人物4

ナルド・ナルディ Naldo Naldi

生没:1439年8月31日~1513年
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
父:ヤコポ・ナルディ
母:フィアンメッタ
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『メディチ家』
 『ルネサンス精神の深層』

メリアドゥーセ・ディ・スキピオーネ・デステ Meliaduse d'Este

在位:コマッキオ司教 1497年~1506年
父:スキピオーネ・デステ
母:レオナルダ・フレゴーソ
別表記
 Maladusio
外部リンク
 Google Books - Herculean Ferrara
 Wikipedia
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

ニッコロ・マリーア・デステ Niccolò Maria d'Este

生没:1450年?~1507年8月5日
出身:フェッラーラ
没地:フェッラーラ
在位:アドリア司教 1487年~1507年
父:グローネ・デステ
概要
 ニッコロ・マリーア・デステは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。
別表記
 NicolòNiccolò Maria di Gurone d'Este
外部リンク
 Catholic-Hierarchy
 GCatholic.com
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

エルコーレ・デステ Ercole d'Este

父:シギスモンド・ディ・ニッコロ・デステ
妻:アンジオーラ・スフォルツァ
外部リンク
 GeneaNet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

トンマーゾ・ストロッツィ Tommaso Strozzi

出身:フィレンツェ
没地:マントヴァ
父:マルコ・ストロッツィ
別表記
 トッマーゾ、トマーゾ
関連項目
 チオンピの乱
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『君主論』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』

ベルナルデット・デ・メディチ Bernardetto de' Medici

生没:1393年~1465年頃
父:アントーニオ・ディ・ジュリアーノ・デ・メディチ
母:チッラ・デ・ボノッコルシ
子:アヴェラルド・デ・メディチ
  ロレンツォ・ディ・ベルナルデット・デ・メディチ
概要
 ベルナルデット・デ・メディチは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Wikipedia

ルイーザ・デ・メディチ Luisa de' Medici

生没:1477年~1488年
父:ロレンツォ・イル・マニーフィコ
夫:ジョヴァンニ・イル・ポポラーノ
概要
 ルイーザ・デ・メディチは、15世紀のイタリアの女性。
別表記
 ルイジア
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『ルネサンスの歴史』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

カルロ・デ・メディチ Carlo de' Medici

生没:1430年~1492年
父:コジモ・イル・ヴェッキオ
母:マッダレーナ
概要
 カルロ・デ・メディチは、コジモ・イル・ヴェッキオと、コーカサス出身の女奴隷マッダレーナとの庶子。
別表記
 カルロ・ディ・コジモ・ディ・メディチ
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ベルナルド・ミケロッツィ Bernardo Michelozzi

父:ミケロッツォ
外部リンク
 Treccani
 Wikipédia
参考文献
 『逆光のメディチ』

グリフォーネ・バルチーリア Grifone Barciglia

外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』

パンドルフォ・ルチェッライ Pandolfo Rucellai

外部リンク
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『フィレンツェ史』

フェルナンデス・デ・ナバッレテ Fernandèz de Navarrete

外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

カミッラ・ディ・ジャンピエトロ・ゴンザーガ Camilla Gonzaga

父:ジャンピエトロ1世・ゴンザーガ
母:カテリーナ・トレッリ
夫:アレッサンドロ・ダ・ポルト
概要
 カミッラ・ゴンザーガは、15~16世紀頃のイタリアの女性。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』

スザンナ・ゴンザーガ Susanna Gonzaga

生没:1447年~1481年
出身:マントヴァ
没地:マントヴァ
父:ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ
母:バルバラ・フォン・ブランデンブルク
概要
 スザンナ・ゴンザーガは、15世紀のイタリアの女性。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

イッポーリタ・ディ・ルドヴィーコ・ゴンザーガ
Ippolita Gonzaga

生没:1510年頃~
父:ルドヴィーコ・ディ・ジャンフランチェスコ・ゴンザーガ
夫:ガレオット2世・ピコ
子:ルドヴィーコ2世・ピコ
概要
 イッポーリタ・ゴンザーガは、16世紀頃のイタリアの女性。
外部リンク
 Wikipedia

カルロ・ベンボー Carlo Bembo

父:ベルナルド・ベンボー
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

ジューリア・ボイアルド Giulia Boiardo

父:フェルトリーノ・ボイアルド
母:ジュドゥッチア・ダ・コレッジョ
夫:ジャンフランチェスコ1世・ピコ
子:ガレオット・ピコ
  カテリーナ・ピコ
  ジョヴァンニ・ピコ
外部リンク
 Famille de Carné
 JDA's Family Tree
 Wikipedia
参考文献
 『ルネサンスの華』

ポンペーオ・カッチーニ Pompeo Caccini

父:ジューリオ・カッチーニ
妻:ジネヴラ
外部リンク
 Journal Publishing Services - Pompeo Caccini and Euridice
 The Medici Archive Project
 Wikipedia
参考文献
 『Lost Girls
 『Pompeo Caccini and Euridice

ディアヌ・ド・ポワチエ Dianu de Poitiers

生没:1499年~1566年
夫:ルイ・ド・ブレゼ
概要
 ディアヌ・ド・ポワチエは、15世紀~16世紀の女性。
別表記
 ディアーヌ・ド・ポアティエ
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『世界悪女大全』
 『世界大百科事典』
 『メディチ家』
 『ルネサンス百科事典』

