Congiura dei Pazzi

パッツィ家の陰謀

概要

 1478年4月26日日曜日、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂での昇天祭ミサの最中に、都市国家フィレンツェ共和国の若き指導者ロレンツォ・イル・マニーフィコとその弟ジュリアーノ・ディ・ピエロ・デ・メディチが襲撃される。ジュリアーノ・ディ・ピエロ・デ・メディチは19箇所もの刺し傷を負ってたちどころに絶命。ロレンツォ・イル・マニーフィコは負傷したものの、逃げ延びる。フィレンツェ市民はメディチ家に味方し、陰謀に加担した者たちを処刑したため、かえってメディチ家の支配体制は盤石なものとなった。

芸術作品


ベルトルド・ディ・ジョヴァンニ
パッツィ家の陰謀のメダル

舞台

 宝塚歌劇団宙組『異人たちのルネサンス―ダ・ヴィンチが描いた記憶』

別表記

 パッツィ家陰謀事件、パッツィ一族の謀反、パッツィの乱

外部リンク

 ウィキペディア
 チェーザレ・ボルジアとその周辺
 Europe in the Late Middle Ages - Knox

参考文献

 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2006年10月27日以前
出来事
そこそこアレな感じで