Clero

聖職者

ウルバヌス4世 Urbanus IV

生没
1195年頃~1264年10月2日
概要

 ジャック・パンタレオンは、12世紀~13世紀の男性、聖職者。第182代教皇ウルバヌス4世。

在位

 第182代教皇 1261年~1264年
  先代:アレクサンデル4世
  次代:クレメンス4世

本名

 ジャック・パンタレオン、Jacques Pantaléon

外部リンク

 世界帝王事典
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界大百科事典』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルネサンスの歴史』

ウルバヌス6世 Urbanus VI

生没
1318年~1389年
概要

 バルトロメオ・プリニャーノは、14世紀の男性、聖職者。第202代教皇ウルバヌス6世。

在位

 アチェレンツァ大司教 1364年~
 バーリ大司教 1377年
 教皇侍従 1377年
 第202代教皇 1378年~1389年

本名

 バルトロメオ・プリニャーノ、Bartolommeo Prignano

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 Find A Grave

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルネサンスの歴史』

グレゴリウス1世 Gregorius I

生没
540年?~604年3月12日
概要

 グレゴリウス1世は、第64代教皇、四大ラテン教父の1人。

在位

 第64代教皇 590年9月3日~604年3月12日

肖像

別表記

 大聖グレゴリウス、Gregory

外部リンク

 ウィキペディア
 Find A Grave

参考文献

 『メディチ家』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia

グレゴリウス7世 Gregorius VII

生没
1020年?~1085年
概要

 ヒルデブランドは、11世紀のイタリアの男性、聖職者。第157代教皇グレゴリウス7世。

在位

 第157代教皇 1073年~1085年
  先代:アレクサンデル2世
  次代:ウィクトル3世

本名

 ヒルデブランド

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『修道院』
 『世界大百科事典』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ローマ教皇検死録』

グレゴリウス9世 Gregorius IX

生没
1143年?~1241年8月22日
出身
アナーニ
没地
ローマ
概要

 ウゴリーノ・コンティは、12世紀~13世紀の男性、聖職者。第178代教皇グレゴリウス9世。

在位

 第178代教皇 1227年~1241年
  先代:ホノリウス3世
  次代:ケレスティヌス4世

本名

 ウゴリーノ・ディ・コンティ、Ugolino di ContiUgolino dei Conti di Segni

外部リンク

 ウィキペディア
 Find A Grave

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

グレゴリウス11世 Gregorius XI

生没
1329年~1378年
概要

 ピエール・ロジェ・ド・ボーフォールは、14世紀の男性、聖職者。第201代教皇グレゴリウス11世。

在位

 枢機卿 1348年5月28/29日~1370年
     任命した教皇:クレメンス6世
 第201代教皇 1370年~1378年

本名

 ピエール・ロジェ・ド・ボーフォール、Pierre Roger de Beaufort

任命した枢機卿

1371年5月30日 ロベール・ド・ジュネーヴ

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

グレゴリウス12世 Gregorius XII

生没
1326年~1417年10月18日
概要

 アンジェロ・コッレールは、14世紀~15世紀の男性、聖職者。第205代教皇グレゴリウス12世。

在位

 第205代教皇 1406年11月30日~1415年7月4日

本名

 アンジェロ・コレル、Angelo CorrerAngelo Coraria

関連項目

 The Borgias: 108

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com

参考文献

 『メディチ家』

グレゴリウス13世 Gregorius XIII

生没
1502年1月7日~1585年4月10日
概要

 ウーゴ・ブオンコンパーニは、16世紀の男性、聖職者、第226代教皇グレゴリウス13世。

在位

 第226代教皇 1572年~1585年
  先代:ピウス5世
  次代:シクストゥス5世

年表

1572年5月14日
教皇に即位。
1582年2月
ユリウス暦からグレゴリオ暦への、暦の切り替えの勅令を発布。
1582年10月
ユリウス暦からグレゴリオ暦への、暦の切り替えが実施される。カトリックの国であるイタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランドなどで採用され、ユリウス暦の1582年10月5日が1582年10月15日に改められた。

本名

 ウーゴ・ブオンコンパーニ、Ugo Buoncompagni

外部リンク

 ウィキペディア
 Find A Grave
 GCatholic.com

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lost Girls

クレメンス5世 Clemens V

生没
1264年~1314年
概要

 ベルトラン・ド・ゴは、13世紀~14世紀の男性、聖職者。第195代教皇クレメンス5世。

在位

 第195代教皇 1305年~1314年

本名

 ベルトラン・ド・ゴ、ベルトラン・ド・ゴット、Bertrand de GotBertrand de Gouth

別表記

 クレメンティウス5世

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 GCatholic.com

参考文献

 『西洋拷問刑罰史』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルネサンス宮廷大全』

ハドリアヌス4世 Hadrianus IV

生没
1100年~1159年9月1日
概要

 ニコラス・ブレイクスピアは、12世紀の男性、聖職者。第169代教皇ハドリアヌス4世。

在位

 第169代教皇 1154年~1159年

本名

 ニコラス・ブレイクスピア、Nicholas BreakspearBreakspeare

外部リンク

 ウィキペディア
 Find A Grave

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『戦闘技術の歴史2 中世編』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

ベネディクトゥス13世 Benedictus XIII

生没
1328年11月25日~1423年5月23日
出身
イジュエカ
没地
ペニスコラ
概要

 ペドロ・マルティネス・デ・ルーナは、14世紀~15世紀の男性、聖職者。対立教皇ベネディクトゥス13世。

在位

 対立教皇 1394年9月~1417年

年表

1423年5月23日
ペニスコラにて、死(1422年)。

本名

 ペドロ・デ・ルーナ、Pedro Martínez de Luna y Pérez

別表記

 月光法王、ペドロ・マルティネス・ド・ルナ、ベネディクト13世

関連項目

 The Borgias: 108

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルネサンスの歴史』
 『メディチ家』

ボニファキウス9世 Bonifacius IX

生没
1350年~1404年10月1日
概要

 ピエトロ・トマチェッリは、14世紀~15世紀の男性、聖職者。第203代教皇ボニファキウス9世。

在位

 第203代教皇 1389年~1404年

本名

 ピエトロ・トマチェリ、ピエトロ・トマセッリ、Pietro Tomacelli

別表記

 ボニファティウス9世

外部リンク

 ウィキペディア
 Find A Grave

参考文献

 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルネサンスの歴史』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

ヨハネス22世 Johannes XXII

生没
1244/49年~1334年12月4日
概要

 ジャック・ドゥーズは、13世紀~14世紀の男性、聖職者。第196代教皇ヨハネス22世。

在位

 枢機卿 1312年12月23日~1316年
      任命した教皇:クレメンス5世
 第196代教皇 1316年~1334年

本名

 ジャック・ドゥーズ、ヤコポ・ディ・カオール、Jacques Duèze

外部リンク

 ウィキペディア
 檸檬
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『修道院』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『Lucretia Borgia

アラマンノ・アディマリ Alamanno Adimari

生没
1362年~1422年9月17日
出身
フィレンツェ
没地
ティヴォリ
概要

 アラマンノ・アディマリは、14世紀~15世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1411年6月6日~1422年9月17日
     任命した教皇:ヨハネス23世

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

アラン・ド・コエティヴィ Alain de Coëtivy

生没
1407年8月18日~1474年5月3日
概要

 アラン・ド・コエティヴィは、15世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1448年12月20日~1474年5月3日
     任命した教皇:ニコラウス5世

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

アルディチーノ・デッラ・ポルタ Ardicino della Porta

生没
1434年~1493年2月4日
没地
ローマ
概要

 アルディチーノ・デッラ・ポルタは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1489年3月9日~
     任命した教皇:インノケンティウス8世

別表記

 アレリア枢機卿、枢機卿アレーリア、Domenicus Porta

外部リンク

 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ガレオット・フランチオッティ Galeotto Franciotti

生没
1471年~1508年9月11日
出身
ルッカ
没地
ローマ
ジャンフランチェスコ・フランチオッティ
ルキナ・デッラ・ローヴェレ
概要

 ガレオット・フランチオッティは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1503年11月29日~
     任命した教皇:ユリウス2世

年表

1508年9月11日
ローマにて、死(1507年9月11日)。

外部リンク

 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia

ギヨーム・デストゥトヴィル Guillaume d'Estouteville

生没
1403年~1483年1月22日
ジャン・デストゥトヴィル
マグリット・ダルクール
ジローラマ・トーリ
ジローラモ・トゥッタヴィッラ
アゴスティーノ・トゥッタヴィッラ
マルゲリータ・トゥッタヴィッラ
ジューリア・トゥッタヴィッラ
概要

 ギヨーム・デストゥトヴィルは、15世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1439年12月18日~1483年1月22日
     任命した教皇:エウゲニウス4世

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ギヨーム・ブリソンネ Guillaume Briçonnet

生没
1445年~1514年12月14日
概要

 ギヨーム・ブリソンネは、15世紀~16世紀の男性、フランス王シャルル8世の主席大臣サン・マロ枢機卿。

在位

 枢機卿 1495年1月16日~1514年12月14日
     任命した教皇:アレクサンデル6世

別表記

 グリエルモ・ブリソネット、Guglielmo BrissonetSan Malò

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

ジャンステファノ・フェッレーロ Gianstefano Ferrero

生没
1474年5月5日~1510年10月5日
出身
ビエッラ
没地
ローマ
概要

 ジャンステファノ・フェッレーロは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿

在位

 枢機卿 1500年9月28日~1510年10月5日(任命アレクサンデル6世
 ボローニャ司教 1502年1月24日~1510年10月5日

別表記

 Giovanni Stefano Ferrer

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

ジャン・ド・ビレール・ド・ラグロラ Jean Bilhères de Lagraulas

生没
1434/1439年~1499年
没地
ローマ
概要

 ジャン・ド・ビレール・ド・ラグロラは、15世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1493年9月20日~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

注文した作品

 サン・ピエトロのピエタ

別表記

 ラ・グロレーイエ枢機卿、グロラエ、Cardinal La GrolayeGiovanni della Grolaye

外部リンク

 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・バッティスタ・ゼノ Giovanni Battista Zeno

生没
1439/1440年~1501年5月8日
没地
ローマ
概要

 ジョヴァンニ・バッティスタ・ゼノは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1468年11月21日~1501年5月8日
     任命した教皇:パウルス2世

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・ミキエル Giovanni Michiel

生没
1445年頃~1503年4月10日
没地
ローマ
概要

 ジョヴァンニ・ミキエルは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1468年11月21日~1503年4月10日
     任命した教皇:パウルス2世

年表

1503年4月10日
ローマにて、2日間病床に伏した後、急死(1503年4月11日)。
同日夜、教皇アレクサンデル6世が、約15万ドゥカートの巨額な遺産を接収する指令を発す。教皇指令による枢機卿毒殺の疑い広まる。

別表記

 Cardinal of Sant' AngeloCardinal Michaeli

外部リンク

 Find A Grave
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・ヤコポ・スキアッフィナーティ 
Giovanni Jacopo Schiaffinati

生没
1451年9月10日~1497年12月9日
概要

 ジョヴァンニ・ヤコポ・スキアッフィナーティは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1483年11月15日~
     任命した教皇:シクストゥス4世

年表

1451年9月10日
生。
1497年12月9日
死(1497年12月4日)。

別表記

 Giovanni GiacomoSclafenatiSclafinatoSclafenatusCardinal of Parma

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョン・モートン John Morton

生没
1420年頃~1500年9月15日
没地
イギリス
概要

 ジョン・モートンは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1493年9月20日~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『The Life of Cesare Borgia

ステファノ・ナルディーニ Stefano Nardini

生没
?~1484年10月22日
出身
フォルリ
没地
ローマ
概要

 ステファノ・ナルディーニは、15世紀頃のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1473年5月7日~
     任命した教皇:シクストゥス4世

年表

1475年
ナルディーニ宮殿(現ゴヴェルノ・ヴェッキオ宮殿)完成。

外部リンク

 GCatholic.com
 Rome in the footsteps of a 1750 traveller
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』
 『Lucretia Borgia