エリザベス・スタフォード Elizabeth Stafford

父:エドワード・スタフォード
夫:トマス・ハワード
外部リンク
 Famille de Carné
 Find A Grave
 Wikipedia

ルドヴィーコ2世・ピコ Ludovico II Pico

生没:1527年~1568年12月18日
父:ガレオット2世・ピコ
母:イッポーリタ・ディ・ルドヴィーコ・ゴンザーガ
妻:レナータ・デステ
  フルヴィア・コッレッジオ
子:イッポリータ・ピコ
  レメア・ピコ
  フェデリーコ・ピコ
  アレッサンドロ・ピコ
  ガレオット・ピコ
概要
 ルドヴィーコ2世・ピコは、16世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Wikipedia

ガレオット2世・ピコ Galeotto II Pico

生没:1508年~1550年11月20日
父:ルドヴィーコ・ピコ
母:フランチェスカ・トリヴルツィオ
妻:イッポーリタ・ディ・ルドヴィーコ・ゴンザーガ
子:ルドヴィーコ2世・ピコ
概要
 ガレオット2世・ピコは、16世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Wikipedia

ハインリヒ7世 Heinrich VII

生没:1270年?~1313年
在位:神聖ローマ皇帝 1308年~1313年
妻:マルゲリータ・ディ・ブラバント
概要
 ハインリヒ7世は、13世紀~14世紀の男性。
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『サロメの乳母の話』
 『マキァヴェッリ 忘恩、運命、野心、好機』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルネサンス宮廷大全』

フィリッポ・デッラ・トッレ Filippo della Torre

生没:~1265年
父:ヤコポ・デッラ・トッレ
子:サルヴィーノ・デッラ・トッレ
概要
 フィリッポ・デッラ・トッレは、13世紀頃のイタリアの男性。
外部リンク
 Foundation for Medieval Genealogy
 Wikipedia
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

トット・マキャヴェリ Totto Machiavelli

生没:1475年~1522年
父:ベルナルド・マキアヴェッリ
母:バルトロメア・デ・ネッリ
概要
 トット・マキャヴェリは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『君主論』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フアン・デ・カストロ Juan de Castro

生没:1431年~1506年
在位:枢機卿 1496年2月19日~
       任命した教皇:アレクサンデル6世
概要
 フアン・デ・カストロは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。
外部リンク
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia
参考文献
 『Lucretia Borgia

ヨランダ・ダラゴーナ Jolanda d'Aragona

生没:1273年~1302年8月
父:ペドロ3世
母:コンスタンサ・デ・シシリア
夫:ロベルト・ダンジオ
子:カルロ・ダンジオ
  ルドヴィーコ・ダンジオ
概要
 ヨランダ・ダラゴーナは、13世紀~14世紀の女性。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 ウィキペディア

ヨハネス・アルギュロプロス Johannes Argyropulos

生没:1415年頃~1487年
概要
 ヨハネス・アルギュロプロスは、15世紀の男性。
別表記
 ヤノス・アルギュロプーロス、John Argyropulos
外部リンク
 みんなの知恵蔵
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『ルネサンス精神の深層』
 『Lucretia Borgia

テクラ・デ・ボルハ Tecla de Borja

父:ホフレ・デ・ボルハ
母:イザベッラ・デ・ボルハ
夫:Vidal de Villanova
概要
 テクラ・デ・ボルハは、15世紀頃の女性。
チェーザレ・ボルジア数
 きょうだいアレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Genealogy.EU
 Wikipedia
参考文献
 『Lucretia Borgia

ベルナルド・マキアヴェッリ Bernardo Machiavelli

生没:1428年~1500年
妻:バルトロメア・デ・ネッリ
子:プリマヴェーラ・マキアヴェッリ
  マルゲリータ・マキアヴェッリ
  ニッコロ・マキアヴェッリ
  トット・マキアヴェッリ
概要
 ベルナルド・マキアヴェッリは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
別表記
 ベルナルド・ディ・ニッコロ・マキアヴェリ
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『君主論』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ガレオット・フランチオッティ Galeotto Franciotti

生没:1471年~1507年
在位:枢機卿 1503年11月29日~
       任命した教皇:ユリウス2世
父:ジャンフランチェスコ・フランチオッティ
母:ルキナ・デッラ・ローヴェレ
概要
 ガレオット・フランチオッティは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。
外部リンク
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『Lucretia Borgia

ジャンブオーノ・デ・メディチ Giambuono de' Medici

生没:1131年頃~1192年
子:ボーナジュンタ・ディ・ジャンブオーノ・デ・メディチ
  キアリッシモ・ディ・ジャンブオーノ・デ・メディチ
概要
 ジャンブオーノ・デ・メディチは、12世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 The Tragedies of the Medici - Project Gutenberg
 Wikipedia

ルドヴィーコ・ダ・バルビアーノ Ludovico da Barbiano

生没:~1419年5月25日以降
父:アルベリーコ・ダ・バルビアーノ
母:ベアトリーチェ・ダ・ポレンタ
妻:イザベッラ・マンフレディ
子:ジョヴァンニ・ダ・バルビアーノ
  アルベリーコ・ダ・バルビアーノ
  ラニエーリオ・ダ・バルビアーノ
  マラテスタ・ダ・バルビアーノ
  ジョヴァンナ・ダ・バルビアーノ
概要
 ルドヴィーコ・ダ・バルビアーノは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Wikipedia

アルダ・デステ Alda d' Este

生没:1333年6月18日~1381年
没地:マントヴァ
父:オビッツォ3世・デステ
母:エリザベス・フォン・ザクセン=ヴィッテンベルク
夫:ルドヴィーコ2世・ゴンザーガ
子:フランチェスコ1世・ゴンザーガ
  エリザベッタ・ディ・ルドヴィーコ・ゴンザーガ
概要
 アルダ・デステは、14世紀のイタリアの女性。
外部リンク
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 Wikipedia

