Guido Ascanio Sforza

グイド・アスカーニオ・スフォルツァ

年表

1555年8月10日
カール5世陣営に与するサンタ・フィオーラのスフォルツァ家が、謀ってアンリ2世軍のガレー船2隻をチヴィタヴェッキアで奪い、ナポリに向けて出港させたのに対し、カール5世陣営の貴族の跳梁を抑制しようと企図していたパウルス4世、この日、甥の枢機卿Carlo Carafaを通じて、スフォルツァ家の当主・教皇代行枢機卿グイド・アスカーニオ・スフォルツァ(1518年~1564年:枢機卿在位1534年~1564年:教皇代行在位1537年~?)に、奪った船を3日以内にチヴィタヴェッキアに戻さなければ訴追すると通告。
これに対しグイド・アスカーニオ・スフォルツァ、夜、自宅にコロンナ家などカール5世陣営の貴族を集め、反パウルス4世を叫んで気勢を上げる。Marcantonio Colonna(1535年~1584年)は、すぐにも反パウルス4世暴動に決起する用意があると決意を表明。
1555年8月31日
パウルス4世、ガレー船の返還に応じないグイド・アスカーニオ・スフォルツァサンタンジェロ城に連行させる。
1555年9月15日
スフォルツァ家に奪われたアンリ2世水軍のガレー船、チヴィタヴェッキアに帰還。4日後パウルス4世グイド・アスカーニオ・スフォルツァを巨額の保釈金などと引き換えに釈放。
しかし教会領の南の境界で大規模な徴兵を続けるカール5世軍(スペイン軍)と、北の境界でアンリ2世軍の一掃を狙うカール5世陣営のコジモ1世・デ・メディチ軍とに囲まれたパウルス4世、恐怖を覚えつつスペイン=ハプスブルク帝国への反発・敵意を募らせる。
1556年5月4日
パウルス4世グイド・アスカーニオ・スフォルツァ及びMarcantonio Colonnaのコロンナ親子に破門及び財産没収の処分を下す。

別表記

 カメルレンゴ・アスカーニオ・スフォルツァ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2006年10月27日以前