ドメニコ・グリマーニ Domenico Grimani

生没
1461年~1523年8月27日
アントーニオ・グリマーニ
概要

 ドメニコ・グリマーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1493年9月20日~1523年8月27日
     任命した教皇:アレクサンデル6世

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』

ニッコロ・フォルテゲッラ Niccolò Fortiguerra

生没
1419年10月7日~1473年12月21日
概要

 ニッコロ・フォルテゲッラは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1460年3月5日~1473年12月21日
     任命した教皇:ピウス2世

別表記

 フォルテグエッリ(Forteguerri)、ニッコロー・フォルティグエラ

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルネサンス精神の深層』

ハイメ・セッラ・イ・カウ Jaime Serra y Cau

生没
1427年~1517年3月15日
概要

 ハイメ・セッラは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1500年9月28日~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

別表記

 Petro IsuallesCardinal of S. ClementeCardinal of San Clemente

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

バルトロメ・マルティ Bartolomé Martí

生没
1430/1440年~1500年3月25日
没地
ローマ
概要

 バルトロメ・マルティは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1496年2月19日~1500年3月25日
     任命した教皇:アレクサンデル6世

別表記

 Bartolommeo MartiMartiniCardinal Martinus of Segovia

外部リンク

 Enciclopèdia.cat
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ピエトロ・イスアレス Pietro Isuales

生没
~1511年9月22日
概要

 ピエトロ・イスアレスは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1500年9月28日~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

別表記

 IsuallesIsvalies

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani

参考文献

 『Lucretia Borgia

フアン・カルバハル Juan Carvajal

生没
1399/1400年~1469年10月6日
概要

 フアン・カルバハルは、15世紀頃の男性、聖職者、枢機卿。ベルナルディーノ・カルバハルのおじ。

在位

 枢機卿 1446年12月16日~1469年10月6日
     任命した教皇:エウゲニウス4世

別表記

 Giovanni Carvajal

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

フアン・デ・カストロ Juan de Castro

生没
1431年3月22日~1506年9月29日
出身
ヴァレンシア
没地
ローマ
概要

 フアン・デ・カストロは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1496年2月19日~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

埋葬地

外部リンク

 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia

フアン・デ・トルクマーダ Juan de Torquemada

生没
1388年~1468年
概要

 ローマ近郊スビアーコのベネディクト会S. Scolastica修道院院長。

在位

 枢機卿 1439年12月18日~1468年
     任命した教皇:エウゲニウス4世

年表

1464年
自身が招いたドイツ人印刷業者Conrad SweynheimArnold Pannartzが、イタリアに初めて聖なる技術、活版印刷術を伝える。

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フィリッポ・カランドリニ Filippo Calandrini

生没
1403年~1476年7月18日
出身
サルザーナ
没地
バニョレージョ
トンマーゾ・カランドリニ
アンドレオーラ・トメオ・デイ・ボジ
概要

 フィリッポ・カランドリニは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿

在位

 ボローニャ司教 1447年12月18日~1476年7月18日
 枢機卿 1448年12月20日~1476年7月18日
     任命した教皇:ニコラウス5世

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

フランソワ・ギヨーム・ド・カステルノウ François Guillaume de Castelnau

生没
1480年~1541年
概要

 フランソワ・ギヨーム・ド・カステルノウは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1503年11月29日~
     任命した教皇:ユリウス2世

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

フランチェスコ・アリドージ Francesco Alidosi

生没
1460年頃~1511年5月24日
概要

 フランチェスコ・アリドージは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1505年12月1日~1511年5月24日
     任命した教皇:ユリウス2世

年表

1511年5月15日
ボローニャを去り、ラヴェンナに移動するユリウス2世により、教皇の代理として指名される。
1511年5月21日~1511年5月23日
ボローニャでアルフォンソ1世・デステとも通じた市民の反乱が生じたため、逃亡する。ベンティヴォーリオ家は、ジャン・ヤコポ・トリヴルツィオ率いるフランス軍と共にボローニャに入り、市民の大歓迎を受ける。

別表記

 アリドーシ

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』

フリデリク・ヤギェロンチク Fryderyk Jagiellończyk

生没
1468年4月27日~1503年3月14日
出身
クラクフ
没地
クラクフ
概要

 フリデリク・ヤギェロンチクは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1493年9月20日~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

別表記

 カシミーロ

外部リンク

 ウィキペディア
 Catholic-Hierarchy

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』

ペドロ・ゴンサレス・デ・メンドーサ Pedro González de Mendoza

生没
1428年5月3日~1495年1月11日
出身
グアダラハラ
没地
グアダラハラ
イニーゴ・ロペス・デ・メンドーサ
概要

 ペドロ・ゴンサレス・デ・メンドーサは、15世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1473年5月7日~
     任命した教皇:シクストゥス4世

別表記

 Gonzalo de Mendoza

外部リンク

 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『The Life of Cesare Borgia

マッフェオ・ゲラルディ Maffeo Gherardi

生没
1406年~1492年9月14日
ジョヴァンニ・ゲラルディ
概要

 マッフェオ・ゲラルディは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 ヴェネツィア総大司教 1468年12月16~1492年9月14日
 枢機卿 1489年3月9日~
     任命した教皇:インノケンティウス8世

別表記

 ゲラルド

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

ヤコポ・アンマンナーティ Jacopo Ammannati

生没
1422年3月8日~1479年9月10日
出身
ペッシャ
没地
ボルセーナ
概要

 ヤコポ・アンマンナーティは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1461年12月18日~1479年9月10日
     任命した教皇:ピウス2世

年表

1460年6月8日
シエナテリアッチ宮殿の庭園で、ロドリゴ・ボルジア枢機卿が開いた乱痴気騒ぎの宴会に参加。

別表記

 Giacomo Ammannati Piccolomini

外部リンク

 GCatholic.org
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『The Life of Cesare Borgia

ヤコポ・テバルディ Jacopo Tebaldi

生没
~1466年9月4日
出身
ローマ
没地
ローマ
概要

 ヤコポ・テバルディは、15世紀頃のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1456年12月17日~
     任命した教皇:カリストゥス3世

埋葬地

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

ルドヴィーコ・ポドカタロ Ludovico Podocataro

生没
1429年~1504年8月25日
出身
ニコシア
没地
ミラノ
概要

 ルドヴィーコ・ポドカタロは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1500年9月28日~

年表

1478年
14??年
ロドリゴ・ボルジア枢機卿と知り合い、彼の秘書兼医師となる。おそらくロドリゴ・ボルジアの子供たちにギリシア語を教えた。
1497年
アウグスティヌス会に寄付し、ルドヴィーコ・ポドカタロ枢機卿の霊廟を発注。
1504年8月25日
ミラノにて、死。
1504年10月7日

埋葬地

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia

レイモンド・ペラウルド Raymond Péraud

生没
1435年5月28日~1505年9月5日
概要

 レイモンド・ペラウルドは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1493年9月20日~1505年9月5日
     任命した教皇:アレクサンデル6世

別表記

 Raymund Pérault

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『Lucretia Borgia

クレメンス8世 Clemens VIII

生没
1369/1370年~1446年12月28日
概要

 ジル・サンチェス・ムニョスは、14世紀~15世紀の男性、聖職者。ベネディクトゥス13世の後に選出された対立教皇クレメンス8世。アロンソ・デ・ボルハの説得によって退位し、教会は統一された。

在位

 対立教皇 1423年~1429年
 マヨルカ司教 1429年~1446年

年表

1423年6月10日
アヴィニョンの対立教皇に選出される。
1426年5月19日
アヴィニョンの対立教皇の位に就きクレメンス8世を名乗る。
1429年7月26日
アヴィニョンの対立教皇の位を放棄。教会大分裂、ようやく終わる(1378年~)。

本名

 ジル・サンチェス・ムノツ、Gil Sánchez Muñoz y CarbónGil Sánchez Muñoz i Carbó

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 GCatholic.com

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

クレメンス7世 Clemens VII

生没
1342年~1394年
概要

 ロベール・ド・ジュネーヴは、14世紀の男性、聖職者。対立教皇クレメンス7世。

在位

 枢機卿 1371年5月30日 ~1378年
     任命した教皇:グレゴリウス11世
 対立教皇 1378年~1394年

年表

1378年
教会の大分裂(~1417年)。

本名

 ロベール・ド・ジュネーヴ、Robert de Genève

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルネサンス宮廷大全』

エジーディオ・ダ・ヴィテルボ Egidio da Viterbo

生没
1465年頃~1532年11月12日
出身
ヴィテルボ
没地
ヴィテルボ
概要

 神学者、哲学者、アウグスティヌス会修道士、枢機卿。

在位

 枢機卿 1517年7月1日~1532年
     任命した教皇:レオ10世

年表

1465年
この年頃、ヴィテルボに生。
1517年7月1日
レオ10世により、枢機卿を任命される。
1518年4月16日
対オスマン・トルコ十字軍結成を訴えるべく、レオ10世により、カルロス1世のもとへ特使として派遣される。
1532年11月12日
ヴィテルボで死(1532年11月21日)。

著作

 『ヒストリエ』

本名

 Egidio Canisio

別表記

 エディジオ

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス精神の深層』
 『Lucretia Borgia

フランシスコ・ガルセラン・デ・ロリス Francisco Galcerán de Lloris

生没
1470年頃~1506年7月22日
出身
ヴァレンシア
没地
ローマ
Perot-Jàfer de Lloris
イサベル・デ・ボルハ・イ・ナヴァッロ
概要

 フランシスコ・ガルセラン・デ・ロリスは、15世紀~16世紀の男性、聖職者。

在位

 エルナ司教 1499年~1506年
 枢機卿 1503年5月31日~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

年表

1502年6月
エルナ司教フランシスコ・ガルセラン・デ・ロリスは、教皇のコッミッサーリオ・ジェネラーレとして、ペルージア到着。ウルビーノグイドバルド・ダ・モンテフェルトロに、教皇アレクサンデル6世の小勅書を持参し、グッビオ経由でカーリとサッソフェッラートに向かう歩兵1千5百の通行と大砲の輸送に道を提供するよう指令させるため、2名のスペイン人を送る。
1502年12月25日(日)

チェーザレ・ボルジア数

 母イサベル・デ・ボルハ・イ・ナヴァッロ→父ガルセラン・デ・ボルハ・イ・モンカーダ→父ガルセラン・デ・ボルハ・イ・エスクリヴァ→きょうだいホフレ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア

別表記

 Francisco Galcerán de Lloris y de BorjaFrancisc de Lloris i de BorjaFrancesco BorgiaBishop of Euna

外部リンク

 Araldica Vaticana
 GCatholic.com
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia

フランシスコ・デ・レモリンス Francisco de Remolins

生没
1462年~1518年2月5日
出身
リェイダ
没地
ローマ
概要

 フランシスコ・デ・レモリンスは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1503年5月31日~1518年2月5日
     任命した教皇:アレクサンデル6世

年表

1498年5月18日
1498年
1501年5月7日
1503年
チェーザレ・ボルジアの命で、ロマーニャから騎兵2百と歩兵1千を指揮し、オルヴィエートに駐屯。指示を待つ。
1503年11月26日
オスティアからローマ到着。チェーザレ・ボルジアの拠点の連署と降伏の保証を約束し、チェーザレ・ボルジアに対し慈悲を賜るよう教皇ユリウス2世に嘆願。
1503年12月20日
夜、ペドロ・ルイス・ランソル枢機卿と共にローマを逃亡。
ナポリゴンザロ・デ・コルドバのもとへ向かい、自分たちと共にチェーザレ・ボルジアの保護を求める。
1518年2月5日
死。

別表記

 フランチェスコ・ロモリーノ、レモリーノ・ダ・レリーダ、ソレントの枢機卿、Francisco de RemolinsFrancesco RomoliniRomolinoRemolino da Lérida

外部リンク

 チェーザレ・ボルジアとその周辺
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・アントーニオ・サンジョルジョ Giovanni Antonio Sangiorgio

生没
1439年~1509年3月14日
出身
ミラノ
没地
ローマ
概要

 ジョヴァンニ・アントーニオ・サンジョルジョは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1493年9月20日~1509年3月14日
     任命した教皇:アレクサンデル6世