アントーニア・ダル・ヴェルメ Antonia dal Verme

生没:~1487年9月19日
没地:ボルゴヌオーヴォ
父:ルイジ・ダル・ヴェルメ
母:ルキナ・ブッソーネ
夫:スフォルツァ・セコンド・スフォルツァ
概要
 アントーニア・ダル・ヴェルメは、15世紀のイタリアの女性。
年表
1451年
スフォルツァ・セコンド・スフォルツァと結婚。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

バルトロメオ・ファツィオ Bartolomeo Facio

生没:1400年頃~1457年
出身:ラ・スペツィア
没地:ナポリ
概要
 バルトロメオ・ファツィオは、15世紀のイタリアの男性、人文主義者、歴史家。
年表
1400年頃
リグーリアのラ・スペツィアにて、生。
1457年11月
ナポリで死(1400年頃~)。
別表記
 Bartolommeo Facio
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

バッティスタ・ダ・モンテフェルトロ Battista da Montefeltro

生没:1384年~1448年
父:アントーニオ2世・ダ・モンテフェルトロ
夫:ガレアッツォ・マラテスタ
子:エリザベッタ・ディ・ガレアッツォ・マラテスタ
概要
 バッティスタ・ダ・モンテフェルトロは、14世紀~15世紀のイタリアの女性。
年表
1404年
ガレアッツォ・マラテスタと結婚。
外部リンク
 JDA's Family Tree
 Wikipedia
参考文献
 『ルネサンス宮廷大全』

イッポーリタ・ゴンザーガ Ippolita Gonzaga

生没:1503年11月13日~1570年3月16日
没地:マントヴァ
父:フランチェスコ2世・ゴンザーガ
母:イザベッラ・デステ
概要
 イッポーリタ・ゴンザーガは、16世紀のイタリアの女性。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』

マルコ・コルナーロ Marco Cornaro

生没:1482年~1524年
在位:枢機卿 1500年9月28日~
       任命した教皇:アレクサンデル6世
父:ジョルジョ・コルナーロ
母:エリザベッタ・モロジーニ
概要
 マルコ・コルナーロは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。
外部リンク
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』

スフォルツァ・セコンド・スフォルツァ Sforza Secondo Sforza

生没:1433年~1501年以後
出身:グロッタンマーレ
没地:ピアチェンツァ
父:フランチェスコ1世・スフォルツァ
妻:アントーニア・ダル・ヴェルメ
概要
 スフォルツァ・セコンド・スフォルツァは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

グイド・ランゴーニ Guido Rangoni

生没:~1467年10月
父:ゲラルド・ランゴーニ
妻:ジョヴァンナ・ボイアルド
子:ニッコロ・ランゴーニ
  ベアトリーチェ・ランゴーニ
  ドミティッラ・ランゴーニ
  エミリア・ランゴーニ
  ガブリエーレ・ランゴーニ
概要
 グイド・ランゴーニはイタリアの傭兵隊長。
別表記
 グィド
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルネッサンス夜話』

ラウドミア・ピッコローミニ Laudomia Piccolomini

父:シルヴィオ・ピッコローミニ
母:ヴィットーリア・フォルテグエッリ
夫:ナンニ・トデスキーニ
子:アントーニオ・トデスキーニ
  ピウス3世
  ヤコポ・トデスキーニ
  アンドレア・トデスキーニ
  モンタニーナ・トデスキーニ
外部リンク
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

マルコ・ディ・マッテオ・ヴィスコンティ Marco Visconti

生没:1289年~1329年
父:マッテオ1世・ヴィスコンティ
母:ボナコッサ・ボッリ
概要
 マルコ・ヴィスコンティは、13世紀~14世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。
外部リンク
 Foundation for Medieval Genealogy
 Genealogy.EU
 Treccani.it
 Wikipedia
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

アルディチーノ・デッラ・ポルタ Ardicino della Porta

生没:1434年~1493年2月4日
没地:ローマ
在位:枢機卿 1489年3月9日~
       任命した教皇:インノケンティウス8世
概要
 アルディチーノ・デッラ・ポルタは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。
別表記
 アレリア枢機卿、枢機卿アレーリア、Domenicus Porta
外部リンク
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia
参考文献
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ブランダ・カスティリオーネ Branda Castiglione

生没:~1487年7月16日
在位:コモ司教 1466年10月8日~1487年7月16日
父:ヤコポ・カスティリオーネ
概要
 ブランダ・カスティリオーネは、15世紀頃のイタリアの男性、聖職者。
別表記
 ブランダ・カスティリオーニ、Branda da CastiglioneCastiglioni
外部リンク
 GCatholic.com
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『April Blood

フェルトリーノ・ボイアルド Feltrino Boiardo

生没:1395年頃~1455年
父:マッテオ・ボイアルド
母:ベルナルディーナ・ランベルティーニ
妻:ジュドゥッチア・ダ・コレッジョ
子:ジョヴァンニ・ボイアルド
  ジューリオ・アスカーニオ・ボイアルド
  ジューリア・ボイアルド
概要
 フェルトリーノ・ボイアルドは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Famille de Carné
 JDA's Family Tree
 trionfi
 Wikipedia

フランチェスカ・トリヴルツィオ Francesca Trivulzio

生没:~1560年11月
没地:ミランドラ
父:ジャン・ヤコポ・トリヴルツィオ
夫:ルドヴィーコ・ピコ
子:ガレオット2世・ピコ
概要
 フランチェスカ・トリヴルツィオは、16世紀頃のイタリアの女性。
年表
1516年
平民と秘密裏に結婚。
1518年
平民の夫、絞首刑。
外部リンク
 Famille de Carné
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

