Cosimo de' Pazzi

コジモ・デ・パッツィ

生没:1466年12月9日~1513年4月8日
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
在位:オレロン島司教 1492年~1497年
   アレッツォ司教 1497年~1508年
    先代:ジェンティーレ・ベッキ
   フィレンツェ大司教 1508年~1513年
    先代:リナルド・ディ・ヤコポ・オルシーニ
    次代:クレメンス7世
父:グリエルモ・デ・パッツィ
母:ビアンカ・デ・メディチ

概要

 コジモ・デ・パッツィは、15世紀~16世紀の男性、フィレンツェ大司教。

年表

1501年5月15日
領内深くに軍を進めてカンピにまで迫ってきたチェーザレ・ボルジアのもとに、フィレンツェ共和国は、新使節コジモ・デ・パッツィ、フランチェスコ・デ・ネルリ、アレッサンドロ・アッチャイウオリを派遣し、彼に妥協して彼を3年間傭兵隊長として雇う契約を結び、トスカーナからの退却を承認させる。しかし彼は退却せず。
1502年6月4日
アレッツォで、「マルツォッコ」「メディチ」を叫び、フィレンツェ共和国に対する暴動、反乱発生。
1502年6月7日
ヴィテロッツォ・ヴィテッリアレッツォを占領。
1502年6月
アレッツォにて捕らえられる。
1512年9月3日
ライモンド・ディ・カルドーナのもとへBaldassarre CarducciOrmannozzo DetiNiccolò del Neroニッコロ・ディ・バルトロメオ・ヴァローリ、コジモ・デ・パッツィ、ヤコポ・ディ・ジョヴァンニ・サルヴィアーティパオロ・ヴェットーリを送り、メディチ家とその郎党の私人としての市内復帰、神聖同盟への加入、フェルナンド2世・デ・アラゴン及びライモンド・ディ・カルドーナへの献金、ライモンド・ディ・カルドーナの占領したフィレンツェ領の返還と彼の軍の撤退について合意すると共に、フェルナンド2世・デ・アラゴンとの相互防衛協定を結んで彼の傭兵200名分の賃金の支払いを引き受ける。
1513年3月
ジョヴァンニ・デ・メディチの教皇即位の祝賀行事が市を挙げて盛大かつ華麗に繰り広げられる。
新教皇レオ10世に祝意と恭順の意を表する使節を派遣することにし、教皇の弟ジュリアーノ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ、大司教コジモ・デ・パッツィ、Giovanni Tornabuoniジョヴァンニ・バッティスタ・リドルフィベルナルド・ルチェッライフィリッポ・ブォンデルモンティベネデット・デ・ネルリピエロ・ディ・ヤコポ・ディ・ピエロ・グィッチャルディーニロレンツォ・モレッリネリ・カッポーニ、ルカ・ダントーニオ・デリ・アルビッツィ、ルイジ・デッラ・ストゥファの12名が選出される。

外部リンク

 GCatholic.com
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2010年12月12日