年表

1439年
ミラノにて、生(1442年)。
1501年
教皇アレクサンデル6世により、ジョヴァンニ・アントーニオ・サンジョルジョ枢機卿、フランチェスコ・ボルジア枢機卿他4名が、ロドリゴ・ダラゴーナインファンテ・ロマーノの後見人に選ばれる。
1509年3月14日
ローマにて、死。

別表記

 アレッサンドリーノ・ジョヴァンニ・アントーニオ・サン・ジョルジョ、Gianantonio San Giorgio

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・バッティスタ・フェッラーリ Giovanni Battista Ferrari

生没
1450年~1502年7月20日
出身
モデナ
没地
ローマ
概要

 ジョヴァンニ・バッティスタ・フェッラーリは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 モデナ司教 1495年9月11日~1502年7月20日
  先代:ジャナンドレア・ボッチャッツィ
 枢機卿 1500年9月28日~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

年表

1501年2月18日
ローマにて、エルコーレ1世・デステ宛てに手紙をしたためる。「国を益するであろう多大な利点のために」、エルコーレ1世・デステアルフォンソ1世・デステルクレツィア・ボルジアの結婚を提案。
1501年5月1日
エルコーレ1世・デステ宛てに手紙をしたためる。教皇アレクサンデル6世が枢機卿会議でルクレツィア・ボルジアアルフォンソ1世・デステの結婚話を満足げに語っていた。
1501年8月27日
ローマにて、エルコーレ1世・デステ宛てに手紙をしたためる。
1502年1月9日
ローマにて、エルコーレ1世・デステ宛てに手紙をしたためる。ルクレツィア・ボルジアを褒め称える。
1502年7月3日
病床に伏す。
1502年7月11日
熱が下がる。
1502年7月16日
熱がぶり返す。
1502年7月20日
ローマにて、死。

別表記

 Gianbattista FerrariFerranteCardinal of Modena

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 The Hierarchy of the Catholic Church

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・ヴィテレスキ Giovanni Vitelleschi

生没
1390年~1440年4月1/2日
概要

 ジョヴァンニ・ヴィテレスキは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 教会の旗手 1433年~1434年
 フィレンツェ大司教 1435年~1437年
 枢機卿 1437年8月9日~1440年4月1/2日
     任命した教皇:エウゲニウス4世

年表

1390年~1400年
生。
1434年9月25日
自派の没落の危機を痛感し武装蜂起によって一気に状況を逆転しようと狙ってきたリナルド・デリ・アルビッツィは、この日、自身の親衛隊に政庁舎占拠態勢を取らせながら実行の機を捉えられずにいる内、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会からエウゲニウス4世が、司教ジョヴァンニ・ヴィテレスキを遣わして調停、事態収拾工作に乗り出す。
1434年10月
エウゲニウス4世の逃亡後、無秩序状態が続き教皇帰還を求める動きが活発化したローマに、エウゲニウス4世の使節ジョヴァンニ・ヴィテレスキが到着し、市民に歓呼をもって迎えられる。以後ジョヴァンニ・ヴィテレスキは、教会支配の復活を準備。
1434年夏以降敗戦の続くフィレンツェ、大金を払ってフランチェスコ1世・スフォルツァと傭兵契約を交わし、彼とその軍をヴェネツィア・フィレンツェ同盟軍に加える。
ジギスムント・フォン・ルクセンブルク、16か条からなる帝国改革計画を公表して帝国諸身分の意見を求めると共に、次の帝国議会で帝国改革について議決するよう提案。
しかし、諸侯も都市の意見が対立し、帝国改革計画は実行を挙げ得ずに終わる。

在位

 教会の旗手 1433年~1434年
 フィレンツェ大司教 1435年10月12日~1437年8月9日
 枢機卿 1437年8月9日~1440年4月1/2日
     任命した教皇:エウゲニウス4世

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lucretia Borgia

ヤコポ・シルヴェストリ Jacopo Silvestri

生没
~1516年
概要

 ヤコポ・シルヴェストリは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 アラトリ司教 1493年4月15日~1516年

年表

1494年12月
マリアーノ・サヴェッリ宛てに手紙をしたためる。危険が切迫したことを痛感している人物の不安を示す、苛立ち乱れた文体で、ジューリア・ファルネーゼをできる限り早急にローマから遠ざけるよう努力すべしとの指令をアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿から受け取ったことを知らせる。ジューリア・ファルネーゼは、初めは動きたくないと「頑なに」言い張ったが、最後には勧告に従い、十分な数の馬と確かな護送隊が整い次第出発する用意であるとの意向を表明した。「そこで、早急にご夫人の意を満たしてくださるよう、閣下にお願いいたします。なぜなら、誰にとりましても名誉とはなり得ないことが起こりかねないこの地にジューリア・ファルネーゼが留まるのは嘆かわしいことに思われるからであります。このことはアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿も案じておられ、妹御がローマに留まっておられるのを懸念しておいでなのです。ジューリア・ファルネーゼに出発の手段を与えてくださるよう、心より閣下にお願いいたす次第です・・・・」。
この手紙は現在ヴァティカンの記録保管所にあるため、おそらく、教皇の手勢によって横取りされ、アレクサンデル6世に渡された。
間もなくして、ヤコポ・シルヴェストリはサンタンジェロ城に幽閉され、アレクサンデル6世が死ぬまで忘れ去られる。この手紙が直接の原因ではないかもしれないが、「ボルジア家に疑われたために」と、ある伝記作家は述べた。

別表記

 ヤコベッロ・シルヴェストリ、Giacomo de Silvestri

外部リンク

 GCatholic.com

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

ヨハネス23世 Johannes XXIII

生没
1370年頃~1419年12月22日
概要

 バルダッサーレ・コッサは、14世紀~15世紀の男性、聖職者。対立教皇ヨハネス23世。

在位

 枢機卿 1402年2月27日~1410年
 対立教皇 1410年~1415年5月29日

 対立教皇ヨハネス23世の霊廟

任命した枢機卿

1411年6月6日 アラマンノ・アディマリ
1414年9月 ピエール・ド・フォワ

本名

 バルダッサレ・コッサ、Baldassare Cossa

別表記

 ヨハンネス23世

関連項目

 The Borgias: 108

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界大百科事典』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの歴史』
 『ルネッサンス夜話』

フアン・カステリャール Juan Castellar

生没
1441年~1505年1月1日
出身
ヴァレンシア
没地
ヴァレンシア
ガルセラン・カステリャール
ベルナルドーナ・ランソル
概要

 フアン・カステリャールは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 トラーニ大司教 1493年8月23日~1503年8月9日
 枢機卿 1503年5月31日~1505年1月1日
     任命した教皇:アレクサンデル6世
 サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ司祭枢機卿 1503年6月12日~1505年1月1日
 モンレアーレ大司教 1503年8月9日~1505年1月1日
  先代:フアン・ランソル・イ・ボルハ

チェーザレ・ボルジア数

 母ベルナルドーナ・ランソル→きょうだいペドロ・ギーエン・ランソル→妻フアナ・デ・ボルハ・イ・ボルハ→きょうだいアレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
 母ベルナルドーナ・ランソル→きょうだいペドロ・ギーエン・ランソル→子イサベル・ランソル→夫フアン・デル・ミラ→父ペレ・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイサベル・デ・ボルハ・イ・マルティ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア

外部リンク

 GCatholic.com
 Google Books
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『The Life of Cesare Borgia

フアン・ロペス Juan López

生没
1455年頃~1501年8月5日
出身
ヴァレンシア
没地
ローマ
ルクレツィア・ロペス
概要

 フアン・ロペスは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1496年2月19日~1501年8月5日
     任命した教皇:アレクサンデル6世

年表

1492年8月
教皇アレクサンデル6世により、教皇庁掌璽院長に任命される。
1494年7月24日
サン・ピエトロ大聖堂にてアレクサンデル6世ルクレツィア・ボルジア宛ての手紙を代筆。名前のみ教皇の直筆。
1500年2月26日(水)
朝、ヨハン・ブルカルトの同僚を含む随行員を連れて、ミルヴィオ橋を3、4マイル越えたところで、チェーザレ・ボルジアを出迎える。外交官全員はミルヴィオ橋を越えて牧草地まで出る。

在位

 教皇庁掌璽院長 1492年8月~1496年2月
 ペルージア司教 1492年12月29日~1498年10月15日
 サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ司祭枢機卿
                      1496年2月24日~1501年8月5日
 カルカソンヌ(フランス)教区長 1497年12月23日~1501年8月5日
 カプア大司教 1498年10月15日~1501年8月5日
 コリア(スペイン)司教 1499年~1501年8月5日
 ペルージア教区長 1499年8月27日~1501年8月5日
 カメルレンゴ 1501月1日~1501年8月5日
 サン・ピエトロ大聖堂長司祭 1501年5月10日~1501年8月5日

別表記

 ホアン・ロペツ、Joan LlopisLopisCardinal of Capua

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

フアン・デ・ヴェラ Juan de Vera

生没
1453年11月25日~1507年5月4日
出身
アルシラ
没地
ローマ
概要

 フアン・デ・ヴェラは、15世紀~16世紀の男性、スペイン出身の枢機卿。

在位

 サレルノ大司教 1500年7月10日~1507年5月4日
 枢機卿 1500年9月28日~1507年5月4日
     任命した教皇:アレクサンデル6世
 サンタ・バルビーナ司祭枢機卿 1500年10月5日~1507年5月4日
 カメルレンゴ 1504年~1505年
 レオン教区長 1505年5月14日~1507年5月4日

年表

1453年11月25日
スペイン、ヴァレンシア、アルシラにて、生。
14??年
聖典と市民法の博士号取得。
1491年
ピサ大学で教員をしており、この頃、生徒にチェーザレ・ボルジアがいる。
1500年7月10日~1507年5月4日
サレルノ大司教に任命される。
1500年9月28日
アレクサンデル6世により、枢機卿に任命される。
1500年10月2日
アレクサンデル6世により、枢機卿を公表される。
1500年10月5日~1507年5月4日
サンタ・バルビーナ司祭枢機卿に任命される。
150?年
マルチェラータの教皇代理に任命される。
1501年
教皇により、ペーザロファーノへ派遣され、チェーザレ・ボルジアの第一秘書官アガピート・ゲラルディーニと共に行く。教会の代理として忠誠の誓いを受ける。
1501年7月21日
布告によりファーノ大聖堂にアンツィアーニ、コンシーリオ、市民たちが集まり、フアン・デ・ヴェラとアガピート・ゲラルディーニの前で、チェーザレ・ボルジアに子々孫々までの忠誠を誓う。
1504年~1505年
カメルレンゴに任命される。
1505年5月14日~1507年5月4日
レオン教区長に任命される。
1507年5月4日
ローマにて、死。
サンタゴスティーノ聖堂のサンタ・モニカ礼拝堂にて、埋葬。

別表記

 Giovanni Vera

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

マルケルス2世 Marcellus II

生没
1501年~1555年
概要

 マルチェッロ・チェルヴィーニは、16世紀の男性、聖職者、第222代教皇マルケルス2世。

在位

 枢機卿 1539年12月19日~1555年
     任命した教皇:パウルス3世
 第222代教皇 1555年

年表

1545年3月15日
この日、トレントで開催予定の公会議、パウルス3世の特使・枢機卿Reginald Poleジョヴァンニ・マリーア・チオッキ・デル・モンテ(1487年~1555年:在位1536年~:教皇在位1550年~1555年)、マルチェロ・チェルヴィーニの他数名の司教・枢機卿しか集まらず、開催できずに終わる。
1555年4月9日
枢機卿マルチェロ・チェルヴィーニ(1501年~:在位1539年~)、教皇に即位し、マルケルス2世を名乗る(在位~1555年5月)。
1555年5月1日

本名

 マルチェッロ・チェルヴィーニ、Marcello Cervini

別表記

 マルチェッロ2世、マルチェロ・チェルヴィーニ

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ピウス3世 Pius III

生没
1439年5月9日~1503年10月18日
出身
シエナ
没地
ローマ
ナンニ・トデスキーニ
ラウドミア・ピッコローミニ
概要

 フランチェスコ・トデスキーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。第215代教皇ピウス3世。

在位

 枢機卿 1460年3月5日~1503年9月22日
     任命した教皇:ピウス2世
 第215代教皇 1503年9月22日~1503年10月18日
  先代:アレクサンデル6世
  次代:ユリウス2世

