El Prete

エル・プレーテ

概要

 ニッコロ・ダ・コッレッジオに庇護を受ける。イザベッラ・デステの文通相手。

年表

1501年12月29日
ローマにて、マントヴァ候妃イザベッラ・デステ宛てに手紙をしたためる。

 ルクレツィア・ボルジアは公式の場の現れはしましたが、少しの間でした。出発の準備に忙しいからです。1501年12月26日サント・ステファノの日、日曜日の夜、私は知らせなく宮殿を訪れました。殿下はご自身の部屋の寝台の脇に腰かけていました。部屋の一角には20人ほどのローマ人女性がア・ラ・ロマネスカという格好をし、頭に布を被っていました。10人ほどの侍女たちもおりました。ヴァレンシア貴族とニッコラという次女が率先して踊り出し、続いてルクレツィア・ボルジアフェッランテ・デステと、極めて優雅に活発に踊りました。金で縁どられた黒ビロードに黒い袖のカモッラを着て、袖口は狭く、袖は肩のところで切込みが入っていて、金糸でできたベールで胸から首が覆われておりました。真珠の首飾りをつけ、緑のネットとルビーで髪を覆っています。毛皮で縁取られた黒いビロードのオーバースカートは彩られ、とても美しいものでした。婚姻時の侍女たちの衣装はまだ準備されてはいません。2、3人の女性が美しかったです。1人は、カタリーナといい、ヴァレンシア出身で、踊りが堪能です。もう1人は、アンジェラ・ランソルといい、魅力的です。本人に告げることなく、私は一番のお気に入りとして彼女を選びました。昨晩(1501年12月28日)、イッポーリト・ディ・エルコーレ・デステ枢機卿、チェーザレ・ボルジア公爵とフェッランテ・デステが仮面を被って街へ繰り出した後、我々は舞踏が行われているルクレツィア・ボルジアの家に伺いました。ローマの至るところで、朝から晩まで、仮面を被った遊女ばかり目にします。24時以降は戸外に出ることを禁じられているからです。
1502年1月2日
ローマにて、イザベッラ・デステ宛てに手紙をしたためる。1502年1月1日、ローマの地区の多くがパレードを編成し、お囃子を伴って、それぞれのゴンファロニエーレや長官が13台の山車を率いて、ナヴォーナ広場からヴァティカンへと向かった。初めの山車はヘラクレスの凱旋を表し、他にガイウス・ユリウス・カエサルなど幾人かのローマの英雄たちを示していた。教皇アレクサンデル6世とその客人たちが、窓からその壮観な様子をよく眺められるよう、ヴァティカンの前で止まった。若い2人を祝う詩が読まれ、4時間が過ぎていった。続いて、ヴァティカン宮殿ボルジアの間の鸚鵡の間で喜劇が上演された。次に、モレスカ又はバレエが、インノケンティウス8世の注文によってかけられた美しいタペストリーで壁が飾られている教皇の間で踊られた。傍観者は長椅子や床に好きなように座っていた。短い牧歌の後に、ジョングルール(フランスにおける大道芸人のこと)が女装してタンバリンに合わせてモレスカを踊り、チェーザレ・ボルジアもそれに参加し、その変装にもかかわらず彼と気づかれていた。喇叭が次の劇を知らせ、1本の木が才人の上に現れ、彼は詩を朗誦すると、9本の絹のリボンの先を下に垂らし、木の周りで踊っていた9人の仮面をつけた者に取られた。このモレスカは大いに称賛された。最後に教皇アレクサンデル6世は娘ルクレツィア・ボルジアに舞踊を所望し、彼女はヴァレンシア人の侍女の1人と踊った。それに皆男も女も続いた。

外部リンク

 Internet Archive - Dukes & poets in Ferrara
 Cristo Raul - The History of the Popes, from the close of the Middle Ages.

参考文献

 『Lucretia Borgia

記載日

 2013年11月21日