グイド・ディ・ウベルト・ヴィスコンティ Guido Visconti

生没:1838年7月19日~1902年2月5日
出身:ミラノ
没地:ミラノ
父:ウベルト・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ
母:ジョヴァンナ・グロパッロ
妻:イーダ・レンジ
子:ウベルト・ヴィスコンティ
  ジョヴァンニ・ヴィスコンティ
  ジュゼッペ・ヴィスコンティ
  グイド・カルロ・ヴィスコンティ
概要
 グイド・ディ・ウベルト・ヴィスコンティは、19世紀~20世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Geni.com
 Wikipedia

レイモンド・ペラウルド Raymond Péraud

生没:1435年5月28日~1505年9月5日
在位:枢機卿 1493年9月20日~1505年9月5日
       任命した教皇:アレクサンデル6世
概要
 レイモンド・ペラウルドは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。
別表記
 Raymund Pérault
外部リンク
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア史』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『Lucretia Borgia

ビアンカ・スフォルツァ Bianca Sforza

生没:1482年~1496年11月23日
父:ルドヴィーコ・イル・モーロ
母:ベルナルディーナ・デ・コッラディス
夫:ガレアッツォ・サンセヴェリーノ
概要
 ビアンカ・スフォルツァは、15世紀のイタリアの女性。
別表記
 ビアンカ・ジョヴァンナ
外部リンク
 Genealogy.EU
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア史』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

イサベル・デ・ボルハ Isabel de Borja

生没:1498年1月15日~1557年10月28日
出身:ガンディア
父:フアン・ボルジア
母:マリーア・エンリケス
概要
 イサベル・デ・ボルハは、15世紀~16世紀のスペインの女性。
年表
1498年1月15日
ガンディアで生。
1557年10月28日
死(1537年)。
チェーザレ・ボルジア数
 父フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

レオノール・デ・カストロ・イ・メロ Leonor de Castro

生没:1512年~1546年3月27日
出身・没地:リスボン
父:アルヴァーロ・デ・カストロ
母:イザベル・デ・メロ
夫:フランシスコ・デ・ボルハ
概要
 レオノール・デ・カストロは、16世紀の女性。
チェーザレ・ボルジア数
 夫フランシスコ・デ・ボルハ→父フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケス→父フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
別表記
 エレアノーラ
外部リンク
 Famille de Carné
 Wikipedia
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia

マグダレーナ・デ・サンテーリャス Magdalena de Centelles

生没:~1596年頃
父:アンヘル・デ・サンテーリャス
母:ペレ・マカ・デ・リカーナ
夫:カルロス・デ・ボルハ
概要
 マグダレーナ・デ・サンテーリャスは、16世紀の女性。
チェーザレ・ボルジア数
 夫カルロス・デ・ボルハ→父フランシスコ・デ・ボルハ→父フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケス→父フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Famille de Carné
 Viquipèdia
参考文献
 『Lucretia Borgia

チェーザレ・リアリオ Cesare Riario

生没:1480年8月24日~1518年
在位:ピサ大司教 1499年6月3日~1518年9月3日
    先代:ラッファエーレ・サンソーニ
    次代:ラッファエーレ・サンソーニ
父:ジローラモ・リアリオ
母:カテリーナ・スフォルツァ
概要
 チェーザレ・リアリオは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。
外部リンク
 GCatholic.com
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルネサンスの女たち』

キアリッシモ・ディ・ジャンブオーノ・デ・メディチ Chiarissimo de' Medici

父:ジャンブオーノ・デ・メディチ
子:フィリッポ・ディ・キアリッシモ・デ・メディチ
年表
 1201年~1240年 記録。
別表記
 Chiarissimo II
外部リンク
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 The Tragedies of the Medici - Project Gutenberg
 Wikipedia
参考文献
 『メディチ家』

ジローラモ・フラカストロ Girolamo Fracastoro

生没:1478年~1553年
概要
 ジローラモ・フラカストロは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、自然科学者、医師、詩人。
年表
1478年
ヴェローナに生。
1530年
Syphilis sive morbus gallicus(シフィリス、またはフランス病)をヴェローナで刊行。
1546年
De Contagione et contagiosis morbis et curatione(伝染病と治療)をヴェネツィアで刊行。
1553年8月8日
ヴェローナ近郊Incaffiで死。
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『性病の世界史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

ティベーリオ・カラーファ Tiberio Carafa

生没:~1521年12月25日以降
父:ガレオット・カラーファ
母:ヴィオランテ・カンテルモ
妻:ジロラーマ・ランソル
子:フェルディナンド・カラーファ
  チェーザレ・カラーファ
  ヤコポ・カラーファ
  バルトロメオ・カラーファ
  フランチェスコ・カラーファ
  ジョヴァンニ・カラーファ
  ティベーリオ・カラーファ
  ジロラーマ・カラーファ
  ヴィットーリア・カラーファ
概要
 ティベーリオ・カラーファは、16世紀頃のイタリアの男性。
年表
1507年
ジロラーマ・ランソルと結婚。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

カミッラ・ゴンザーガ Camilla Gonzaga

生没:1500年~1585年
父:ジョヴァンニ・ゴンザーガ
母:ラウラ・ベンティヴォーリオ
夫:ピエル・マリーア3世・デ・ロッシ
概要
 カミッラ・ゴンザーガは、16世紀のイタリアの女性。
年表
1523年
ピエル・マリーア3世・デ・ロッシと結婚。
1585年
死(1572年)。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Palio di San Secondo
 Wikipedia