年表

1503年9月16日~1503年9月22日
1503年9月22日
教皇に即位しピウス3世を名乗る。
1503年9月
チェーザレ・ボルジアの支持、協力で即位したため、チェーザレ・ボルジアのこれまでの地位、領国を全て改めて承認。
1503年9月23日
ヴェネツィア大使アントーニオ・ジュスティニアーニに、ヴェネツィア共和国のロマーニャへの企てに対する不満を表明。
1503年9月
1503年9月25日
勅書を発し、反ボルジア同盟に対し、教会への反抗をやめるよう要求。
1503年9月26日
チェーザレ・ボルジアの傭兵隊長たちとロマーニャの領民に対し、彼に忠誠を尽くすよう命令(1503年9月25日)。
1503年10月3日
オルシーニ家が反乱し、2人の子供と共にサンタンジェロ城に避難。
1503年10月8日
勅書を発し、チェーザレ・ボルジア教会の旗手であることを追認する。
1503年10月18日
夜12刻、在位26日間で病死。

関連項目

 The Borgias: 101, 102, 107, 108, 109, 201

本名

 フランチェスコ・トデスキーニ、Francesco Todeschini

別表記

 Cardinal Piccolomini

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com
 JDA's Family Tree
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 THE BORGIAS wiki

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『ローマ教皇検死録』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ヴィンチェンツォ・フェッレーリ Vincenzo Ferreri

生没
1350年1月23日~1419年4月5日
出身
ヴァレンシア
概要

 ヴィンチェンツォ・フェッレーリは、14世紀~15世紀の男性、ドミニコ会修道士。

別表記

 フェルレーリ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

カテリーナ・ダ・シエナ Caterina da Siena

生没
1347年~1380年
概要

 カテリーナ・ダ・シエナは、14世紀のイタリアの女性。

別表記

 聖女カテリーナ、St. Catherine of Siena

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『快楽の中世史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルネサンスの歴史』
 『Lucretia Borgia

ゴーロ・ゲーリ Goro Gheri

在位

 ファーノ司教 1518年~1528年

外部リンク

 GCatholic.com
 Treccani

参考文献

 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『メディチ家』

ジェンティーレ・ベッキ Gentile Becchi

生没
~1497年
出身
ウルビーノ
没地
アレッツォ
著作
フィレンツェ司教会議
概要

 ジェンティーレ・ベッキはロレンツォ・イル・マニーフィコの5歳の頃からの家庭教師、後に外交官に転ずる。

在位

 アレッツォ司教 1473年10月20日~1497年
  先代:ロレンツォ・アッチャイウオリ
  次代:コジモ・デ・パッツィ

年表

1478年11月4日
カファッジョーロでフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの書記であるフェデリーコ・ガッリ宛書簡をしたためる。フィレンツェ共和国は被害者なのであり、初めに仕掛けたのはこちら側ではないと主張する。

外部リンク

 GCatholic.com
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルネッサンス夜話』
 『メディチ家』
 『フィレンツェ史』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ジョヴァンニ・オリヴィエーリ Giovanni Olivieri

生没
~1510年
概要

 ジョヴァンニ・オリヴィエーリは、15世紀~16世紀の男性、聖職者。

在位

 イゼルニア司教 1500年4月8日~1510年

年表

1500年10月
パンドルフォ4世・マラテスタリーミニ出発の日、チェーザレ・ボルジアによる無血開城を祝って大聖堂で荘厳ミサが歌われ、ジョヴァンニ・オリヴィエーリがリーミニの教会に対する忠誠の誓いを受ける。
この後すぐ、リーミニは教皇アレクサンデル6世に使節を送り、パンドルフォ4世・マラテスタからの解放を感謝する。

別表記

 ジョヴァンニ・オリビエーリ

外部リンク

 Catholic-Hierarchy
 GCatholic.com
 Wikipedia

参考文献

 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・カピストラーノ Giovanni Capistrano

生没
1386年~1456年10月23日
概要

 フランシスコ会修道士、説教師、神学者。

年表

1456年7月14日~7月21/22日
ハンガリー制圧を狙ってNándor Fehérvár(現ベオグラード)を襲撃してきたマホメッド2世指揮のオスマン・トルコの大軍に対し、教皇使節である自身らの呼びかけに応じて結集した貧農、貧民、学生らからなる大軍が、フンヤディ指揮の教会軍と共に十字軍を構成して勝利を収め、ハンガリーを防衛。
1456年8月11日
フンヤディ、ペストで死。
1456年10月23日
ペストで死。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『イタリア・ルネサンスの文化』

ジローラモ・ポルカリ Girolamo Porcari

生没
~1503年
ドメニコ・ポルカリ
ジョヴァンナ・デッラ・ヴァッレ
概要

 ジローラモ・ポルカリは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 アンドリア司教 1495年~1503年

年表

1492年
アレクサンデル6世により、教皇庁控訴院院長に任命される。
1493年9月18日
Commentarius Porciusローマで出版。スペイン王と王妃に献呈。この中で、教皇に即位したアレクサンデル6世と、彼に忠節を誓うイタリア各国の大使について書いている。

著作

 『Commentarius Porcius

別表記

 Geronimo PorcariHieronymus Porcius

外部リンク

 GCatholic.com
 Google Books
 Google Books

参考文献

 『Lucretia Borgia

スオール・コロンバ Suor Colomba

生没
1467年2月2日~1501年5月20日
出身
リエーティ
没地
ペルージア
概要

 スオール・コロンバは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1488年

別表記

 Colomba da Rieti

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『The Life of Cesare Borgia

ステファノ・バニョーネ Stefano da Bagnone

生没
1418年~1479年
ニッコロ・ピオヴァーノ・ダ・バニョーネ
概要

 ステファノ・バニョーネは、15世紀のイタリアの男性。

別表記

 ステーファノ・ダ・バリョーネ

外部リンク

 The Assassin's Creed Wiki
 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家の人びと』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

トンマーゾ・インギラーミ Tommaso Inghirami

生没
1470年~1516年9月5日
出身
ヴォルテッラ
没地
ローマ
概要

 トンマーゾ・インギラーミは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

年表

1498年1月16日
ナヴォーナ広場のサン・ヤコポ・デリ・スパニョーリ教会にて、インファンテ・ロマーノのために演説を行う。

別表記

 フェードラ・インギラミ、PhaedraPhaedrusFedra

外部リンク

 Google Books - Contemporaries of Erasmus
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『Lucretia Borgia

バルトロメオ・フローレス Bartolomeo Flores

生没
~1498年7月23日
概要

 バルトロメオ・フローレスは、15世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 ネピ・ストリ司教 1489年8月21日~1495年8月4日
 コゼンツァ大司教 1495年8月4日~1497年9月14日

年表

1489年9月8日
司教。
1497年9月14日
教皇アレクサンデル6世により、教皇秘書官の召使3人と共に20の小勅書を捏造したとして、サンタンジェロ城に投獄される。
死ぬまで暗い部屋で、ランプの油とパンと水が与えられた。
1497年10月
カンポ・デ・フィオーリ広場にて、3人の召使が火刑にされる。

別表記

 Bartholomeo Florido

外部リンク

 Catholic-Hierarchy
 GCatholic.com
 Treccani

参考文献

 『ヨハン・ブルカルトの日記
 『The Life of Cesare Borgia

バルバラ Santa Barbara

ディアスコロス
持ち物

 3つの窓をもつ塔、棕櫚の枝、孔雀の羽根、剣、聖杯、稲妻、本

守護対象

 建築家、石工、砲手、消防士、鉱夫、囚人

芸術作品

別表記

 聖バルバラ

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

フアン・マラデス Juan Marrades

生没
~1499年
概要

 フアン・マラデスは、15世紀頃の男性、聖職者。

在位

 セゴルベ・アルバラシン司教 1499年

別表記

 ジョヴァンニ・マルラデス、GiovanniMarradas

外部リンク

 GCatholic.com

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

フェルナンド・デ・アルメイダ Fernando de Almeida

生没
14??年~1500年1月7日
概要

 フェルナンド・デ・アルメイダは、15世紀のポルトガル人男性、聖職者。

在位

 セウタ(スペイン)司教 1493年7月19年~1499年6月19日
 ヌヴェール(フランス)司教 1499年6月19年~1500年1月7日以前

性格

 野心家で貪欲なはなはだいかがわしい人物。

年表

1499年
シャルロット・ダルブレとの結婚話に際して、どんな代償によってかは不明であるが、チェーザレ・ボルジアを援助。
1500年1月7日
ロマーニャのチェーザレ・ボルジアの野営地での自身の部屋で死。

別表記

 フェルディナンド・ダルメイダ

外部リンク

 GCatholic.com

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

ピエール・アベラール Pierre Abélard

生没
1079年~1142年4月21日
エロイーズ
概要

 ピエール・アベラールは、11世紀~12世紀の男性。

関連項目

 The Borgias: 103, 106

外部リンク

 THE BORGIAS wiki
 ウィキペディア

ペドロ・デ・アランダ Pedro de Aranda

生没
~1500年8月8日
没地
ローマ
概要

 ペドロ・デ・アランダは、14世紀~15世紀のスペイン出身の男性、聖職者。

在位

 カラホラ・カルサーダ司教 1477年~1494年

外部リンク

 GCatholic.org
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『イタリア史』

ベルナルディーノ・ボンジョヴァンニ Bernardino Bongiovanni

生没
~1509年
概要

 ベルナルディーノ・ボンジョヴァンニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 ヴェローナ司教 1501年6月14日~1509年

外部リンク

 GCatholic.com

参考文献

 『Lucretia Borgia

マリアーノ・ダ・ジェナッツァーノ Mariano da Genazzano

生没
1412年~1498年
出身
ジェナッツァーノ
没地
セッサ
概要

 マリアーノ・ダ・ジェナッツァーノは、15世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

ヤコポ・ペーザロ Jacopo Pesaro

肖像

 ヤコポ・ペーザロの奉納画

参考文献

 『ルネッサンスの光と闇』

ラッツァーロ・スカランピ Lazzaro Scarampi

生没
~1466年
概要

 ラッツァーロ・スカランピは、15世紀頃のイタリアの男性、聖職者。

在位

 コモ司教 1460年8月20日~1466年

外部リンク

 GCatholic.com

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』

ルカ・リナルディ Luca Rinaldi

在位

 トリエステ司教 1500年~1501年

外部リンク

 GCatholic.com

参考文献

 『君主論』

レオネッロ・キエリカート Leonello Chiericato

生没
~1506年8月19日
概要

 レオネッロ・キエリカートは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 アルバ司教 1472年1月8日~1484年1月19日
 トロギル司教 1484年1月19日~1488年10月22日
 コンコルディア司教 1488年10月22日~1506年8月19日

外部リンク

 GCatholic.com
 Treccani

参考文献

 『Lucretia Borgia

アントーニオ・マッフェイ Antonio Maffei

生没
1450年~1478年
ゲラルド・マッフェイ
概要

 アントーニオ・マッフェイは、15世紀のイタリアの男性。

別表記

 フラーテ・アントーニオ、アントーニオ・デ・マックェイ

外部リンク

 The Assassin's Creed Wiki
 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家の人びと』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

アントニーノ・ピエロッツィ Antonino Pierozzi

生没
1389年3月1日~1459年5月2日
出身
フィレンツェ
没地
モントゥーギ
概要

 アントニーノ・ピエロッツィは14世紀~15世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 ドミニコ会総長 1433年~1443年
 フィレンツェ大司教 1446年~1459年5月2日

