Jean d'Albret

ジャン・ダルブレ

生没:1469年~1516年
在位:ナヴァーラ王 1484年~1516年
父:アラン・ダルブレ
母:フランソワーズ・ド・シャティヨン=リモージュ
妻:カトリーヌ・ド・フォワ
子:アンヌ・ダルブレ
  マドレーヌ・ダルブレ
  カトリーヌ・ダルブレ
  ジャン・ダルブレ
  キトゥリー・ダルブレ
  アンドレ・フェビュス・ダルブレ
  アンリ2世・ド・ナヴァール
  ボナバンチュール・ダルブレ
  マルタン・フェビュス・ダルブレ
  フランソワ・ダルブレ
  シャルル・ダルブレ
  イザボー・ダルブレ

概要

 ジャン・ダルブレは、15世紀~16世紀の男性。

年表

1469年
生。
1484年7月14日
フォワ領オルテズにて、カトリーヌ・ド・フォワとの結婚式を挙げる。ナヴァーラ共同統治王となる。
1494年1月10日
サンタ・マリーア・デ・パンプローナ大聖堂にて、妻カトリーヌ・ド・フォワと共にナヴァーラ王として戴冠。
義母マドレーヌ・ド・ヴァロワが摂政を退任。
1499年5月
シャルロット・ダルブレが、チェーザレ・ボルジアと結婚。
1506年10月25日
チェーザレ・ボルジア、捕らえられていたヴァレンシアのメディナ・デル・カンポを逃亡し、1506年12月3日、義兄ナヴァーラ王ジャン・ダルブレのもとに到着。
1512年5月3~17日
ユリウス2世は、16名の枢機卿などを率いてローマのラテラーノ大聖堂で公会議を開催。1512年5月10日、1512年5月17日と会議続行。ピサ分離公会議を無効と確認し、ユリウス2世はその勅書を発する。
ヘンリー8世は、ユリウス2世の勧奨も受けて大軍をフランス領に接したスペインのオンダリビアに上陸させ、フェルナンド2世・デ・アラゴン軍と共にギュイエンヌ攻撃態勢を整えさせる。
このためルイ12世は、兵の新たな徴集、ギュイエンヌと接するナヴァーラ王国のジャン・ダルブレとの協調などの対策を講じざるを得なくなり、以後イタリアの覇権獲得に全力を集中できなくなる。
ユリウス2世とヴェネツィアから資金を得たスイス連邦は、ようやく軍のイタリア南下、ミラノ攻撃態勢を整える。
ルイ12世は、ロマーニャの自軍を、ボローニャ防衛のための少数の兵を除いてミラノ防衛に回すよう指示。
1512年7月18日
ルイ12世ジャン・ダルブレ、ブロワで協定。
1512年7月21日
ユリウス2世は、ジャン・ダルブレを分離公会議派に与したとの理由を挙げて破門。
1516年
スペインに併合されたナヴァーラの前王ジャン・ダルブレ(?~)及び王妃カトリーヌ・ド・フォア(?~)死。

チェーザレ・ボルジア数

 きょうだいシャルロット・ダルブレ→夫チェーザレ・ボルジア

別表記

 Jean III d'Albret

外部リンク

 ウィキペディア
 Famille de Carné
 Genealogy.EU

参考文献

 『イタリア史』
 『世界大百科事典』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの歴史』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前