ドロテア・ゴンザーガ Dorotea Gonzaga

生没:1449年~1467年4月21日
父:ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ
母:バルバラ・フォン・ブランデンブルク
夫:ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ
概要
 ドロテア・ゴンザーガは、15世紀のイタリアの女性。
外部リンク
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンスの華』

イザベッラ・コロンナ Isabella Colonna

生没:1513年~1570年4月11日
没地:フォンディ
父:ヴェスパシアーノ・コロンナ
母:ベアトリーチェ・ダッピアーノ
夫:ルドヴィーコ・ゴンザーガ
  フィリッポ・デ・ランノイ
子:ヴェスパシアーノ・ゴンザーガ
  オラツィオ・デ・ランノイ
  マリーア・デ・ランノイ
  カルロ・デ・ランノイ
  プロスペロ・デ・ランノイ
  ポンペーオ・デ・ランノイ
概要
 イザベッラ・コロンナは、16世紀のイタリアの女性。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『メディチ家の人びと』

オビッツォ2世・デステ Obizzo II d' Este

生没:1247年~1293年2月13日
在位:フェッラーラ侯 1264年~1293年
   モデナの君主 1289年~1293年
父:リナルド1世・デステ
妻:ヤコピーナ・フィエスキ
  コスタンツァ・デッラ・スカラ
子:アッツォ8世・デステ
  ベアトリーチェ・ディ・オビッツォ・デステ
  アルドブランディーノ・デステ
  マグダレーナ・デステ
  フランチェスキーノ・デステ
概要
 オビッツォ2世・デステは、13世紀のイタリアの男性。
埋葬地
 サン・フランチェスコ教会
外部リンク
 世界帝王事典
 Wikipedia

アレッサンドロ・ゴンザーガ Alessandro Gonzaga

生没:1427年~1466年1月16日
父:ジャンフランチェスコ1世・ゴンザーガ
母:パオラ・マラテスタ
妻:アニェーゼ・ディ・グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ
概要
 アレッサンドロ・ゴンザーガは、15世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

バルトロメオ・スカラ Bartolomeo Scala

生没:1428年~1497年
出身:コッレ・ディ・ヴァル・デルザ
在位:正義の旗手 1486年5月~6月
   フィレンツェ第一書記局首席書記官
    後任:マルチェッロ・ヴィルジーリオ・アドリアーニ
概要
 バルトロメオ・スカラは、15世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家、人文主義者。
年表
1428年
シエナ近郊コッレ・ディ・ヴァル・デルザに生。
別表記
 スカーラ、Bartolomeo della Scala
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『逆光のメディチ』
 『フィレンツェ史』
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネッサンス夜話』

コヴェッラ・ルッフォ Covella Ruffo

生没:~1445年10月
父:カルロ・ルッフォ
母:チェッカレッラ・サンセヴェリーノ
夫:ジョヴァンニ・アントーニオ・ダ・マルツァーノ
  シャルル・ド・ヴァロワ
概要
 コヴェッラ・ルッフォは、15世紀頃のイタリアの女性。
年表
1425年頃
ジョヴァンニ・アントーニオ・ダ・マルツァーノと結婚。
1434年
ナポリにて、シャルル・ド・ヴァロワと結婚。
外部リンク
 Famille de Carné
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

エリザベッタ・ディ・ガレアッツォ・マラテスタ Elisabetta Malatesta

生没:1407年~1477年
父:ガレアッツォ・マラテスタ
母:バッティスタ・ダ・モンテフェルトロ
夫:ピエルジェンティーレ1世・ダ・ヴァラーノ
子:リドルフォ4世・ダ・ヴァラーノ
  コスタンツァ・ダ・ヴァラーノ
概要
 エリザベッタ・マラテスタは、15世紀のイタリアの女性。
年表
1425年
ピエルジェンティーレ1世・ダ・ヴァラーノと結婚。
外部リンク
 JDA's Family Tree
 Geneanet
 Wikipedia

ジャンステファノ・フェッレーロ Gianstefano Ferrero

生没:1474年5月5日~1510年10月5日
出身:ビエッラ
没地:ローマ
在位:枢機卿 1500年~1510年
概要
 ジャンステファノ・フェッレーロは枢機卿
在位
 枢機卿 1500年9月28日~1510年10月5日(任命アレクサンデル6世
 ボローニャ司教 1502年1月24日~1510年10月5日
別表記
 Giovanni Stefano Ferrer
外部リンク
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』

ウベルト・ディ・ルッジェーロ・ヴィスコンティ Uberto Visconti

生没:?~1248年以前
父:ルッジェーロ・ヴィスコンティ
妻:ベルタ・ピロヴァーナ
子:オットーネ・ヴィスコンティ
  アッツォーネ・ヴィスコンティ
  アンドレオット・ヴィスコンティ
  オビッツォ・ヴィスコンティ
  ベアトリーチェ・ヴィスコンティ
  マルゲリータ・ヴィスコンティ
概要
 ウベルト・ヴィスコンティは、13世紀頃のイタリアの男性。
別表記
 ウーベルト・ヴィスコンティ
外部リンク
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Wikipedia

ジャンピエトロ1世・ゴンザーガ Giampietro I Gonzaga

生没:1469年~1515年11月18日
没地:ノヴェッラーラ
在位:ノヴェッラーラの君主
父:フランチェスコ・ゴンザーガ
母:コンスタンツァ・ストロッツィ
妻:カテリーナ・トレッリ
子:アレッサンドロ1世・ゴンザーガ
  カミッラ・ディ・ジャンピエトロ・ゴンザーガ
概要
 ジャンピエトロ1世・ゴンザーガはイタリアの傭兵隊長。
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

カルロス・デ・ボルハ Carlos de Borja

生没:1530年~1592年6月16日
出身:マドリード
没地:カステロ・デ・ルガト
父:フランシスコ・デ・ボルハ
母:レオノール・デ・カストロ・イ・メロ
妻:マグダレーナ・デ・サンテーリャス
概要
 カルロス・デ・ボルハは、16世紀のスペインの男性。
年表
1548年11月21日
バルセロナにて、マグダレーナ・デ・サンテーリャスと結婚。
チェーザレ・ボルジア数
 父フランシスコ・デ・ボルハ→父フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケス→父フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Famille de Carné
 Wikipedia
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia

グレゴリウス10世 Gregorius X

生没:?~1274年
在位:第184代教皇 1271年~1276年
父:オビッツォ・ヴィスコンティ
妻:アナスタシア・ピロヴァーノ
子:マッテオ1世・ヴィスコンティ
  ウベルト・ディ・テオバルド・ヴィスコンティ
概要
 テオバルド・ヴィスコンティは、13世紀のイタリアの男性、聖職者。第184代教皇グレゴリウス10世。
本名
 テオバルド・ヴィスコンティ、テバルド、Teobaldo Visconti
外部リンク
 ウィキペディア
 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 Geni.com
 JDA's Family Tree
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルネサンスの歴史』

ベルナルド・ジューニ Bernardo Giugni

生没:1396年11月19日~1466年7月5日
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
父:フィリッポ・ジューニ
母:アントーニア・サピティ
年表
1396年11月19日
フィレンツェのサンタ・クローチェ地区にて、生。
1466年3月8日
フランチェスコ1世・スフォルツァが没し、ミラノで政変が起こる可能性が危惧されたため、ルイジ・ディ・ピエロ・ディ・ルイジ・グィッチャルディーニと共にミラノへ派遣される。無事に新ミラノ公となったガレアッツォ・マリーア・スフォルツァと外交折衝し、ミラノ公国の最も安定した収入源を提供することを担保に貸付金を送るよう要請する書簡をピエロ・イル・ゴットーソに届ける。
1466年6月17日
フィレンツェ到着。
1466年7月5日
フィレンツェにて、死。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

ランベルト・デッラ・アンテッラ Lamberto della Antella

外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

バッティスタ・パンドルフィーニ Battista Pandolfini

生没:1454年6月22日~
出身:フィレンツェ
父:パンドルフォ・パンドルフィーニ
母:コスタンツァ・グィッチャルディーニ
妻:カテリーナ・ストロッツィ
概要
 バッティスタ・パンドルフィーニは四男。
年表
1481年
オスマン・トルコの脅威による莫大な戦争費用の補填をナポリフェッランテ・ダラゴーナに求められ、貸し付ける。信用保証として、266冊の本を与えられる。
1491年
カテリーナ・ストロッツィと結婚。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

ランフレディーノ・ランフレディーニ Lanfredino Lanfredini

生没:1456年11月11日~1520年10月20日
在位:正義の旗手 1501年11月~12月、1517年3月~4月
父:ヤコポ・ランフレディーニ
母:ジネヴラ・アンティノーリ
妻:セルヴァッジア・トルナクインチ
  フランチェスカ・バルトリーニ
子:ジョヴァンニ・ランフレディーニ
概要
 ランフレディーノ・ランフレディーニは、イタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
年表
1485年
セルヴァッジア・トルナクインチと結婚。
1500年
フランチェスカ・バルトリーニと結婚。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

クリストフォロ・マルズッピーニ Cristoforo Marsuppini

外部リンク
 Treccani
参考文献
 『ルネサンス精神の深層』

トロイロ・オルシーニ Troilo Orsini

生没:1547年~1577年12月1日
父:パオロ・エミリオ・オルシーニ
母:インペリア・オルシーニ
子:トロイロ・オルシーニ
概要
 トロイロ・オルシーニは、16世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
参考文献
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』

コジモ・ディ・ベルナルド・ルチェッライ Cosimo Rucellai

生没:1495年~1519年
父:ベルナルド・ルチェッライ
概要
 オリチェルラーリの園の主催者で、ニッコロ・マキアヴェッリが『政略論』を献呈した相手。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『フィレンツェ史』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ベルナルド・デ・ブォンジロラーミ Bernardo Buongirolami

別表記
 ブオンジローラミ
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『フィレンツェ史』

オビエット・フィエスキ Obietto Fieschi

生没:1435年~1497年
別表記
 ウビエット・デ・フィエスキ
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

ピエロ・ドヴィツィ・ダ・ビッビエーナ
Piero Dovizi da Bibbiena

別表記
 ピエロ・ドリッツィ・ディ・ビッビエナ、ピエトロ
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』

ゴーロ・ゲーリ Goro Gheri

在位:ファーノ司教 1518年~1528年
外部リンク
 GCatholic.com
 Treccani
参考文献
 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『メディチ家』

ヤコポ・ディ・ベルナルド・サルヴィアーティ Jacopo Salviati

生没:~1478年4月27日
父:ベルナルド・ディ・ヤコポ・ディ・アラマンノ・サルヴィアーティ
母:エリザベッタ・ボッロメア・ボッロメイ
概要
 ヤコポ・サルヴィアーティはフランチェスコ・サルヴィアーティの兄弟。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『フィレンツェ史』
 『ルネサンス宮廷大全』

アントーニオ・カニジャーニ Antonio Canigiani

生没:1449年~
父:シモーネ・カニジャーニ
母:マルゲリータ・デリ・アルベルティ
概要
 1484年に正義の旗手だった同姓同名のいとこがいる。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