年表

1437年
コジモ・イル・ヴェッキオの大きな協力を得てサン・マルコ修道院の修築を始める。
1444年
アントニーノ・ピエロッツィは、コジモ・イル・ヴェッキオの莫大な財政的支援の下、コジモ・イル・ヴェッキオが指定し雇ったミケロッツォ(1396年~)の設計、指揮により、サン・マルコ修道院・聖堂を再建。
1458年7月2日~7月31日
メディチ家に対抗心を燃やしながらもコジモ・イル・ヴェッキオの威勢に服しているルカ・ピッティは、1458年7月~8月の正義の旗手に就くや直ちに共和政の事実上の変改を試み続けるがジローラモ・マキアヴェッリらの強い反対で斥けられる。
この間、かねてからコジモ・イル・ヴェッキオの莫大な財政的支援を受けてきたサン・マルコ修道院のアントニーノ・ピエロッツィは、敢然として自ら筆を取って国法遵守誓約違反及び共和政変改を非難する文書を書き、主要教会に張り出す。
1459年5月2日
ドミニコ会総長(1433年~1444年)でこの年までにSumma teologiae(別名Summa moralis:(倫理)神学大全)を完成させた(1440年~)アントニーノ・ピエロッツィ、フィレンツェで死(1389年~)。(1523年聖人に列せされ、Sant'Antoninoと通称される)
1477年
アントニーノ・ピエロッツィの遺作Summa teologiae(別名Summa moralis:(倫理)神学大全)、ヴェネツィアとドイツ・シュパイアーで刊。以後15年の間にこの作、ヴェネツィアで次々と版を重ねた他スイス・バーゼルでも版を重ねて刊。
1484年
アントニーノ・ピエロッツィの遺作Chronicon(年代記(別名Summa historialis:歴史大全)、ニュルンベルクで刊。以後この作、1491年バーゼルで刊の他1517年以降リヨンで版を重ねて刊。
1523年
聖アントニヌスとして列聖される。

外部リンク

 Catholic Encyclopedia
 EWTN
 GCatholic.com
 Saints.SQPN.com
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ベルナルディーノ・ルナーティ Bernardino Lunati

生没
1452年~1497年
出身
パヴィア
没地
ローマ
概要

 ベルナルディーノ・ルナーティは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1493年9月20日~1497年
     任命した教皇:アレクサンデル6世

年表

1496年10月26日
枢機卿会議で、対オルシーニ戦の教会軍総司令官フアン・ボルジアグイドバルド・ダ・モンテフェルトロを支援する教皇代理に任命される。
1496年10月28日
ローマ出発。

別表記

 ルナーテ、LunateBernardino di Lunati

外部リンク

 Araldica Vaticana
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ロレンツォ・カンペッジオ Lorenzo Campeggio

生没
1471/72年~1539年7月25日
概要

 ロレンツォ・カンペッジオは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1517年7月1日~1539年
     任命した教皇:レオ10世

年表

1517年7月1日
レオ10世、ウルビーノ争奪戦の費用などを調達すると共に教皇庁内における自己の立場を固めるため、自らの甥ジョヴァンニ・サルヴィアーティ(1490年~1553年:枢機卿在位1517年~1553年)、ニッコロ・リドルフィ(1501年~1550年:枢機卿在位1517年~1550年)及び高名な人士ないし学者ロレンツォ・カンペッジオ(1474年~1539年)、J. Cajetanusエジーディオ・ダ・ヴィテルボF. Ximénez de Cisnerosらを含む31名の枢機卿を任命し、かつ多くの聖職を新たに設けて競売に付す。これにより巨額の資金を得る。
1528年6月
前年ヘンリー8世から出された妻カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立確認の訴えについて、カテリーナ・ダラゴーナの甥カール5世の監視下で自由な判定をなし得ないまま逃避的な態度を取り続けてきたクレメンス7世ヘンリー8世の執拗な要求の前に、イングランドで教皇使節法廷を開いて問題を審議、判定することをやむなく認め、使節として枢機卿ロレンツォ・カンペッジオを任命。
1529年5月31日
ヘンリー8世から出された彼とカテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立の訴えを審議するロンドンの教皇特使法廷が、ロレンツォ・カンペッジオトマス・ウルジーの主導下で開催される。

在位

 ボローニャ司教 1523年12月2日~1525年12月20日

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ルドヴィーコ・スカランピ Ludovico Scarampi

生没
1401年11月~1465年3月22日
概要

 ルドヴィーコ・スカランピは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1440年~1465年

年表

1401年11月
生。
1465年3月22日
死。

在位

 フィレンツェ大司教 1437年8月6日~1439年12月18日
 アクイレイア総大司教 1439年12月18日~1465年3月22日
 枢機卿 1440年7月1日~1465年3月22日
       任命した教皇:エウゲニウス4世

肖像

 ルドヴィーコ・トレヴィサーノ枢機卿の肖像

別表記

 ルイジ、スカランポ、Luigi

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

フランチェスコ・ダッシジ San Francesco d'Assisi

生没
1181/82年~1226年10月3日
概要

 フランチェスコ・ダッシジは、12世紀~13世紀の男性。

年表

1219年
第5次十字軍が駐留するエジプトに到着。
供を1人連れただけでスルタンのメレク・アル=カーミルと会見。この席でフランチェスコ・ダッシジはイスラム法学者との対決を望み、神明裁判を持ちかける。すなわち、燃え盛る炎の上を歩いてどちらに神の庇護があるかを競おうという火の試練である。フランチェスコ・ダッシジは先に自分が渡って無事であったらキリスト教へ改宗するようスルタンに迫るが、スルタンがこれを拒否したため、誰も渡らず。

肖像

別表記

 聖フランチェスコ、アッシジのフランチェスコ

外部リンク

 ウィキペディア
 Treccani.it

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『修道院』
 『服飾の中世』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『Lucretia Borgia

アンジェロ・レオニーニ Angelo Leonini

生没
~1517年
概要

 アンジェロ・レオニーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 ティヴォリ司教 1499年10月2日~1509年8月3日
 サッサーリ大司教 1509年8月3日~1515年

外部リンク

 Catholic-Hierarchy
 GCatholic.com
 Treccani

アンブロジウス Ambrosius

生没
340年?~397年4月4日
記念日
12月7日
守護都市
ミラノ
概要

 アンブロジウスは、4世紀の男性、四大ラテン教父の1人。

肖像

別表記

 アンブロシウス、アンブロジュウス、アンブロジオ

外部リンク

 ウィキペディア

参考文献

 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia

フアン・ロドリゲス・デ・フォンセカ
Juan Rodríguez de Fonseca

生没
1451年~1524年3月4日
概要

 フアン・ロドリゲス・デ・フォンセカは、15世紀~16世紀の男性。

関連項目

 The Borgias: 108

外部リンク

 Wikipedia

マルコ・コッポラ Marco Coppola

生没
~1527年
フランチェスコ・コッポラ
概要

 マルコ・コッポラは、15世紀~16世紀の男性、聖職者。

在位

 モンテペローゾ司教 1498年11月26日~1527年

年表

1486年8月13日
ナポリフェッランテ・ダラゴーナの孫マリーア・トデスキーニとの結婚のためカステル・ヌオーヴォに赴くが、大広間に花嫁の代わりに兵を連れて入って来たフェッランテ・ダラゴーナにより、男爵たちの陰謀に加担したとして父フランチェスコ・コッポラと共に逮捕され投獄される。
1491年4月
釈放される。
1491年4月24日
修道士になる。
1498年11月26日
モンテペローゾ司教に任命される。
1527年
死。

別表記

 Marco Copula

外部リンク

 Academia.edu
 GCatholic.com

アントーニオ・トリヴルツィオ Antonio Trivulzio

生没
1457年1月18日~1508年3月18日
出身
ミラノ
没地
ローマ
ピエトロ・トリヴルツィオ
ラウラ・ボッシ
概要

 アントーニオ・トリヴルツィオは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 コモ司教 1487年8月27日~1508年3月18日
 サンタナスタジア司祭枢機卿 1500年10月5日~1505年12月1日
 カメルレンゴ 1505年~1506年
 サント・ステファノ・アル・モンテ・チェリオ司祭枢機卿 1505年12月1日~1507年1月4日

外部リンク

 GCatholic.com
 Project Gutenberg - Beatrice d'Este, Duchess of Milan, 1475-1497 by Julia Cartwright
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

ルイジ・デ・ロッシ Luigi de' Rossi

生没
1474年8月6日~1519年8月20日
リオネット・デ・ロッシ
マリーア・デ・メディチ
概要

 ルイジ・デ・ロッシは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1517年7月1日~1519年8月20日
     任命した教皇:レオ10世

肖像

 レオ10世と枢機卿たち

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

オリヴィエーロ・カラーファ Oliviero Carafa

生没
1430年~1511年1月20日
フランチェスコ・カラーファ
概要

 オリヴィエーロ・カラーファは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1467年9月18日~1511年1月20日
     任命した教皇:パウルス2世

別表記

 オリヴィエーリ・カラファ、ウルヴィエリ・カラッファ、Ulvieri CaraffaCardinal of Naples

外部リンク

 GCatholic.com
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ボルジア家の黄金の血』
 『メディチ家』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『The Life of Cesare Borgia

マルコ・コルナーロ Marco Cornaro

生没
1482年~1524年
ジョルジョ・コルナーロ
エリザベッタ・モロジーニ
概要

 マルコ・コルナーロは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1500年9月28日~
     任命した教皇:アレクサンデル6世

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』

ブランダ・カスティリオーネ Branda Castiglione

生没
1415年~1487年7月16日
出身
ミラノ
没地
ローマ
ヤコポ・カスティリオーネ
概要

 ブランダ・カスティリオーネは、15世紀頃のイタリアの男性、聖職者。

在位

 コモ司教 1466年10月8日~1487年7月16日

年表

1487年7月16日
ローマにて、死(1487年7月15日)。

別表記

 ブランダ・カスティリオーニ、Branda da CastiglioneCastiglioni

外部リンク

 GCatholic.com
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『April Blood

ジュリアーノ・チェザリーニ Giuliano Cesarini

生没
1466年5月20日~1510年5月1日
出身
ローマ
ガブリエーレ・チェザリーニ
ゴディーナ・コロンナ
概要

 ジュリアーノ・チェザリーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1493年9月20日~1510年5月1日
     任命した教皇:アレクサンデル6世

チェーザレ・ボルジア数

 きょうだいジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジローラマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 Giuliano II Cesarini

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』
 『Casa Cesarini. Ricerche e documenti
 『Lucretia Borgia

フランチェスコ・ミネルベッティ Francesco Minerbetti

トンマーゾ・ミネルベッティ
概要

 フランチェスコ・ミネルベッティは、16世紀頃のイタリアの男性、聖職者。

在位

 サッサーリ大司教 1515年?~1525年以前
 アレッツォ司教 1527年~1537年

年表

1523年
ジューリオ・デ・メディチの教皇即位の祝賀行事、市を挙げて盛大かつ華麗に繰り広げられる。
新教皇クレメンス7世に祝意と恭順の意を表する使節を派遣することにし、フランチェスコ・ミネルベッティ、フランチェスコ・ヴェットーリロレンツォ・モレッリヤコポ・サルヴィアーティ、ジョヴァンニ・トルナブオーニ、ロレンツォ・ストロッツィ、パッラ・ルチェッライロベルト・アッチャイウオリ、アントーニオ・デ・パッツィ、ガレオット・メディチ、アレッサンドロ・プッチの11名が選出される。

外部リンク

 GCatholic.com

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

メルヒオール・フォン・メッカウ Melchior von Meckau

生没
1440年頃~1509年3月3日
没地
ローマ
概要

 メルヒオール・フォン・メッカウは、15世紀~16世紀のドイツ出身の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 ブリクセン司教 1489年6月20日~1509年3月3日
 枢機卿 1503年5月31日~1509年3月3日

年表

1493年11月7日
ミラノ到着。オリエンターレ門でバーリルドヴィーコ・イル・モーロミラノジャン・ガレアッツォ・スフォルツァに迎えられ、スフォルツァ城へ案内される。3週間歓迎を受ける。

外部リンク

 GCatholic.com
 Wikipedia

ジョヴァンニ・アルチンボルディ Giovanni Arcimboldi

生没
1426年~1488年10月2日
出身
パルマ
没地
ローマ
ニッコロ・アルチンボルディ
オルシーナ・カノッサ
概要

 ジョヴァンニ・アルチンボルディは、15世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 ミラノ大司教 1457年~1466年
 枢機卿 1473年5月7日~
     任命した教皇:シクストゥス4世

