カルロ・ヴィスコンティ

Carlo Visconti

カルロ・ヴィスコンティ

生没年:?~1477年1月2日

概要

 カルロ・ヴィスコンティは、15世紀のミラノの男性、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ暗殺者の1人。
 妹を陵辱したガレアッツォ・マリーア・スフォルツァに不満を抱いていたカルロ・ヴィスコンティは、ジョヴァンニ・アンドレア・ランプニャーニジローラモ・オルジアーティの陰謀に参加した。

年表

1473年9月13日
トリーアにて、フリードリヒ3世シャルル・ル・テメレールが会見。この時、カルロ・ヴィスコンティは皇帝宮廷駐在ミラノ大使として列席。
1476年12月26日
ミラノのサント・ステファノ教会に3人は集まる。この日はサント・ステファノの日であり、ここでミサが執り行われることになっていた。ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ一行が到着すると、3人は彼の前に出、一言二言交わした後、まずジョヴァンニ・アンドレア・ランプニャーニが刺し、カルロ・ヴィスコンティ、ジローラモ・オルジアーティと、ジョヴァンニ・アンドレア・ランプニャーニの使用人フランツォーネがそれに続いた。
ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァが殺され、人々は恐慌状態となり、教会から逃げ出す。ジョヴァンニ・アンドレア・ランプニャーニは教会の女性側に向かって逃走を試みたが、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの護衛に捕らえられてその場で惨殺された。他の共犯者3人は、群集の間に強引に入り込み、逃走に成功する。
1476年12月27日
フランツォーネが捕まり、共犯者を自白。
1476年12月29日
カルロ・ヴィスコンティは、怯えた親族によって引き渡される。
1477年1月2日
カルロ・ヴィスコンティ、ジローラモ・オルジアーティとフランツォーネは死刑に処せられ、死体は警告として曝された。
ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァは冷酷な君主として知られていたにもかかわらず、民衆が彼の暗殺に呼応することはなかった。

外部リンク

 Google Books
 The Assassin's Creed Wiki
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『April Blood

記載日

 2005年5月29日以前
ヴィスコンティ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで