Giulia da Varano

ジューリア・ダ・ヴァラーノ

生没:1523年3月24日~1547年2月17日
出身:カメリーノ
没地:フォッソンブローネ
父:ジョヴァンニ・マリーア・ダ・ヴァラーノ
母:カテリーナ・チーボ
夫:グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレ
子:ヴィルジーニア・デッラ・ローヴェレ

概要

 ジューリア・ダ・ヴァラーノは、16世紀のイタリアの女性。

年表

1523年3月24日
カメリーノにて生。
1527年8月19日
ジョヴァンニ・マリーア・ダ・ヴァラーノ死。カメリーノ公となり、母カテリーナ・チーボが摂政に就く。
1532年
グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレと婚約。
1535年2月
自分の孫オッタヴィオ・ファルネーゼと結婚させ、カメリーノを自家領に望むパウルス3世により、カメリーノ?を破門される。
1535年3月
パウルス3世により、カメリーノでの聖務を禁止される。
1535年5月
パウルス3世により、カメリーノがエルコーレ・ダ・ヴァラーノに封与される。
1537年1月
グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレと、ウルビーノ公の承認の下で結婚(1534年)。カメリーノを事実上、領有。
1537年7月
パウルス3世エルコーレ・ダ・ヴァラーノを威嚇し、封与したカメリーノを教会に返還させる。以後、カメリーノを教会領と主張。
1538年11月15日
カメリーノの領有を続ける自分とウルビーノグイドバルド2世・デッラ・ローヴェレに対し、パウルス3世からカメリーノは教会直属領であると改めて主張され、領地返還を要求される。
1538年11月29日
パウルス3世ピエル・ルイジ・ファルネーゼにその軍を率いてカメリーノを攻撃するよう指令。
1539年1月初旬
自分たちのカメリーノ領有権を支持するコジモ1世・デ・メディチの具体的支援も、父・故フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレの健在時に得てきたヴェネツィアフェッラーラの支援も共に得られず、パウルス3世の強い要求に屈してカメリーノ領有を断念、放棄。代わりに報償金と、これまで拒否されてきたパウルス3世によるグイドバルド2世・デッラ・ローヴェレウルビーノ公への叙任を得る。
1542年1月
この月?、グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレ、多額の報償金7万8千スクードを得てカメリーノに対する全権利を教皇庁に委譲・放棄。
1547年2月18日
フォッソンブローネにて死(1547年2月17日)。

外部リンク

 GeneAll.net
 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2014年5月6日