年表

1472年5月8日
ローマにて、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ宛てに手紙をしたためる。
1472年5月23日
ローマにて、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ宛てに手紙をしたためる。

別表記

 Giovanni Arcimboldo

外部リンク

 Google Books - Milano nella storia dell'età moderna
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

ジャンバッティスタ・メッリーニ Giambattista Mellini

生没
1405年6月9日~1478年7月24日
出身
ローマ
没地
ローマ
概要

 ジャンバッティスタ・メッリーニは、15世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 ウルビーノ司教 1468年~1478年
 枢機卿 1476年12月18日~
     任命した教皇:シクストゥス4世

年表

1477年1月1日
シクストゥス4世により、ミラノロンバルディアの教皇代理に任命される。
1477年1月27日
ミラノへ向け、ローマ出発。
1477年5月9日(金)
ローマ到着。

埋葬地

別表記

 Giovanni Battista MelliniCardinal of Urbino

外部リンク

 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

ジョルジョ・コスタ Jorge da Costa

生没
1406年~1508年9月18日
概要

 ジョルジョ・コスタは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1476年12月18日~
     任命した教皇:シクストゥス4世

年表

1501年9月
枢機卿会議で、ルクレツィア・ボルジアを考慮してエステ家に好意を示しているような発言をする。

備考

 ルクレツィア・ボルジアの代父。

埋葬地

別表記

 Giovanni of PratoCardinal of LisbonCardinal of Colenzo

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家の黄金の血』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ニコラウス・クザーヌス Nicolaus Cusanus

生没
1401年~1464年8月11日
出身
Bernkastel-Kues
概要

 ニコラウス・クザーヌスは、15世紀の男性、哲学者、神学者、カノン法学者、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1448年12月20日~1464年8月11日

年表

1401年
ドイツ西部Tier近郊Bernkastel-Kuesに誕生。
1433年
帝国改革案の1つ、一種の連邦国家を目指すDe concordantia catholica(カトリック共和論)執筆。
1440年2月12日
De docta ignorantia(学識ある知)をドイツ西部ベルンカステル・クースで脱稿。
1453年
De pace seu concordantia fidei(平和あるいは信仰の和合)を執筆。
1464年8月11日
ペルージア近郊トーディで死。

埋葬地

別表記

 ニコラウス・クサヌス

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネッサンスの光と闇』

ジョヴァンニ・ネローニ Giovanni Neroni

生没
~1473年7月18日
出身
フィレンツェ
没地
ローマ
ネローネ・ネローニ
レオナルダ・クレーシ
概要

 ジョヴァンニ・ネローニは、15世紀頃のイタリアの男性、聖職者。

在位

 ヴォルテッラ司教 1450年~1461年
 フィレンツェ大司教 1462年~1473年7月18日

別表記

 ジョヴァンニ・ネッロ

外部リンク

 GCatholic.com
 Treccani

参考文献

 『メディチ家の人びと』

カルロ・ボッロメオ Carlo Borromeo

生没
1538年10月2日~1584年11月3日
出身
アローナ
没地
ミラノ
ジベルト2世・ボッロメオ
マルゲリータ・デ・メディチ
概要

 カルロ・ボッロメオは、16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1560年1月31日~
     任命した教皇:ピウス4世
 ミラノ教区長 1560年2月7日~1564年5月12日
 ミラノ大司教 1564年5月12日~1584年11月3日

年表

1560年1月31日
ピウス4世、甥カルロ・ボッロメオを枢機卿に叙任し、さらに1560年2月8日ミラノ大司教に叙任(在位~1584年)。
1566年末
この頃?、教皇ピウス5世、故ピウス4世がトレント公会議の決議に基づきその甥・枢機卿カルロ・ボッロメオの監修下で4名の神学者に執筆させた主任司祭用の教理問答書を、最終的に校閲させラテン・イタリア両語で、ローマで刊行させる(Catechismus Romanusローマ公教要理)。

別表記

 ボロメオ、Carolus Borromaeus

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Find A Grave
 Find A Grave
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Veneranda Biblioteca Ambrosiana

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ローマ教皇検死録』

ジョヴァンニ・バッティスタ・サヴェッリ Giovanni Battista Savelli

生没
1422年頃~1498年9月18日
没地
ローマ
ニコラ・サヴェッリ
概要

 ジョヴァンニ・バッティスタ・サヴェッリは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1480年5月15日~
     任命した教皇:シクストゥス4世

別表記

 GianbattistaGianbattista Savelli

外部リンク

 GCatholic.com
 REQUIEM - DATENBANK
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ラウラ・ボイアルド Laura Boiardo

ジューリオ・アスカーニオ・ボイアルド
コルネーリア・タッデア・ピオ
概要

 ラウラ・ボイアルドは、15世紀~16世紀のイタリアの女性、聖職者。

年表

14??年
生。
1514年頃
コルプス・ドミニ修道院長を務めていたが、この頃、サン・ベルナルディーノ修道院長となる。
15??年
死。

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

アドリアーノ・ダ・カステッレジ Adriano da Castellesi

生没
1458年頃~1521年12月/1522年1月
出身
コルネート
概要

 アドリアーノ・ダ・カステッレジは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。
 教皇アレクサンデル6世の死とチェーザレ・ボルジアの重病とが時を同じくしたことに関して、彼らがコルネート枢機卿のために作った毒を誤って飲んだという噂がある。

在位

 枢機卿 1503年5月31日~1521年12月/1522年1月
     任命した教皇:アレクサンデル6世

年表

1458年頃
コルネートにて、生。
14??年
教会首席書記官。
1489年~1514年
イングランドのサン・ピエトロの寄進徴収官に任命される。
1490年
イングランドとスコットランドの和平を取り持つため、インノケンティウス8世によりイングランドへ派遣される。ヘンリー7世の信頼を得る。
149?年
ローマ到着。
アレクサンデル6世の教皇の間付き事務官、秘書官に任命される。
1498年6月4日
新フランス王ルイ12世への教皇の祝辞を持参するため、ドゥブロヴニク大司教ジョヴァンニ・サッコを筆頭とする教皇特使団の一員として、ローマ出発。
1500年
教会財務官。
150?年
教皇庁駐在イングランド大使。
150?年
イングランド王ヘンリー7世の要請により、司教位に叙階される。
1502年2月14日~1504年8月2日
ヘレフォード司教に選出される。聖別については不明。
1503年5月31日
枢機卿会議にて、司祭枢機卿に列せられる。
1503年6月2日
司祭枢機卿を公表される。
1503年6月12日
サン・クリゾーゴノ司祭枢機卿の称号を受け取る。
1503年8月5日
別荘にて晩餐会を開き、アレクサンデル6世チェーザレ・ボルジアを招待する。
1503年8月
アレクサンデル6世が病床に就いた12日以前に、アドリアーノ・ダ・カステッレジが病に倒れる。
1503年8月18日(金)
1503年8月
アレクサンデル6世を、おそらく誤って、毒殺したとして糾弾される。

別表記

 コルネート・アドリアーノ・ダ・カステッレージ、カステッリ・コルネート枢機卿、ハドリアヌス枢機卿、ダ・コルネート、Corneto Adriano da CastellesiAdriano CastelliAdrian

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『ローマ教皇検死録』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

アントーニオ・チョッキ・デル・モンテ Antonio Maria Ciocchi del Monte

生没
1462年~1533年9月20日
出身
モンテ・サン・サヴィーノ
ファビアーノ・チョッキ・デル・モンテ
概要

 アントーニオ・チョッキ・デル・モンテは、チェーザレ・ボルジアロマーニャ・ロータ長官、ロマーニャ総督を兼任。

年表

1462年
法律家ファビアーノ・チョッキ・デル・モンテの長男としてモンテ・サン・サヴィーノに、生(1461年)。
14??年
法律を修了後、聖職者となる。
1492年
インノケンティウス8世により、preposituraに任命される。
アレッツォ、モンテプルチアーノ、モンテ・サン・サヴィーノなどの教会から聖職禄を少しずつ蓄え始める。
1493年3月27日
ロータの監査官に就任。
1498年
アレクサンデル6世により、チッタ・ディ・カステッロ司教とローマのロータ長官を約束される。
1502年7月末
枢機卿会議で、チェゼーナを拠点としたチェーザレ・ボルジアの領土のロータ司法・治安機関が設置されることになり、その長官にアントーニオ・チョッキ・デル・モンテが任命される。
教会首席書記官に任命される。
1502年9月上旬~1502年10月
この頃、チェーザレ・ボルジア、統一的司法組織ロータを設置。その長官に、ロマーニャで人望を集めていた法律家<アントーニオ・チョッキ・デル・モンテが任命される。さらに行政上の最高権限をも与えられ、ロマーニャ総督に就任。
1502年11月26日
1502年11月29日
反乱者を免じる手紙を持ち、再征服地の占有を委任されて、グイドバルド・ダ・モンテフェルトロの降伏を話し合うため、パオロ・オルシーニと共に、ウルビーノへ向けイーモラ出発。
1502年12月6日
1502年12月8日
グイドバルド・ダ・モンテフェルトロが降伏し、アントーニオ・チョッキ・デル・モンテに地位を譲ってウルビーノを去る(1502年12月9日)。
1502年12月
この月中、ウルビーノに滞在。
1503年2月
サン・マリーノ共和国軍を強化。
1503年2月
マイオーロとサン・レオを降伏させる。
1503年7月24日
チェーザレ・ボルジアが前年ロマーニャ全域の統一的支配のため設置したRotaチェゼーナを中心にファーノペーザロリーミニファエンツァフォルリイーモラに開設され、その開設式が長官アントーニオ・チョッキ・デル・モンテの出席のもとチェゼーナで盛大に行われる。
1503年8月4日
1503年11月
チェゼーナにいる。
1504年1月
ユリウス2世により、チェゼーナの行政長官に任命される。

肖像

 アントーニオ・チョッキ・デル・モンテ枢機卿の肖像

在位

 チッタ・ディ・カステッロ司教 1503年8月4日~1506年2月6日
 枢機卿 1511年3月10日~1533年9月20日

別表記

 アントーニオ・チョッキ・ダル・モンテ、Antonio da Monte San SavinoAntonio dal MonteAntonio di Monte Sansovino

外部リンク

 GCatholic.org
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『君主論』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『The Life of Cesare Borgia

ベルナルディーノ・カルバハル Bernardino Carvajal

生没
1456年9月8日~1523年12月16日
出身
プラセンシア
フランシスコ・カルバハル
アルドンカ・デ・サンデ
概要

 ベルナルディーノ・カルバハルは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。フアン・カルバハルの甥。

在位

 アストルガ司教 1488年8月27日~1489年1月23日
 バダホス司教 1489年1月23日~1493年3月27日
 カルタヘナ司教 1493年3月27日~1495年2月20日
 サンティ・マルチェッリーノ・エ・ピエトロ司祭枢機卿

1493年9月23日~1495年2月2日
 サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ司祭枢機卿
1495年2月2日~1507年8月3日
 シグエンサ司教 1495年2月20日~1511年10月24日
 カメルレンゴ 1498年1月~1499年1月9日
 アヴェッリーノ教区長 1503年7月28日~1505年
 フリジェント教区長 1503年7月28日~1505年
 エルサレム総大司教 1503年12月30日~1511年10月24日
 アルバーノ司教枢機卿 1507年8月3日~1507年9月17日
 フラスカーティ司教枢機卿 1507年9月17日~1508年9月22日
 ロッサーノ教区長 1508年1月10日~1519年6月20日
 パレストリーナ司教枢機卿 1508年9月22日~1509年3月28日
 サビーナ司教枢機卿 1509年3月28日~1511年10月24日
 シグエンサ司教 1513年6月27日~1519年
 サビーナ司教枢機卿 1513年6月27日~1521年7月24日
 エルサレム総大司教 1513年6月27日~1523年2月20日
 プラセンシア司教 1521年1月14日~1523年12月16日
 オスティアヴェッレトリ司教枢機卿 1521年7月24日~1523年12月16日
 首席枢機卿 1521年7月24日~1523年12月16日
 フォリーニョ教区長 1522年9月26日~1523年2月4日

