Germaine de Foix

ジェルメーヌ・ド・フォワ

生没:1488年~1538年10月18日
出身:フォワ
没地:リリア
父:ジャン・ド・フォワ
母:マリー・ド・ヴァロワ
夫:フェルナンド2世・デ・アラゴン

概要

 ジェルメーヌ・ド・フォワは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1505年10月12日
ブロワ協定:フェルナンド2世・デ・アラゴン、ナポリをも求める女婿フェリペ1世とその父マクシミリアン1世に対抗すべくルイ12世に急速に接近し、自分は彼の姪ジェルメーヌ・ド・フォワ(1488年~1538年)と再婚し、彼はナポリに対する一切の要求を放棄することなどにつき協定。これにより、フェルナンド2世・デ・アラゴンへのカスティーリアの貴族たちの反感強まる。
1506年3月18日
フェルナンド2世・デ・アラゴン、1505年10月のブロワ協定によりルイ12世の姪ジェルメーヌ・ド・フォワと再婚。同協定によりルイ12世はナポリに対する一切の要求を放棄。フェルナンド2世・デ・アラゴンはナポリ王としてFernando IIIを名乗る。
1512年4月11日
ガストン・ド・フォワ指揮のルイ12世軍とアルフォンソ1世・デステ指揮のフェッラーラ軍、ラヴェンナ近郊でイタリア史上稀に見る大激戦の末ライモンド・ディ・カルドーナ指揮の神聖同盟軍を破り、翌1512年4月12日、ラヴェンナに入城。軍、未曾有の略奪、暴行、虐殺を欲しいままにする。
完敗した同盟軍はライモンド・ディ・カルドーナがチェゼーナへ、マルカントーニオ・コロンナはリーミニへ逃げ、ジョヴァンニ・デ・メディチはフランス軍の、ファブリツィオ・コロンナはフェッラーラ軍の捕虜となり、完勝したルイ12世軍もガストン・ド・フォワを戦死させた(1489年~)他、軍に多大の損失を被る。
ラヴェンナ占領におけるルイ12世軍の実態に対する恐怖広まり、イーモラ、ファエンツァ、フォルリ、チェゼーナ、リーミニなど次々にルイ12世軍に降伏し、数日でロマーニャのほぼ全域が支配下に入る。
ナヴァーラの領有を目論むフェルナンド2世・デ・アラゴンは、ガストン・ド・フォワの死により、その姉である自分の妻ジェルメーヌ・ド・フォワにナヴァーラの王位請求権が生じたと主張。

外部リンク

 ウィキペディア
 Famille de Carné
 Foundation for Medieval Genealogy
 Genealogy.EU

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2010年12月7日