Domenico Bonsi

ドメニコ・ボンシ

年表

1498年2月10/11日
1498年初め教皇庁に派遣した特使ドメニコ・ボンシ(1430年~1501年)から、この日頃、アレクサンデル6世との会見の2月8日付報告書簡が届く。この中でドメニコ・ボンシアレクサンデル6世はフィレンツェが「良きイタリア人」として反フランス神聖同盟に加盟すればジローラモ・サヴォナローラ破門の撤回を含む一切のことをフィレンツェの望み通りに処置するだろうと報告。
1498年3月3日
フィレンツェDieci di Libertà e Paceは、シニョーリアにも勝って、2月26日付の小勅書への明確な拒絶の意をアレクサンデル6世に伝える書簡を特使ドメニコ・ボンシに送る。
1498年3月7日
アレクサンデル6世、2月26日付の小勅書の指令拒否の回答を伝えたフィレンツェの特使ドメニコ・ボンシに怒りをあらわにし、ジローラモ・サヴォナローラの説教を全面的に禁止しなければフィレンツェでの聖務を禁止すると繰り返す。ジローラモ・サヴォナローラ自身の書簡にはさらに激しい怒りを爆発させる。
1498年3月18日
シニョーリア、この答申に沿った回答をアレクサンデル6世に口頭で伝えるよう特使ドメニコ・ボンシに指令。
1498年4月9日
シニョーリア、プラティカを召集しジローラモ・サヴォナローラ及びジローラモ・サヴォナローラ派が委員の多数を占める機関、Dieci di Libertà e Pace及びオットー・ディ・グァルディアの取り扱いについて諮問。
プラティカ、満場一致で、諸機関からのジローラモ・サヴォナローラ派の追放とそれによって空席になった委員の新たな選出、及びジローラモ・サヴォナローラ自身の厳密な取調べを答申。
以後、瞬く間に各機関が反ジローラモ・サヴォナローラ派の委員で締められ、サヴォナローラ共和政、終焉(1494年~1498年)。
シニョーリアは、アレクサンデル6世ジローラモ・サヴォナローラの逮捕を報せるよう、特使ドメニコ・ボンシに書簡を送る。

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2005年5月29日以前