年表

1456年9月8日
スペインのプラセンシアに生。
14??年
サラマンカにて神学を学ぶ。
1472年
神学学士号を取得。
1478年
神学博士号を取得。
1480年
神学修士号を取得。
148?年
ローマ到着。
1482年11月1日
教皇シクストゥス4世と枢機卿の前でSermo in die omnium Sanctorumを読み上げる。
1484年初め
シクストゥス4世の侍従に任命される。
1485年9月
公衆の面前でスペイン外交官と口論し、激しい性格を表す。
1485年9月19日
教皇使節としてスペインに派遣される。
1488年初め
スペイン大使としてイタリアに戻る。
1488年12月21日
司教に叙階される。
1490年3月
グラナダ制圧を祝う祝典を主催。ピエトロ・パオロ・ポンピリオから頌詩『De triumpho Granatensi』を献呈される。
1493年9月20日
アレクサンデル6世により、枢機卿に任命される。
1496年7月6日
フランスと戦うためにイタリアに来る神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世への使節に選ばれる。
1496年7月29日
1496年8月31日
メーダにて、マクシミリアン1世と会見。
1496年
ヴィジェーヴァノ、ジェノヴァ、コモに赴き、フランス王によるイタリア南下の脅威のためマクシミリアン1世イタリアに残ってもらえるよう嘆願。
しかし、ヴェネツィア共和国とスフォルツァ家の支援を得られず、年末、マクシミリアン1世はティロルに戻る。
1497年3月
ローマ到着。
1504年2月17日
チェーザレ・ボルジアオスティア到着の翌日、ベルナルディーノ・カルバハルも到着し、彼の監視にあたる。
1504年4月19日
チェーザレ・ボルジアの監視は40日間の約束だったが、教皇ユリウス2世の許可を待たず、彼を解放する。
1505年12月
19人の新枢機卿任命に反対すると、ユリウス2世に30人に増やすと脅される。
1506年8月
ユリウス2世ローマ出発時、全枢機卿が随行したが、ベルナルディーノ・カルバハルは許可なしに残る。
1507年4月
ナポリにいるフェルナンド2世・デ・アラゴンへの使節に任命される。
1507年5月下旬
ナポリ到着。
1511年10月24日
枢機卿を解任される。
1513年6月27日
枢機卿に再任命される。

別表記

 カルヴァジャル、カルヴァヤル、サンタ・クローチェ枢機卿、Bernardino Lopez de CarvajalCardinal of Santa Croce

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani.it
 Treccani.it
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『The Life of Cesare Borgia

ベルナルド・ドヴィツィ・ダ・ビッビエーナ Bernardo Dovizi da Bibbiena

生没
1470年8月4日~1520年11月9日
出身
ビッビエーナ
没地
ローマ
フランチェスコ・ドヴィツィ
フランチェスカ・ヌタッリーニ
概要

 ベルナルド・ドヴィツィ・ダ・ビッビエーナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿、著作家、外交官。

在位

 枢機卿 1513年9月23日~1520年11月9日
     任命した教皇:レオ10世

年表

1470年8月4日
アレッツォ近郊ビッビエーナに生(1470年8月2日)。
1494年
フェッランテ・ダラゴーナの死後、フィレンツェ共和国大使としてナポリへ行き、アルフォンソ2世・ダラゴーナを反フランス同盟に引き入れるため働きかける。。
1494年9月
フランス軍を迎え撃つため出発したカラブリアフェッランディーノ・ダラゴーナについて、ロマーニャに赴く。
1494年9月23日
サン・ベルナルドの野営地にて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。フェッランディーノ・ダラゴーナカテリーナ・スフォルツァが会談。
1494年9月26日
ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。
1494年10月7日
サンターガタの野営地にて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。フェッランディーノ・ダラゴーナカテリーナ・スフォルツァが合意に達する。
1494年10月8日
サンターガタの野営地にて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。ジョヴァンニ2世・ベンティヴォーリオがムリネッラ通りなど通行許可を敵に与えたと、カテリーナ・スフォルツァフェッランディーノ・ダラゴーナに知らせる。カテリーナ・スフォルツァは教皇アレクサンデル6世から息子オッタヴィアーノ・リアリオに地位確定の決定的な勅書を求めている。
1494年10月9日
サンターガタの野営地にて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。
1494年10月11日
ファエンツァの野営地にて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。
1494年10月21日
ファエンツァの野営地にて、ピエロ・イル・ファトゥオ宛てに手紙を書く。モルダーノ劫掠について。
1513年9月23日
レオ10世、従弟ジューリオ・デ・メディチ及び甥インノチェンツォ・チーボ(1491年~1550年:枢機卿在位1513年~1550年)、同族ロレンツォ・プッチ、自分の秘書でかつての家庭教師ベルナルド・ドヴィツィ・ダ・ビッビエーナの3名を新たに枢機卿に任命。
1518年4月半ば
レオ10世、対オスマン・トルコ十字軍結成を訴えるべく、自分が取り立てた枢機卿たちベルナルド・ドヴィツィ・ダ・ビッビエーナ、エジーディオ・ダ・ヴィテルボをそれぞれ、1518年4月13日フランソワ1世のもとへ、1518年4月16日カルロス1世のもとへ特使として派遣。
1518年12月
フランソワ1世レオ10世の特使ベルナルド・ドヴィツィ・ダ・ビッビエーナを介して交渉を進め、自己の利益を引き出し確保しつつレオ10世との協調を深める。
1513年2月6日
ベルナルド・ドヴィツィ・ダ・ビッビエーナのCalandria(カランドゥリア)、ウルビーノの宮廷で上演。(以後、1514年~1515年ローマで、1521年~1522年ヴェネツィアで、1532年マントヴァで上演。1521年シエナで刊)。
1520年11月9日
ローマで死。
1533年
ニッコロ・マキアヴェッリLa Mandragola、恐らくフィレンツェBernardo di Giunta書房よりベルナルド・ドヴィツィ・ダ・ビッビエーナの喜劇Calandriaと合わせて一冊本で刊。
1554年
ニッコロ・マキアヴェッリLa Mandragola、1531年Nicolò d'Aristotile版を底本として、ベルナルド・ドヴィツィ・ダ・ビッビエーナの喜劇Calandriaと合わせて一冊本で、Girolamo Ruscelliの校訂を経てヴェネツィアPlinio Pietrasanta書房より刊。

肖像

別表記

 ビビエーナ、Il Bibbiena

外部リンク

 GCatholic.com
 Google Books - Caterina Sforza Volume III
 Google Books - The Tigress of Forlì
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史Ⅴ』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

ジョルジュ・ダンボワーズ Georges d'Amboise

生没
1460年~1510年
概要

 ジョルジュ・ダンボワーズは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1498年9月17日~1510年
     任命した教皇:アレクサンデル6世

年表

1499年10月6日
ルイ12世ミラノ入城に随行。
1500年5月10日
この日?、ピエロ・ソデリーニをミラノに派遣し、ルイ12世の宰相ジョルジュ・ダンボワーズに対してそのミラノ制圧、支配に祝意を表すると共に、1499年11月の約定に基づくピサ攻略へのフランス軍の派遣の具体的条件について交渉。王に多額の軍資金を支払うという条件を飲んで交渉、ようやく妥結。
1501年7月初め
ミラノ到着。
1501年10月13日
この日?、マクシミリアン1世ルイ12世(の代理、宰相ジョルジュ・ダンボワーズ)、イタリアの処置に関して秘密裡に協定。
1501年10月
この頃、マクシミリアン1世と協定を結んでミラノに帰ったジョルジュ・ダンボワーズのもとにアントーニオ・マレゴンネッレベネデット・デ・ネルリを派遣し、フィレンツェの防衛、保護を要請するが、何らの言質も与えられずに終わる。
1501年10/11月
この頃?、ヴォルテッラの司教フランチェスコ・ソデリーニルカ・デリ・アルビッツィルイ12世と宰相ジョルジュ・ダンボワーズのもとに送り、ブロワで、ナポリ攻略の成功に対する祝意を表すると共に、チェーザレ・ボルジアのトスカーナ攻略からフィレンツェを防衛してくれるよう懇請するが、冷たく拒絶される。
1508年12月10日
カンブレー同盟:ユリウス2世の呼びかけでマクシミリアン1世ルイ12世、それぞれ代理として娘マルグリット・ドートリッシュ、宰相ジョルジュ・ダンボワーズをカンブレーに送り、表向き対オスマン・トルコを装って対ヴェネツィア同盟を締結。
後にフェルナンド2世・デ・アラゴン、イングランド王ヘンリー7世、ハンガリー王ウラースロー2世・ヤギェウォフェッラーラアルフォンソ1世・デステ、マントヴァ候フランチェスコ2世・ゴンザーガ、サヴォイア公カルロ2世も加盟。ユリウス2世は翌1509年ようやく正式に加盟。
1510年1月
オスマン・トルコ、フランスルイ12世、ドイツマクシミリアン1世、スペインフェルナンド2世・デ・アラゴンへの、とりわけフランスルイ12世への対抗勢力として利用するためヴェネツィアを過度に弱めない方針をとることを決めた教皇は、対ヴェネツィア戦をさらに強く断行すべしとのルイ12世の宰相ジョルジュ・ダンボワーズの申し入れを拒絶。
1510年5月25日
ルイ12世の宰相、枢機卿ジョルジュ・ダンボワーズ、リヨンで死。
ルイ12世ユリウス2世と和解させることに努めてきたジョルジュ・ダンボワーズの死により、以後、両者の対立、より深刻化する。

別表記

 ダンボアーズ、ロアン枢機卿、monsignor di Roano

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ヨハネス・ベッサリオン Johannes Bessarion

生没
1403年~1472年
概要

 ヨハネス・ベッサリオンは、15世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1439年12月18日~1472年
     任命した教皇:エウゲニウス4世

年表

1438年3月4日
ビザンティン皇帝ヨハネス8世・パレオロゴス、トレビゾント生まれの人文主義者・神学者ヨハネス・ベッサリオン(1403年~)、コンスタンティノポリス生まれの哲学者、人文主義者ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン(1355年頃~1450/52年)ら、会議が開催されていたフェッラーラに到着。4日後コンスタンティノポリス総主教Iosephフェッラーラに到着。東西両教会の合同の討議を行なう(~1439年)。
1439年7月6日
フィレンツェ公会議で、オスマン・トルコに対抗するための西ヨーロッパからの支援を約束されたギリシア正教会側の妥協により、前日、東西両教会の合同案に署名がなされ、この日、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂前で公表される。
この公会議に出席したヨハネス・ベッサリオン、ゲオルギオス・ゲミストス・プレトンらギリシアの聖職者や学者たち、ギリシア語・ギリシア古典についてイタリア人に教示し、古典復活に大きく貢献。この後こうしたギリシアの学者・文人のイタリア移住、始まる。
1440年
コジモ・イル・ヴェッキオや彼を囲む文人、学者ら、前年のフィレンツェ公会議終了後もこの地に留まったゲオルギオス・ゲミストス・プレトンやその弟子・枢機卿ヨハネス・ベッサリオン(在位1439年12月~1472年)からプラトン哲学を知るなど強い刺激を受ける。コジモ・イル・ヴェッキオは以後プラトン学園の設立を構想。
1463年7月
ピウス2世、対オスマン・トルコ十字軍の結成に再び専心。
この月、枢機卿ヨハネス・ベッサリオンをヴェネツィアに派遣し、オスマン・トルコに対する公式の宣戦布告及びキリスト教諸国・諸権力者による十字軍への参加を促す。しかしヴェネツィアはいずれにも難色を示す。
1468年5月13日
ヨハネス・ベッサリオン、多数の蔵書(ギリシア語写本)をヴェネツィアの元老院に寄贈。Biblioteca Marcianaの基をなす。
1471年12月23日
シクストゥス4世、オスマン・トルコに対するキリスト教世界の防衛を説く使節を枢機卿の中から選んでヨーロッパ各国に送ることを決め、ヨハネス・ベッサリオン、ロドリゴ・ボルジアアンジェロ・カプラーニカ(1410年頃~1478年:在位1460年~1478年)、マルコ・バルボをこの任に当てる。さらに1471年12月末、各国に防衛の具体案を講ずるよう促す勅書を発する。但し、使節は翌1472年4月以降出発。
1472年11月18日
ヨハネス・ベッサリオン、ルイ11世のもとへの教皇使節からの帰途、ラヴェンナで死。
1469年
ヨハネス・ベッサリオン、In Caluminatorem Platonis(プラトンの曲解者へ)を、ローマConrad SweynheimArnold Pannartzの下で印刷刊行。

