ジローラモ・オルジアーティ

Girolamo Olgiati

ジローラモ・オルジアーティ

生没年:1453年~1477年1月2日

概要

 ジローラモ・オルジアーティは、15世紀のイタリアの男性、ミラノ公国の政府の役人。ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ暗殺者の1人。

教養

 非常な教養人であり博学だったという。
 サッルスティウス著『カティリナの陰謀』を信奉していた。

暗殺の動機

 陰謀者たちの間で急進的存在であり、他の者たちのように怨恨によるものではなく、彼の場合、それは共和政の理念のためであった。民衆蜂起、自由政体の実現を目指しての暴君殺害は、彼が師事していた人文主義者のコーラ・モンターノの教えによるものだと告白している。

暗殺

 1476年12月26日、ミラノサント・ステファノ教会に3人は集まる。この日はサント・ステファノの日であり、ここでミサが執り行われることになっていた。ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ一行が到着すると、3人は彼の前に出、一言二言交わした後、まずジョヴァンニ・アンドレア・ランプニャーニが刺し、カルロ・ヴィスコンティ、ジローラモ・オルジアーティと、ジョヴァンニ・アンドレア・ランプニャーニの使用人フランツォーネがそれに続いた。
 ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァが殺され、人々は恐慌状態となり、教会から逃げ出す。ジョヴァンニ・アンドレア・ランプニャーニは教会の女性側に向かって逃走を試みたが、ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの護衛に捕らえられてその場で惨殺された。他の共犯者3人は、群集の間に強引に入り込み、逃走に成功する。

暗殺後

 1476年12月27日、フランツォーネが捕まり、共犯者を自白。
 1476年12月29/30日、カルロ・ヴィスコンティは、怯えた親族と、彼を謀反人と非難した父親によって警吏に引き渡される。
 ジローラモ・オルジアーティの父親は息子のしでかしたことにおののき、逃亡に手を貸そうとはしなかったが、母親は変装した息子を友人の聖職者の家に匿っていた。オルジアーティ家の2人の使用人が青年の身を守ろうとしたものの、2人は捕らえられた後に四つ裂きの刑に処せられた。
 ニッコロ・マキアヴェッリによれば、ジローラモ・オルジアーティは拷問されている時に、「死は悲惨だ。だが勝利は永遠であり、我が行為は存続するであろう」との言葉を残したという。
 1477年1月2日、カルロ・ヴィスコンティ、ジローラモ・オルジアーティとフランツォーネは死刑に処せられ、死体は警告として曝された。
 ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァは冷酷な君主として知られていたにもかかわらず、民衆が彼の暗殺に呼応することはなかった。

別表記

 ジェロラーモ・オルジャーティ、Gerolamo Olgiati

外部リンク

 The Assassin's Creed Wiki
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『April Blood

記載日

 2005年5月29日以前
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで