Ferrante d'Este

フェッランテ・デステ

生没:1477年9月19日~1540年2月22日
出身:ナポリ
没地:フェッラーラ
父:エルコーレ1世・デステ
母:エレオノーラ・ダラゴーナ

概要

 フェッランテ・デステは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

年表

1477年9月19日
ナポリで生。
1502年1月5日
ルクレツィア・ボルジアの持参金の総額を受け取る。
1502年1月23日(日)
リーミニにて、父フェッラーラエルコーレ1世・デステ宛てに手紙をしたためる。チェーザレ・ボルジアが敷いた厳重な法令を、特にラミロ・デ・ロルカら配下の者が行き渡らせたにもかかわらず、強盗団が道を危険なものにしていた。大胆不敵な強盗のジャン・バッティスタ・カッラーロがチェルヴィアの境を過ぎた後にルクレツィア・ボルジア一行を襲うかもしれないことを恐れて、1千の歩兵と百50の騎兵が配備された。
1502年1月27日(木)
イーモラにて、エルコーレ1世・デステ宛てに手紙をしたためる。ルクレツィア・ボルジアは服を整頓し、髪を洗うために、ここで1日を過ごす。8日もできなかったので、頭痛がする。
1502年2月5日(土)
フランス王ルイ12世の名代として、フランス大使フィリッポ・デッラ・ロッカ・ベルティから、金盾を贈られる。
1506年7月
エステ家の内紛:フェッラーラ、レッジョ、モデナを支配するエステ家で、1505年11月の恋愛問題に絡んで生じたアルフォンソ1世・デステの弟、枢機卿イッポーリト・ディ・エルコーレ・デステによる庶出の兄ジューリオ・デステ(1478年~1561年)の傷害事件に端を発して、ジューリオ・デステジューリオ・デステの兄フェッランテ・デステ(1477年~1540年)がアルフォンソ1世・デステイッポーリト・ディ・エルコーレ・デステの殺害を企んだが発覚。両名、死刑の宣告を受けるがアルフォンソ1世・デステの取り成しにより終身刑に処される。
1506年7月
ジューリオ・デステの復讐のため、イッポーリト・ディ・エルコーレ・デステを毒殺し、それに対する罰から逃れるためアルフォンソ1世・デステをも殺害し、自らがフェッラーラ公になろうとする陰謀を、アルベルティーノ・ボスケッティらと共に計画していたが、発覚。兄アルフォンソ1世・デステの前に引き出され、情けを懇願するも激怒した兄により手にしていた杖で片目を打たれ、城の塔に監禁される。
1506年8月12日
ジューリオ・デステと共に絞首台の前に引き出されるが、兄アルフォンソ1世・デステが合図した時2人とも気を失い、牢獄に戻される。アルフォンソ1世・デステの恩情をもって終身刑となる。
1540年2月22日
その死をもって釈放。

チェーザレ・ボルジア数

 きょうだいアルフォンソ1世・デステ→妻ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 フェルランテ

外部リンク

 世界帝王事典
 Wikipedia

参考文献

 『愛の年代記』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前