ死。——ボルゲーゼ・ペトルッチ、シエナの君主となる(在位1512年〜1516年)。
            ルイ12世と神聖同盟の間で動揺していたマクシミリアン1世ユリウス2世の説得を容れてヴェネツィアと休戦し、神聖同盟に加入。スイス連邦軍のティロル通過の承認、ルイ12世軍の精鋭をなしていたドイツ人歩兵全員の召還など反ルイ12世の方針を打ち出す。
 1516年3月10日 シエナの君主ボルゲーゼ・ペトルッチメディチ家に対する忠誠心の欠如を怒ったレオ10世は、彼を彼の従兄弟ラッファエーレ・ペトルッチを用いて追放し、ラッファエーレ・ペトルッチをシエナの君主に据える。新君主ラッファエーレ・ペトルッチロレンツォ・デ・メディチをシエナの傭兵隊長とする。
 1517年4月初旬 レオ10世より追放された(1516年3月)シエナの前君主ボルゲーゼ・ペトルッチの弟・枢機卿アルフォンソ・ペトルッチ(1492年〜1517年)、他の枢機卿4名を誘ってレオ10世毒殺の陰謀を練っていたが発覚。
           レオ10世から一切を許すとの言質を与えられて、5月19日、ヴァティカン宮殿に出頭したところを捕らえられ、1517年6月22日聖職位剥奪の上、1517年7月4日サンタンジェロ城で絞殺され、彼の秘書、協力者2名も、1517年6月27日処刑される。他の4名の枢機卿の内2名は聖職を剥奪され、2名は大金を払って特赦される。

外部リンク
 Wikipedia

参考文献
 『イタリア史X』
 『君主論』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
ペトルッチ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで