Girolamo Riario

ジローラモ・リアリオ

生没:1438年~1488年4月14日
出身:サヴォーナ
没地:フォルリ
父:パオロ・リアリオ
母:ビアンカ・デッラ・ローヴェレ
妻:カテリーナ・スフォルツァ
子:オッタヴィアーノ・リアリオ
  チェーザレ・リアリオ
  ビアンカ・リアリオ
  ジョヴァンニ・リヴィオ・リアリオ
  フランチェスコ・スフォルツィーノ・リアリオ
  ガレアッツォ・リアリオ
  スキピオーネ・リアリオ

概要

 ジローラモ・リアリオは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 イーモラ領主 1473年~1488年
 フォルリ領主 1480年末~1488年

容姿

 肥満。青白い肌。

年表

1438年
サヴォーナにて、生(1443年)。
1473年1月17日
ミラノカテリーナ・スフォルツァと結婚(1473年1月14日、1477年)。チッコ・シモネッタが2人の結婚式を取り仕切る。
1473年
シクストゥス4世により、イーモラを封与される。
1474年8月21日
サン・ピエトロ大聖堂フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの公爵叙任式に参加。
1477年9月1日
ローマロレンツォ・イル・マニーフィコ宛書簡をしたためる。ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・モンテセッコがフィレンツェで彼の歓迎を受けたことに感謝を述べる。
1477年11月
腹心の部下であるロレンツォ・ジュスティーニをナポリに派遣。
1478年1月15日
ローマロレンツォ・イル・マニーフィコ宛書簡2通をしたためる。ヤコポ・ブラッチョリーニの推薦状。
1478年3月27日
ヴァティカン宮殿で会合。出席者はロレンツォ・ジュスティーニ、ナポリ大使アネッロ・アルカモーネ、ウルビーノ公使アゴスティーノ・スタッコーリ及びピエロ・フェリーチ
1480年8月8日
フォルリの領主であることを宣言。
1480年末
シクストゥス4世により、フォルリを封与される。
1481年9月
ヴェネツィアに赴き丁重な歓待を受ける中でフェッラーラの制圧を勧奨し、制圧後はフェッラーラをヴェネツィアの配下に置くことをシクストゥス4世は約束すると言明。
ヴェネツィア、内部で激論の末フェッラーラ制圧を決める。
この動きにフィレンツェミラノナポリが対抗し、イタリアは徐々に二大陣営に分かれる。
1488年4月14日
圧政により民衆の憎悪、怨恨の的ともなっていた為、自身の役人チェッコ・デル・オルソら3名の主導により殺害される(1488年4月15日)。

肖像


メロッツォ・ダ・フォルリ
シクストゥス4世によってバチカン図書館司書に任命されたバルトロメオ・プラティナ

注文

 アルテンプス宮殿

別表記

 ジェロラーモ、イエロニモ・ダ・リアーリオ、ジロラーモ・デ・リアーリオ伯

外部リンク

 Google Books
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界悪女大全』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家の人びと』
 『ルネサンスの女たち』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『April Blood
 『At the Court of the Borgia
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前