Fabrizio Colonna

ファブリツィオ・コロンナ

生没:1450~60年~1520年3月18日
在位:パリアーノの君主 1485年~1519年
    先代:オドアルド・コロンナ
    次代:マルカントーニオ・コロンナ
   パリアーノ公 1519年~1520年
    次代:アスカーニオ・コロンナ
父:オドアルド・コロンナ
母:フィリッパ・コンティ
妻:アニェーゼ・ディ・フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ
子:ヴィットーリア・コロンナ
  フェデリーコ・コロンナ
  アスカーニオ・コロンナ
  フェルディナンド・コロンナ
  カミッロ・コロンナ
  マルチェッロ・コロンナ
  シアッラ・コロンナ
  ベアトリーチェ・コロンナ

概要

 ファブリツィオ・コロンナはイタリアの傭兵隊長。

年表

1488年
アニェーゼ・ディ・フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロと結婚。
1501年1月
ナポリ駐在。
1501年3月
プロスペロ・コロンナ、カミッロ・コロンナと共に、オルシーニ家との和解を試みる。
1501年
リヌッチョ・ダ・マルチアーノと共にカプア防衛。
1501年7月24日
チェーザレ・ボルジア含むルイ12世軍の前にカプア陥落(1501年7月25日)。ファブリツィオ・コロンナ捕らえられる。
1501年
フランスの捕虜となり、スペインに引き渡されゴンザロ・デ・コルドバの配下になる。
1512年1月26日
ライモンド・ディ・カルドーナ指揮の神聖同盟軍(フェルナンド2世・デ・アラゴン軍及び教皇代理ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿と傭兵隊長マルカントーニオ・コロンナ、ファブリツィオ・コロンナらを含むユリウス2世軍)、ボローニャを包囲。
1512年4月11日
ガストン・ド・フォワ指揮のルイ12世軍とアルフォンソ1世・デステ指揮のフェッラーラ軍、ラヴェンナ近郊でイタリア史上稀に見る大激戦の末ライモンド・ディ・カルドーナ指揮の神聖同盟軍を破り、翌1512年4月12日、ラヴェンナに入城。軍、未曾有の略奪、暴行、虐殺を欲しいままにする。
完敗した同盟軍はライモンド・ディ・カルドーナがチェゼーナへ、マルカントーニオ・コロンナはリーミニへ逃げ、ジョヴァンニ・デ・メディチはフランス軍の、ファブリツィオ・コロンナはフェッラーラ軍の捕虜となり、完勝したルイ12世軍もガストン・ド・フォワを戦死させた(1489年~)他、軍に多大の損失を被る。
ラヴェンナ占領におけるルイ12世軍の実態に対する恐怖広まり、イーモラ、ファエンツァ、フォルリ、チェゼーナ、リーミニなど次々にルイ12世軍に降伏し、数日でロマーニャのほぼ全域が支配下に入る。
ナヴァーラの領有を目論むフェルナンド2世・デ・アラゴンは、ガストン・ド・フォワの死により、その姉である自分の妻ジェルメーヌ・ド・フォワにナヴァーラの王位請求権が生じたと主張。
1512年6月下旬
ルイ12世軍の敗退で孤立したアルフォンソ1世・デステ、姉イザベッラ・デステの夫フランチェスコ2世・ゴンザーガや自分が捕らえていたファブリツィオ・コロンナらの仲介でユリウス2世から自身及び領国の安全を保証されローマに向かう。
1512年7月4日
アルフォンソ1世・デステローマ着。ユリウス2世に拝謁を許され、ルイ12世との同盟について許しを乞う。後、ユリウス2世からフェッラーラの放棄、譲渡を求められるがこれを拒絶して怒りを買い、ファブリツィオ・コロンナ、マルカントーニオ・コロンナ兄弟らの協力により変装して、1512年7月19日ローマを逃亡、フェッラーラに向かう。
ユリウス2世は、すでにアルフォンソ1世・デステの領国の一つレッジョを占領。

別表記

 ファブリーツィオ・ディ・オドアルド・コロンナ、ファブリッツィオ、Fabrizio di Odoardo ColonnaFabricio Colonna

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前