ジューリア・ファルネーゼ

Giulia Farnese

ジューリア・ファルネーゼ

生没年:1474年~1524年3月23日
出身:カニーノ
没地:ローマ
父:ピエル・ルイジ・ファルネーゼ
母:ジョヴァンナ・カエターニ
夫:オルシーノ・ミリオラーティ
  ジョヴァンニ・マリーア・カペーチェ・ボッツート
子:ラウラ・ミリオラーティ

概要

 ジューリア・ファルネーゼは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。アレクサンデル6世の愛人。その美貌が一地方貴族にすぎなかったファルネーゼ家を名家へとのし上げた。

容姿

 褐色の肌、黒い目、丸い顔、金髪。

年表

1474年
生。
1489年5月20日
ボルジア宮殿(現スフォルツァ・チェザリーニ宮殿)の星の間でオルシーノ・ミリオラーティと婚姻契約。証人は、きょうだいではアンジェロ・ファルネーゼ、おじニコラ・カエターニ、おじの教皇庁首席書記官ヤコポ・カエターニバルトロメ・マルティ、その他高位聖職者、ローマの貴族ら。婚姻契約書は公証人カミッロ・ベネイムベネによって書かれ、教皇庁副尚書院長ロドリゴ・ボルジア枢機卿が第1証人で、持参金は3千フィオリーノ。
1489年5月21日
オルシーノ・ミリオラーティと結婚。ボルジア宮殿で行われたこの式には、ロドリゴ・ボルジア、サンタ・マリア・イン・ポルティコの枢機卿ジョヴァンニ・バッティスタ・ゼノジョヴァンニ・バッティスタ・オルシーニ枢機卿、フィレンツェ大司教リナルド・オルシーニ、その他の高位聖職者、商人、オルシーニ、ボルジア各家の親類などが列席。
1492年11月30日
ラウラ・ミリオラーティを出産。
1493年6月12日
ルクレツィア・ボルジアジョヴァンニ・スフォルツァヴァティカン宮殿での結婚式に参列。
1493年11月
この頃には教皇アレクサンデル6世のほぼ公然たる愛妾となる。
1493年
この頃?、サンタ・マリア・イン・ポルティコ宮殿ルクレツィア・ボルジアアドリアーナ・デル・ミラと共に住む。夫のオルシーノ・ミリオラーティヴァザネッロ城に住む。
1494年春
ルクレツィア・ボルジアらと共にペーザロへ赴く。
1494年6月8日
ペーザロ到着。
1494年6月
ペーザロにて、アレクサンデル6世宛てに手紙をしたためる。「私の唯1人の殿御に」ルクレツィア・ボルジアは幸せな妻として暮らしており、遺漏なく振舞っているし、ペーザロはフォリーニョよりもずっとひらけた町であり、誰もがスフォルツァ家に心服しているので、教皇様にもご安堵頂きたい。たえず、踊ったり、歌ったり、音楽界を開いたり、仮面舞踏会を催したりしている。しかし、だからと言って、私とアドリアーナ・デル・ミラが楽しんでいるとは、教皇様にお考え頂きたくない。悲しいことに、「聖下はいらっしゃらないし、私の全ての幸せも喜びも聖下次第なのですから、どんな楽しみもありませんし、そういう楽しみを味わう喜びというものも持てないのです。私の宝のいられるところに、私の心もあるのですから。聖下のお膝元にいる時の他は、何もかも空しいのです。そうでないと言う人がいたら、その人はよほどどうかしているのです。聖下におかれては、私たちをお忘れになりませんことを、そして、ここに閉じ込められた私たちを程なく呼び戻してくださいますことを。そして、時々はお便りを下さり、心からお仕えする私のことを思い出してくださいますことを」。兄弟のアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿に新たに与えられた愛顧について教皇に感謝を述べる。「聖下を煩わさないために」、そこで手紙を結ぶ。
1494年7月12日
長兄アンジェロ・ファルネーゼが臨終の床にあることを知り、この日未明、アドリアーナ・デル・ミラフランチェスコ・ガセット、それに少人数の供を従え、ペーザロを出発し、カポディモンテに見舞いに行く。
1494年11月27日
ローマへ向かい、アドリアーナ・デル・ミラと姉ジローラマ・ファルネーゼと共にカポディモンテの城を出発。少し行ったところでイヴ・ダレーグル以下フランス騎兵隊と遭遇。25人から30人の従者も共に、捕虜としてモンテフィアスコーネへ連れていかれる(1494年11月29日)。
イヴ・ダレーグルは3千ドゥカートを身代金として要求。
好待遇を受けていること、身代金を送って欲しいという内容でローマに手紙を書く。
1494年12月1日
夜、4百名のフランス兵に護衛され、アドリアーナ・デル・ミラジローラマ・ファルネーゼと共にローマに帰還。門のところで教皇の侍従フアン・マラデスに出迎えられる。
1504年
ジローラマ・ファルネーゼヴァザネッロに埋葬する(1505年11月1日)。
この時には、ヴァザネッロ城に、オルシーノ・ミリオラーティと共に住む。
1505年
ローマに、オルシーノ・ミリオラーティと離れて住む。
1505年11月
ヴァティカンにて、娘ラウラ・ミリオラーティニッコロ・フランチオッティと結婚。
1509年2月20日
ジョヴァンニ・マリーア・カペーチェ・ボッツートと結婚。
1524年3月14日
遺言書を作成。
1524年3月23日
ローマで死。

肖像

 聖母の前に跪くアレクサンデル6世
 パウルス3世霊廟

関連項目

 The Borgias: 102, 103, 104, 105, 106, 107, 108, 109, 201

チェーザレ・ボルジア数

 夫オルシーノ・ミリオラーティ→母アドリアーナ・デル・ミラ→父ペレ・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア

外部リンク

 ウィキペディア
 ボルジア解体新書
 Famille de Carné
 Find A Grave
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 RootsWeb.com
 THE BORGIAS wiki
 Treccani.it

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ボルジア家の黄金の血』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前
ファルネーゼ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで