Ercole Bentivoglio

エルコーレ・ベンティヴォーリオ

生没年:1459年5月15日~1507年6月
出身:ボローニャ
父:サンテ・ベンティヴォーリオ
母:ジネヴラ・スフォルツァ
妻:バルバラ・トレッリ
子:ジネヴラ・ベンティヴォーリオ
  コスタンツァ・ディ・エルコーレ・ベンティヴォーリオ

概要

 エルコーレ・ベンティヴォーリオは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

年表

1499年12月
3百騎と共にチェゼーナ出発。ラヴァルディーノ城を包囲。アキッレ・ティベルティと共に、農民の暴動を鎮圧。
1500年1月
制圧後のフォルリに5百騎で駐屯。ゴンサルヴォ・ディ・ミラフォンテは、歩兵3百を指揮。
1500年2月
フォルリンポーポリからイーモラへ向かう。
1500年2月末
5百騎でフォルリに移動。
1500年4月
庶子の娘がニッコロ・グエッラ・ダ・バーニョと結婚。
1500年8月
教皇アレクサンデル6世により、ローマへ呼び出される。グエルフィとギベッリーニの衝突を鎮圧するためチェゼーナ近郊にいたエルコーレ・ベンティヴォーリオは、ティベルティ派の有利を図るものと疑い、これを拒絶。女婿が治めるジャッジョーロに向かう。ジロラーモ・バリゼッロより支援を受け、壁の裂け目を利用して川の門からチェゼーナに侵入。武装兵25で要塞に入り、すぐにポリドーロ・ティベルティとその党派が取って代わる。マラテスタ家の領地を警戒して、サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャに向かう。市民から城を提供されたフェルモに妻バルバラ・トレッリを住まわせる。
1500年8月初旬
エルコーレ・ベンティヴォーリオ軍がチェゼーナの広場を査察。ポリドーロ・ティベルティと共に、亡命者のチェゼーナ帰還を警戒。
1505年8月17日
バルトロメオ・ダルヴィアーノ指揮のフィレンツェ攻撃軍は、Antonio Giacomini Tebalducciを前線総監としエルコーレ・ベンティヴォーリオ(1459年~?)、マルカントーニオ・コロンナヤコポ・サヴェッリら傭兵隊長を指揮官とするフィレンツェ軍にサン・ヴィンチェンツォで撃破される。バルトロメオ・ダルヴィアーノはシエナに敗走。
1505年9月6~13日
エルコーレ・ベンティヴォーリオを総指揮官とするフィレンツェ軍は、ピサを包囲し攻撃。市壁の一部を大きく破りながら傭兵は臆して市内に突入せず。

別表記

 Bentivogli

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Dizionario di Erudizione Storico-Ecclesiastica
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前
ベンティヴォーリオ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで