Filippo Sacramoro

フィリッポ・サクラモロ

概要

 フィリッポ・サクラモロはフィレンツェ駐在ミラノ公国大使。

年表

1474年10月10日
フィレンツェガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ宛書簡をしたためる。ピエロ・フェリーチフィレンツェでの最後の任務に関して。
1477年9月13日
フィレンツェミラノ公宛書簡をしたためる。ロレンツォ・イル・マニーフィコの身が危険であるという警告。
1478年4月27日
フィレンツェチッコ・シモネッタ宛書簡を2通したためる。パッツィ家の陰謀直後の大混乱の様子。
1478年4月28日
フィレンツェチッコ・シモネッタ宛書簡をしたためる。パッツィ家の陰謀直後の大混乱の様子。
1478年5月3日
フィレンツェチッコ・シモネッタ宛書簡をしたためる。アントーニオ・ダ・モンテフェルトロフィレンツェと戦うためにシエナに呼ばれたらしいこと。
1478年5月12日
フィレンツェミラノ公宛書簡をしたためる。チッコ・シモネッタフィレンツェに代わってフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ宛ての書簡の見本を自分で書いてロレンツォ・イル・マニーフィコに送っていた。ロレンツォ・イル・マニーフィコはそれを一言一句そのまま書き写させると、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの俸給を巡る全ての交渉を即座に中止させるためにローマウルビーノに送付したこと。
1478年6月25日
フィレンツェでジョヴァンニ・アンジェロ・タレンティと連名でミラノ公宛書簡をしたためる。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの足はまだ癒えておらず、独創的な乗馬用椅子を作らせて、怪我をした足を馬の首に回して乗ることができるようにしたことを伝えている。

参考文献

 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

記載日

 2011年6月8日