Friedrich III

フリードリヒ3世

生没:1415年9月21日~1493年8月19日
在位:ドイツ王 1440年~1493年
   神聖ローマ皇帝 1452年~1493年
    先代:アルブレヒト2世
    次代:マクシミリアン1世
父:エルンスト
妻:ポルトガル王女エレオノーレ
子:マクシミリアン1世

概要

 フリードリヒ3世は、15世紀の男性。

年表

1440年2月2日
ハプスブルク家Friedrich V von Habsburg(1415年~1493年)。フランクフルトの選帝侯会議でドイツ王に選出され、フリードリヒ3世を名乗る(在位1440年~1493年)。
1440年7月17日
Władysław IIIは、ハンガリーの反ハプスブルク系貴族による親ハプスブルク系貴族を抑えての支持により、ハンガリー王位にも就き、Ulászló Iを名乗る。親ハプスブルク系貴族はラディスラウス・ポストゥムスと共にドイツ王フリードリヒ3世の庇護下に入る。
1445年
ラディスラウス・ポストゥムス、ハンガリー議会によりハンガリー王László Vとして承認される。但し、ラディスラウス・ポストゥムスを庇護下に置く(1440年~)フリードリヒ3世はこれを拒否。
1446年6月
ハンガリー議会は、フンヤディフリードリヒ3世の庇護下からなお解放されない幼王ラディスラウス・ポストゥムスの摂政とする(在位~1452年)。
1448年6月
この月?、バーゼル分離公会議は、フリードリヒ3世に追われて会場をローザンヌに移す。
1452年3月15日
フランチェスコ1世・スフォルツァの反対の意を無視したニコラウス5世によりローマのサン・ピエトロ大聖堂でロンバルディア王の冠を受ける(1452年3月16日)。
1452年3月18日
神聖ローマ皇帝の冠を受ける(1452年3月19日)。ローマで戴冠の最後の皇帝となる。
1452年5月18日
ローマからの帰途上、多額の貢献金を呈したボルソ・デステをモデナ・レッジョ公及びロヴィーゴ・コマッキオ伯に叙する。
1453年10月
ラディスラウス・ポストゥムスフリードリヒ3世からその庇護を解かれボヘミア王Ladislavとしての冠を受ける(在位1453年~1457年)。
この頃?ラディスラウス・ポストゥムス、ようやくハンガリー王László Vとしても実権を得る。
1457年11月23日
ラディスラウス・ポストゥムス、プラハで死。(1440年~1457年:ハンガリー王László V在位1445年~1457年:ボヘミア王Ladislav在位1453年~1457年)。フリードリヒ3世、両王位の継承を狙う。
1459年11月14日
ルネ・ダンジューの使節マントヴァに到着。間もなくフリードリヒ3世の使節も到着。
1473年9月13日
トリーアにて、シャルル・ル・テメレールと会見。
1474年3月30日
フリードリヒ3世、スイス誓約同盟とその独立を承認する永久協定を締結。
1474年6月11日
ルイ11世フリードリヒ3世とスイス誓約同盟の永久協定を認可し、後者の独立を承認。
1474年10月
ルイ11世フリードリヒ3世の支援を得たスイス誓約同盟、シャルル・ル・テメレールに対して戦端を開く(ブルゴーニュ戦争:1474年~1477年)。
1477年8月19日
フリードリヒ3世の長子マクシミリアン1世(1459年~1519年:神聖ローマ皇帝1493年~1519年)と結婚(1477年~1482年)。フランシュ=コンテとネーデルランド(アルトワ、フランドルなど)、ハプスブルク家領となる。
1478年8月1日
ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ、フェッラーラ及びルイ11世の使節たち、会合し、シクストゥス4世ロレンツォ・イル・マニーフィコ及びフィレンツェへの敵対はオスマン・トルコを利するだけの、キリスト教世界への敵対行為であると非難の声明を発表。
この頃?、フリードリヒ3世も、シクストゥス4世に対し、フィレンツェに向けている軍を直ちにオスマン・トルコに向けるよう勧奨。
しかしシクストゥス4世、これらの非難、勧奨を無視しフィレンツェ領内で戦闘を続行。
1479年2月15日
この日から開催された枢機卿会議でフリードリヒ3世の使節は、ルイ11世の求める公会議の開催は否定しながらもシクストゥス4世に対し、フリウーリや上部イタリアにも及んでいるオスマン・トルコの進撃を考慮し慈悲をもってフィレンツェと和を講ずるべきと主張。枢機卿の多くもこれに賛同するが、ジローラモ・リアリオフェッランテ・ダラゴーナの対フィレンツェ強硬姿勢に傾くシクストゥス4世は首肯せず。
1479年8月7日
フリードリヒ3世の子マクシミリアン1世(1459年~1519年:神聖ローマ皇帝1493年~1519年)、フランス北部のGuinegatteの戦いでルイ11世の軍を破り、妻マリー・ド・ブルゴーニュの相続領を守る。
1488年2月14日
神聖ローマ帝国の西南シュヴァーベン地方を中心とする22の帝国都市、騎士、高位聖職者、貴族、領邦諸侯、フリードリヒ3世の勧告によりエスリンゲンで治安維持のための同盟、シュヴァーベン同盟を結成し、諸侯の権限を拡大強化する帝国改造を指示して当初は(~1499年)ハプスブルク家の独裁化を牽制。しかし後にこの同盟、同家の家領拡大の道具と化す(~1534年)。
1490年3月16日
ティロール伯Sigmundは、従兄弟フリードリヒ3世の子マクシミリアン1世にティロールを委譲し、退位(在位1439年、1446年~)。これにより豊かな鉱山を得たマクシミリアン1世は財政基盤を固め、この際彼を支援したヤコブ・フッガーはハプスブルク家との結びつきをさらに強める。
1493年8月19日
フリードリヒ3世死。——マクシミリアン(1459年~)、神聖ローマ皇帝に即位し、マクシミリアン1世を名乗る(在位1493年~1519年)。

別表記

 Friedrich V von Habsburg

外部リンク

 ウィキペディア
 世界帝王事典
 Find A Grave
 Genealogy.EU
 kleio.org

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ハプスブルク家』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『傭兵の二千年史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス百科事典』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前