Charles le Téméraire

シャルル・ル・テメレール

生没:1433年~1477年
在位:シャロレー伯
   ブルゴーニュ公 1467年~1477年
    先代:フィリップ・ル・ボン
父:フィリップ・ル・ボン
妻:マルガレーテ
子:マリー・ド・ブルゴーニュ

概要

 シャルル・ル・テメレールは、15世紀の男性。

年表

1467年6月15日
フィリップ・ル・ボン、死(1396年~:在位1419年~)——子シャロレー伯シャルル・ル・テメレール(1433年~1477年)、ブルゴーニュ公となる(在位1467年~1477年)。
1474年10月
ルイ11世フリードリヒ3世の支援を得たスイス誓約同盟、シャルル・ル・テメレールに対して戦端を開く(ブルゴーニュ戦争:1474年~1477年)。
1475年7月
イングランド王Edward IV、ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレールから十分な支援を得られず、ルイ12世(1462年~1515年:オルレアン公1465年~1498年:フランス王在位1498年~1515年)の勧誘に応じて終身年金を得ることを条件にアミアン 近郊ピキニーで協定を結ぶ。間もなくフランスから撤退。
1476年6月22日
スイス誓約同盟軍、1476年3月2日スイス西部ヴォーのグランソンでの戦いに続き、この日、ベルン西方ムルテン郊外でシャルル・ル・テメレールの大軍を破る。
1477年1月5日
シャルル・ル・テメレール、フランス北東部ナンシーの戦いで敗れ、戦死(1433年~:在位1467年~)。ブルゴーニュ戦争、終結(1474年~1477年)。
フランス王国統一の最大の障害となっていたブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレールの死により、王国統一、急速に進展:ルイ11世は公領(本領)を併合し、公の娘マリー・ド・ブルゴーニュ(1457年~1482年)はフランシュ=コンテ、ネーデルランド(アルトワ、フランドルなど)のみを継承。
1477年
ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレールの死により、公へのメディチ銀行ブールジュ支店の巨額の貸付、回収不能になる。支店の経営危機、深刻化。

別表記

 シャルル豪胆公、シャルル勇胆公、シャルル突進公、シャルル大胆公、シャルル・テメレール

外部リンク

 ウィキペディア
 Find A Grave
 Genealogy.EU
 kleio.org

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア史Ⅴ』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『快楽の中世史』
 『君主論』
 『世界大百科事典』
 『戦闘技術の歴史2 中世編』
 『ハプスブルク家』
 『服飾の中世』
 『メディチ家』
 『傭兵の二千年史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス百科事典』

記載日

 2005年5月29日以前