フィオラモンテ・ブロニョーロ Fioramonte Brognolo

生没:~1514年12月19日
出身:マントヴァ
没地:ローマ
概要
 フィオラモンテ・ブロニョーロは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、マントヴァ公国大使。
別表記
 Fioravante
外部リンク
 Treccani.it
参考文献
 『Lucretia Borgia

ジローラモ・デッラ・ペンナ Girolamo della Penna

生没:1470年~1525年頃
概要
 ジローラモ・デッラ・ペンナは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。
別表記
 ジェローニモ・ダラ・ペンナ、Gerolamo della PennaGirolamo dalla PennaGirolamo degli Arcipreti
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Treccani
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』

アンジェロ・レオニーニ Angelo Leonini

生没:~1517年
在位:ティヴォリ司教 1499年10月2日~1509年8月3日
   サッサーリ大司教 1509年8月3日~1515年
概要
 アンジェロ・レオニーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。
外部リンク
 Catholic-Hierarchy
 GCatholic.com
 Treccani

ジャン・ヤコポ・カランドラ Gian Jacopo Calandra

生没:1488年~1543年
出身:マントヴァ
没地:マントヴァ
著書:微風
概要
 ジャン・ヤコポ・カランドラはイザベッラ・デステの秘書。
別表記
 Giovanni Giacomo
外部リンク
 Treccani

トンマーゾ・ベンチ Tommaso Benci

生没:1427年~1470年4月16日
没地:フィレンツェ
父:ロレンツォ・ベンチ
概要
 トンマーゾ・ベンチは、15世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『ルネサンス精神の深層』

フランチェスコ・ダ・ガルバニャーテ Francesco da Garbagnate

生没:~1323年2月26日
出身:ミラノ
父:ガスパーレ・ダ・ガルバニャーテ
概要
 フランチェスコ・ダ・ガルバニャーテは傭兵隊長。
外部リンク
 Treccani.it
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

アントーニオ・ジャコミーニ Antonio Giacomini

生没:1456年~1518年
概要
 アントーニオ・ジャコミーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
別表記
 Antonio Giacomini TebalducciAntonio Giacomino
外部リンク
 Italies
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

ミケーレ・フェルノ Michele Ferno

生没:1465年~1513年
概要
 ミケーレ・フェルノは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、アレクサンデル6世の追従者。
外部リンク
 Treccani.it
参考文献
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ベネデット・デリ・アルベルティ Benedetto degli Alberti

父:ネロッツォ・デリ・アルベルティ
妻:フィリッパ・デ・パッツィ
  リーサ・デ・バルディ
年表
1350年
フィリッパ・デ・パッツィと結婚。
1357年
リーサ・デ・バルディと結婚。
関連項目
 チオンピの乱
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』

ルドヴィーコ・カゼッラ Ludovico Casella

生没:1406年~1469年
出身:カゼッレ
妻:ヤコパ・ダ・カリギイス
  コスタンツァ・デイ・ノヴェッリ
概要
 ルドヴィーコ・カゼッラは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1406年
カゼッレにて、生(1407年)。
別表記
 ロドヴィーコ・カセラ、Lodovico Casella
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』

レオネッロ・キエリカート Leonello Chiericato

生没:~1506年8月19日
在位:アルバ司教 1472年1月8日~1484年1月19日
   トロギル司教 1484年1月19日~1488年10月22日
   コンコルディア司教 1488年10月22日~1506年8月19日
概要
 レオネッロ・キエリカートは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。
外部リンク
 GCatholic.com
 Treccani
参考文献
 『Lucretia Borgia

フレゴシーノ・フレゴーソ Fregosino Fregoso

生没:~1512年1月10日
没地:ボローニャ
父:パオロ・フレゴーソ
妻:キアラ・スフォルツァ
子:パオロ・フレゴーソ
  オッタヴィアーノ・フレゴーソ
概要
 フレゴシーノ・フレゴーソは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Malta Genealogy
 Treccani
参考文献
 『イタリア史』

ジョヴァンニ・バッティスタ・ソデリーニ Giovanni Battista Soderini

生没:1484年~1528年
父:パオラントーニオ・ソデリーニ
母:マルゲリータ・ストロッツィ
概要
 ジョヴァンニ・バッティスタ・ソデリーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
別表記
 ジョヴァン・バッティスタ、Giovan Battista
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
参考文献
 『マキァヴェッリ 忘恩、運命、野心、好機』
 『フィレンツェ史』

ピエロ・デリ・アルベルティ Piero degli Alberti

在位:正義の旗手 1497年5月~6月
概要
 ピエロ・デリ・アルベルティは、15世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家、アッラビアーティの代表的人物の1人。
年表
1497年5月~1497年6月
正義の旗手に選出される。
こうして、主要官職を反ジローラモ・サヴォナローラ派が占め始める。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ピエトロ・イスアレス Pietro Isuales

生没:~1511年9月22日
在位:枢機卿 1500年9月28日~
       任命した教皇:アレクサンデル6世
概要
 ピエトロ・イスアレスは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。
別表記
 IsuallesIsvalies
外部リンク
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
参考文献
 『Lucretia Borgia

グリエルモ・カッポーニ Guglielmo Capponi

生没:1449年4月11日~1513年頃
出身:フィレンツェ
在位:コルトーナ司教 1505年~
父:ニッコロ・カッポーニ
年表
1449年4月11日
フィレンツェにて、生。
1505年
ユリウス2世により、コルトーナ司教に任命される。
1513年頃
死(1515年、1516年)。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

