Gaspár de Pròixita

ガスパール・デ・プロイシタ

生没:1476年~1533年
在位:アルメナーラ伯
父:フアン・フランシスコ・デ・プロイシタ
妻:カタリーナ・デル・ミラ
子:フェルナンド・デ・プロイシタ
  ガスパール・デ・プロイシタ

概要

 ガスパール・デ・プロイシタは、15世紀~16世紀の男性。

年表

1491年4月30日
ルクレツィア・ボルジアとの婚姻契約書が、カミッロ・ベネイムベネの手で作成される。代理人は、父方の従弟ホフレ・ランソル、ヤコポ・セラ、マッテオ・キュシア。父ロドリゴ・ボルジアの費用でヴァレンシアに向かう予定。ケルビ・フアン・デ・サンテーリャスとの婚約があるため、契約書のこの日付には疑問が残る。
1492年8月11日
婚約者の父ロドリゴ・ボルジアが教皇に即位し、アレクサンデル6世を名乗る。
1492年10月31日
ジョヴァンニ・スフォルツァローマに到着。
1492年11月5日
この日までには、父フアン・フランシスコ・デ・プロイシタと共にローマに到着しており、アレクサンデル6世から婚約辞退を求められているが、二重婚約に激しく抗議。
1492年11月9日
1492年8月11日のルクレツィア・ボルジアとの婚約延期書が、カミッロ・ベネイムベネの手で作成される。
「状況が好適となった時に」ルクレツィア・ボルジアとの結婚式を挙げることができるように、向こう1年間は結婚しないこと。
1492年12月9日
マントヴァ大使Fioravante Brognoloがマントヴァ候妃イザベッラ・デステ宛てに手紙を書く。「かの貴族ジョヴァンニ・スフォルツァの一件は、まだ落着しておりません。あのスペイン貴族は教皇の姪(ルクレツィア・ボルジアのこと)を諦めていないようです。彼はスペインで多くの支持者を持っており、したがって、教皇はこの事態をなるに任せ、強引に結論を押し付けはしない傾向にあります」
1493年2月2日
ルクレツィア・ボルジアジョヴァンニ・スフォルツァと婚約。
慰謝料として3千ドゥカートが支払われる。
1494年
カタリーナ・デル・ミラと結婚。
1498年
ルクレツィア・ボルジアジョヴァンニ・スフォルツァと離婚したため、再び求婚。

別表記

 ガスパーレ・ダ・プロチダ、ガスパーレ・ダヴェルサ、Gaspare d'AversaGasparoGaspar de Pròixita y de Vives Boil

外部リンク

 Ajuntament d´Almenara
 Google Books

参考文献

 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2010年9月23日