Costanza Canigiani

コスタンツァ・カニジャーニ

生没:~1498年4月8日
父:ジョヴァンニ・カニジャーニ
夫:フランチェスコ・ヴァローリ
子:マリエッタ・ヴァローリ
  カテリーナ・ヴァローリ
  ロレータ・ヴァローリ
  ディアノーラ・ヴァローリ

概要

 コスタンツァ・カニジャーニは、15世紀頃のフィレンツェの女性。

年表

1462年
フランチェスコ・ヴァローリと結婚。
1498年4月8日
夕刻、ジローラモ・サヴォナローラに信従する修道士が説教すべく信徒たちに守られて大聖堂に近づくや、アッラビアーティなど反ジローラモ・サヴォナローラ派の者たち、ジローラモ・サヴォナローラ派追放を叫んで騒動を起こし、続いて民衆を扇動して武器を手にサン・マルコを包囲、襲撃。
シニョーリアは、ジローラモ・サヴォナローラに対して12時間以内にフィレンツェ領内から退去せよとの布告を出す。続いてサン・マルコの内部にいるジローラモ・サヴォナローラ派を退出させるべく、俗人は教会から退出しなければ全て反逆者と見なすとの布告を出す。
これらの布告により包囲側の気勢上がり、サン・マルコの襲撃はさらに激しくなる。
フランチェスコ・ヴァローリ、手兵を集めるべくサン・マルコを出て私宅に向かうが騒動のため進めず、ヴェッキオ宮殿に向かう。しかし庁宮内に引きずり込まれ、前年8月の彼の強硬発言にも影響されてコンシーリオ・マッジョーレへの提訴権を奪われたまま処刑されたメディチ派(=Bigi)の陰謀の指導者の遺族ヴィンチェンツォ・リドルフィとシモーネ・トルナブオーニ(1472年~1543年)に殺害される。この頃すでに彼の自宅も襲撃され、妻コスタンツァ・カニジャーニも殺害される。
サン・マルコは、ほとんど群衆に占拠される。
ジローラモ・サヴォナローラは、Domenico da Pesciaと共に死を決意して外に出、捕縛されてヴェッキオ宮殿の塔内の獄に入れられる。Domenico da Pescia及び先に捕らえられた修道士シルヴェストロも投獄される。

別表記

 コンスタンツァ・カニジャーニ、Costanza di Giovanni di Antonio Canigiani

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2010年11月6日