Giovanni Battista da Montesecco

ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・モンテセッコ

生没:~1478年5月4日

概要

 ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・モンテセッコはイタリアの傭兵隊長。

年表

1477年5月か6月頃
ヴァティカン宮殿の大司教の部屋で、フランチェスコ・サルヴィアーティに会う。
2、3週間後に、ジローラモ・リアリオの邸宅で、ジローラモ・リアリオフランチェスコ・サルヴィアーティに会う。
1477年真夏
フィレンツェに到着。メディチ宮殿を訪れ、ロレンツォ・イル・マニーフィコから打ち解けた態度で出迎えられる。ジローラモ・リアリオイーモラの様子を報告するため、現地を訪れるよう勧められる。
この面会後、みすぼらしい宿屋オステリーア・デッラ・カンパーナに身分を隠して泊まる。そこへ日が落ちてから現れたヤコポ・デ・パッツィを説得するが、最終的な合意には至らず。
イーモラを訪問し、数日滞在。
帰路の途中でカファッジョーロのメディチ家別荘に立ち寄り、イーモラ訪問が首尾よくいったことを報告するという口実でロレンツォ・イル・マニーフィコジュリアーノ・ディ・ピエロ・デ・メディチに会う。
その後メディチ兄弟に同行してフィレンツェに戻る。
1477年8月下旬
ヤコポ・デ・パッツィの邸宅で、ヤコポ・デ・パッツィフランチェスコ・デ・パッツィと会合。
1477年8月27日
ローマに戻る。
1478年4月26日(日)
朝ヴィッラ・ラ・ロッジャを出発して馬でフィレンツェに向かった。一行はラッファエーレ・サンソーニ枢機卿、フランチェスコ・サルヴィアーティ大司教、ヤコポ・ブラッチョリーニ
パッツィ家の陰謀
1478年5月4日
陰謀の計画に関する自白書を看守が見ている前で書き記し、手渡した。この文書は教皇シクストゥス4世とその一味を告発するもので、そこにはフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロも含まれていた。
1478年8月4日
フィレンツェ共和国大使館事務局が自白書を印刷、公表。フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロに関する文章は注意深く削除されていた。有罪の証拠となる文書の改竄版は、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが面目を失わずに寝返ることができる余地を残しておくという目的に適うものだった。

別表記

 モンテセッコ伯ジャン・バッティスタ、ジョヴァンニ・ダ・モンテシッコ、ジョヴァン・バッティスタ、Giovann Battista

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

記載日

 2005年5月29日以前