別表記

 ヨハンネス・ベッサリオン、ヨアニス・ヴィサリオン、Ioannes Bessarion

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『April Blood
 『Lucretia Borgia

ラッファエーレ・サンソーニ Raffaele Sansoni

生没
1461年5月3日~1521年7月9日
アントーニオ・サンソーニ
ヴィオランテ・リアリオ
概要

 ラッファエーレ・サンソーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1477年12月10日~
     任命した教皇:シクストゥス4世
 ピサ大司教 1479年9月17日~1499年6月3日
 カメルレンゴ 1483年~1521年
 ピサ大司教 1518年9月3日~1518年9月10日
 アレッツォ教区長 1508年7月7日~1511年11月5日

性格

 全く無能。

教養

 フィレンツェの人文主義者ヤコポ・ブラッチョリーニが家庭教師を務めていた。

年表

1461年5月3日
生。
1477年12月10日
枢機卿に任命される。大学生で、ピサで学びながらフランチェスコ・サルヴィアーティ大司教の邸宅で暮らす。
1478年3月5日
パッツィ家のヴィッラ・ラ・ロッジャに到着。聖職者としての地位が高いため、それに相応しい正式な歓迎を受けなければ街に入れない事情から、フィレンツェ周辺に1ヶ月以上にわたって滞在した。
1478年3月30日
モントゥーギで書簡をしたためる。
1478年4月26日(日)
メディチ宮殿で馬を降りる。彼らは直接サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に行くものと思われていたので、出迎える者は誰もいなかった。
パッツィ家の陰謀サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で、昇天祭ミサを彼が執り行い、その後宮殿で宴会が催される予定だった。
1478年
逮捕、投獄される。
1478年6月7日
釈放される。フィレンツェの執政官及び多くの市民が、ヴェッキオ宮殿からサンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂へ歩く彼に同行した。40名の護衛に付き添われていた。
1478年6月12日
1478年6月13日
シエナ到着。
1488年5月
1488年10月19日
フォルリ出発。
1489年10月28日
ローマ出発。
1489年11月2日
イーモラ到着。
1494年
教皇アレクサンデル6世により、義理の叔母カテリーナ・スフォルツァナポリ王国に味方するよう説得するため、フォルリンポーポリに派遣される。
1499年11月21日
狩りに行くと装い、ローマから逃亡。モンテ・ロトンドへ、次いでサルザーナへ。
1521年7月9日
没。

肖像

別表記

 サン・ジョルジョ枢機卿、リアリオ枢機卿、ラファエロ、ラファエッロ・リアーリオ、Raffaele RiarioRaffaele Sansoni Galeoti RiarioCardinal Sforza-Riario

外部リンク

 GCatholic.com
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

シルヴィオ・パッセリーニ Silvio Passerini

生没
1459年~1529年
概要

 シルヴィオ・パッセリーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。

在位

 枢機卿 1517年7月1日~1529年
     任命した教皇:レオ10世

年表

1524年5月
この月?、クレメンス7世は、コルトーナの枢機卿シルヴィオ・パッセリーニにフィレンツェの直接の統治を委ね、彼を介して間接的にフィレンツェを支配。この措置にメディチ派の貴族にも不満生ずる。
1524年7月30日
クレメンス7世は、前ヌムール公故ジュリアーノ・デ・メディチの庶子イッポーリト・デ・メディチにフィレンツェの統治に関する全権を与えた上、シルヴィオ・パッセリーニの保護と指導の下で統治の任に当たらせるべく彼をローマからフィレンツェに送る。貴族たちの不満強まる。
1527年
この頃、クレメンス7世の命にのみ従うシルヴィオ・パッセリーニの統治に不満、反感を強めていたニッコロ・カッポーニら貴族及び市民、特にその青年層が、カール5世軍の侵攻に対処するため市民に武器を貸与し市民軍を復活するよう要求。シルヴィオ・パッセリーニは暴動、反乱の発生を恐れてこの要求を拒否。
1527年4月26日
「金曜日の騒乱」
午前:反メディチ派が、シニョーリア広場に集合し、市民への武器貸与を求めて気勢を上げる。正義の旗手フランチェスコ・グィッチャルディーニの兄ルイジ・グィッチャルディーニは、市民が午後に規律を保ってシニョーリア広場に集まるなら武器を貸与すると布告。
コニャック同盟軍がフィレンツェ郊外に近づいたとの報が広まる。
正午:シルヴィオ・パッセリーニは、自身と同じくクレメンス7世の代理的地位を占める2人の枢機卿ニッコロ・リドルフィインノチェンツォ・チーボイッポーリト・デ・メディチを同道して市外の同盟軍のもとに駆けつけ支援を求める。
午後:市内にシルヴィオ・パッセリーニが逃亡したとの噂広まり、急進的な青年ら数百名に続いて多数の市民が政庁宮を急襲。
ニッコロ・カッポーニピエロ・サルヴィアーティらに率いられた市民の威圧の下で召集されたシニョーリアは、メディチ家の追放、全政治犯の赦免、解放、1512年以前の共和政への復帰を決議し布告。
夕刻~夜:1527年4月23日にフィレンツェに戻っていたフランチェスコ・グィッチャルディーニは、教皇の全権委員として、まず、同盟軍導入、叛徒攻撃の強硬意見を主張するFederico da Bozzoloに、強硬方針は事態をクレメンス7世にも同盟軍にも不利に導くと説き、人心を鎮静化する策をとることを認めさせる。次いで、彼と共にシルヴィオ・パッセリーニにも同様に説き、フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレら同盟軍指揮官らの協力も得て、シルヴィオ・パッセリーニに人心鎮静策を認めさせる。
フランチェスコ・グィッチャルディーニが作成し、フランチェスコ・ヴェットーリが手を加えた、降伏を申し出る叛徒はその罪を問われないとする条項を、市外に待機する圧倒的に強大な同盟軍の前に非力さを覚える反乱貴族、市民も受諾し、ヴェッキオ宮殿から退出。市民の武装蜂起を恐れるメディチ派も条項を受諾。シルヴィオ・パッセリーニや同盟軍指揮官らが条項に署名。
シニョーリアは午前の決議、布告を取り消し、共和政はあえなく終息。
1527年5月12日
前日届いたローマからの報、全市に広まり、反メディチ派貴族、市民が、自由を叫んで再び決起。シルヴィオ・パッセリーニらメディチ支配執行者の処遇が論議の的となる。
1527年5月15日
有力者たちから市民が反乱、暴動を起こさぬうちに支配権を蜂起しフィレンツェを退去するよう勧奨されたシルヴィオ・パッセリーニ、自身の処遇をシニョーリアに一任。
1527年5月16日
シルヴィオ・パッセリーニ、支配権の放棄・フィレンツェ退去を受諾。1527年3月1日にシニョーリアが設置したバーリアは、新政体について、コンシーリオ・マッジョーレを復活し1527年6月21日に招集すること、その組織、権限を明確にするための20名の委員をシニョーリアなど現統治機関が選出すること、百人委員会およびコンシーリオ・デ・セッタンタを4ヶ月代行する120名のArroti(補佐官)を同じく現統治機関が選出し、4ヵ月後にはそれに代わるコンシーリオ・デリ・オッタンタをコンシーリオ・マッジョーレが選出、設置することを決議。
1527年
同盟軍指揮官フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレ、ミケーレ・アントーニオ、Federico da Bozzoloらに導かれてシルヴィオ・パッセリーニ、ニッコロ・リドルフィインノチェンツォ・チーボイッポーリト・デ・メディチ(1511年~1535年:枢機卿在位1529年~1535年)がフィレンツェ市内に入り、クレメンス7世の要請で数日前から市内に駐屯していた同盟軍兵士に守られて政庁宮に向かう。メディチ派は勢いを得、同盟軍指揮官たちは騒乱鎮圧のために同盟軍をフィレンツェ市内に導入することを決意。

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

トマス・ウルジー Thomas Wolsey

生没
1473年3月頃~1530年11月29日
出身
イングランド王国イプスウィッチ
没地
イングランド王国レスター
概要

 トマス・ウルジーは、15世紀~16世紀のイングランドの男性、聖職者。

在位

 枢機卿 1515年9月10日~1530年11月29日
     任命した教皇:レオ10世

年表

1473年3月頃
生(1471年、1475年頃)。
1515年12月24日
枢機卿トマス・ウルジー、イングランドの大法官に就任。以後、政教両界に君臨(~1529年)。
1518年10月2日
ロンドン協定:1518年8月のフランソワ1世主導の協定を見たイングランドの大法官・枢機卿トマス・ウルジー、ヘンリー8世フランソワ1世の間に平和協定を成立させ、ヘンリー8世の幼い娘メアリー1世フランソワ1世の王太子フランソワの結婚を取り決めると共に、この協定へのマクシミリアン1世カール5世の加入の道を開く。これによりトマス・ウルジーは、レオ10世主導ではないヘンリー8世ないし自分主導のキリスト教諸国、諸権力者糾合をも視野に置く。
1524年1月24日
教皇クレメンス7世により、終身教皇特使に任命される。
1527年5月初頭
この頃?、ヘンリー8世、教皇特使(1524年~)としての(自分の大法官)トマス・ウルジーに、妻カテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立を承認、宣言するよう求める。
1527年8月3~18日
ヘンリー8世の代理トマス・ウルジーと自ら登場してきたフランソワ1世は、フランス・ピカルディのAmiensで、フランソワ1世の2名の子息の釈放、クレメンス7世の釈放、教会領の保全、イタリア諸国の旧状復帰などを条件とする和解をカール5世に要求することを協定。しかしカール5世にこの要求を拒絶され、1527年8月18日に協定を公表すると共に、クレメンス7世の釈放、対カール5世戦争の完遂を改めて約定。
1529年5月31日
ヘンリー8世から出された彼とカテリーナ・ダラゴーナとの婚姻不成立の訴えを審議するロンドンの教皇特使法廷が、ロレンツォ・カンペッジオ、トマス・ウルジーの主導下で開催される。
1529年10月17日
ヘンリー8世の婚姻不成立の訴えをクレメンス7世に認めさせることに失敗したトマス・ウルジー、イングランド法管轄下の訴訟を外国で行なうことを禁じたActs of Praemunire(上訴禁止法:1393年)に違反したかどで訴追され、失脚(在位1515年~)。
1530年11月4日
大逆罪の容疑で逮捕される。
1530年11月29日
ロンドンに護送される途上レスターで病死(1530年11月28日)。

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『世界悪女大全』
 『世界大百科事典』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

ジル・アルヴァレス・カリージョ・デ・アルボルノス Gil Álvarez Carrillo de Albornoz

生没
1310年~1367年8月23日
出身
カラスコサ・デル・カンポ
没地
ヴィテルボ
ジル・アルヴァレス・デ・アルボルノス
ドーニャ・テレサ・デ・ルーナ
概要

 ジル・アルヴァレス・カリージョ・デ・アルボルノスは、14世紀の男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1350年12月17日~1367年8月23日
     任命した教皇:クレメンス6世

年表

1310年
カラスコサ・デル・カンポにて、生。
1354年3月10日
オルヴィエートの戦いでジョヴァンニ・ディ・ヴィーコに勝利。
1354年6月5日
モンテフィアスコーネで講和を結び、ジョヴァンニ・ディ・ヴィーコはヴィテルボ、コルネート、オルヴィエートを手放すことが決定。
1354年6月9日
1354年6月24日
オルヴィエートの一代限りの領主となる。
1367年8月23日
ヴィテルボにて、死(1367年8月24日)。

備考

 スポレートアルボルノツィアーナ要塞を修復。

別表記

 Egidio Albornoz

外部リンク

 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前

更新日

 2021年2月26日