Franceschetto Cibo

フランチェスケット・チーボ

生没:1449年~1519年7月25日
出身:ナポリ
没地:ローマ
在位:スポレート 1503年~1519年
父:インノケンティウス8世
妻:マッダレーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ
子:ルクレツィア・チーボ
  クラリーチェ・チーボ
  インノチェンツォ・チーボ
  ロレンツォ・チーボ
  カテリーナ・チーボ
  イッポーリタ・チーボ
  ジョヴァンニ・バッティスタ・チーボ

概要

 フランチェスケット・チーボは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

年表

1449年
ナポリで生(1450年頃)。
1488年1月20日
マッダレーナ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチとの結婚式が、ヴァティカン宮殿で行われる。
1492年7月25日
深更、父インノケンティウス8世死。
1492年
フィレンツェの義兄ピエロ・イル・ファトゥオのもとに身を寄せる。
1492年9月3日
インノケンティウス8世から与えられた教会領の戦略上の拠点ローマ近郊AnguillaraCervetriを、ピエロ・イル・ファトゥオフェッランテ・ダラゴーナの仲介と尽力により、フェッランテ・ダラゴーナの隊長でローマの反アレクサンデル6世勢力の中心であるオルシーニ一族のヴィルジーニオ・オルシーニに売却。この費用を受け持ったフェッランテ・ダラゴーナは教会領の拠点を押さえ、自分への包囲網を敷かれたと感じたアレクサンデル6世は強く警戒。
この後、ピエロ・イル・ファトゥオは、父ロレンツォ・イル・マニーフィコの方針(=フェッランテ・ダラゴーナアルフォンソ2世・ダラゴーナ父子とスフォルツァ家を仲介し両者の均衡を保持する)を転換し、オルシーニ家を介してフェッランテ・ダラゴーナアルフォンソ2世・ダラゴーナ父子の側に立つ。これに対しルドヴィーコ・イル・モーロは、一掃シャルル8世に期待し傾斜。
1519年7月25日
ローマで死。

別表記

 フランチェスコ・チボー(Francesco Cibo)、チボ

外部リンク

 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前