ヤコポ・ブラッチョリーニ Jacopo Bracciolini

父:ポッジョ・ブラッチョリーニ
教養
 マルシリオ・フィチーノの教え子。
年表
1478年4月26日(日)
朝ヴィッラ・ラ・ロッジャを出発して馬でフィレンツェに向かった。一行はラッファエーレ・サンソーニ枢機卿、フランチェスコ・サルヴィアーティ大司教、ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・モンテセッコ
パッツィ家の陰謀
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

マルゲリータ・ヴィスコンティ Margherita Visconti

生没:~1341年
没地:ミラノ
父:ウベルト・ディ・ルッジェーロ・ヴィスコンティ
夫:フランチェスケット・プステルラ
概要
 マルゲリータ・ヴィスコンティは、13世紀~14世紀のイタリアの女性。
外部リンク
 Project Gutenberg
 Storia di Milano
 Treccani.it
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

ピエトロ・パオロ・ポンピリオ Pietro Paolo Pompilio

生没:1454年頃~1491年
出身:ローマ
没地::ローマ
母:プロティア
概要
 ピエトロ・パオロ・ポンピリオは、15世紀頃のイタリアの男性。
外部リンク
 Repertorium Pomponianum
 Repertorium Pomponianum
 Treccani
参考文献
 『The Life of Cesare Borgia

ガスパーレ・ダ・ヴェローナ Gaspare da Verona

出身:ヴェローナ
妻:ルクレツィア・タスカ
子:フランチェスコ・ダ・ヴェローナ
  クリストフォーラ・ダ・ヴェローナ
  テレンツィア・ダ・ヴェローナ
  マルツィア・ダ・ヴェローナ
概要
 ガスパーレ・ダ・ヴェローナは、歴史家。
別表記
 ヴェロナ
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・カニジャーニ Giovanni Canigiani

生没:1404年11月28日~
父:アントーニオ・カニジャーニ
母:タッデア・デリ・アルビッツィ
妻:サンドラ・デ・バルディ
子:コスタンツァ・カニジャーニ
  アントーニオ・カニジャーニ
  マッテオ・カニジャーニ
概要
 ジョヴァンニ・カニジャーニは、15世紀頃のイタリアの男性。
年表
1420年頃
サンドラ・デ・バルディと結婚。六男三女もうける。
1473年3月15日
アントーニオ・バルトロメイがジョヴァンニ・カニジャーニの遺言書を作成。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

パオラ・ゴンザーガ Paola Gonzaga

生没:1463年~1497年
父:ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ
母:バルバラ・フォン・ブランデンブルク
概要
 パオラ・ゴンザーガは、15世紀のイタリアの女性。
別表記
 パオリーナ、Paolina
外部リンク
 ラインの王族
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルネサンスの華』

カルロ・フォルテブラッチ Carlo Fortebracci

生没:1421年9月1日~1479年6月
父:アンドレア・フォルテブラッチ
母:ニッコリーナ・ダ・ヴァラーノ
概要
 カルロ・フォルテブラッチはイタリアの傭兵隊長。
別表記
 カルロ・ダ・モントーネ、モントーネ伯カルロ、Carlo da Montone
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Geneanet
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

エヴァンジェリスタ・マッダレーニ・カポディフェッロ Evangelista Maddaleni Capodiferro

父:ニッコロ・マッダレーニ・カポディフェッロ
母:アンブロジーナ
子:ジューリア・マッダレーニ・カポディフェッロ
別表記
 ファウスト・エヴァンジェリスタ・カポディフェルロ
外部リンク
 JDA's Family Tree
 New Advent
 Treccani.it
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

ジャンノッツォ・ピッティ Giannozzo Pitti

年表
1466年5月27日
ルカ・ピッティを指導者とし、ジャンノッツォ・ピッティ、Manno Temperaniアニョーロ・アッチャイウオリディエティサルヴィ・ネローニらメディチ支配下で指導的地位を占めてきた有力者を中心とする約400名の市民、共和政の再建、維持に全力を尽くして当たるとの誓約を行う。但しこの誓約、未だピエロ・イル・ゴットーソの追放などは唱えず。
別表記
 ジャノッツォ・ピッティ、Giovannozzo Pitti
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アメリゴ・ベンチ Amerigo Benci

父:ジョヴァンニ・ダメリゴ・ベンチ
母:ジネヴラ・ペルッツィ
子:ジョヴァンニ・ベンチ
  ジネヴラ・ベンチ
概要
 アメリゴ・ベンチは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1431年以降
おそらくフィレンツェにて、生。
1463年3月~4月
フィレンツェ共和国のプリオーレを務める。
1474年1月15日以前
死。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『ルネサンス精神の深層』

アラマンノ・リヌッチーニ Alamanno Rinuccini

生没:1426年5月22日~1499年
出身:フィレンツェ
概要
 アラマンノ・リヌッチーニは、人文主義者。
年表
1426年5月22日
フィレンツェに生。
1479年4月
Dialogus de libertate(自由についての対話)においてロレンツォ・イル・マニーフィコをフィレンツェの専制君主、自由の抑圧者と糾弾し、1478年のパッツィ家の決起を断固として弁護。
1499年
フィレンツェで死。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ブルツィオ・ヴィスコンティ Brizio Visconti

生没:1347/48年~1357年
父:ルキノ・ディ・マッテオ・ヴィスコンティ
概要
 ブルツィオ・ヴィスコンティはイタリアの傭兵隊長。
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Foundation for Medieval Genealogy
 Genealogy.EU
 Storia di Milano
 Treccani.it
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

ジョヴァンニ・ネローニ Giovanni Neroni

生没:~1473年7月18日
出身:フィレンツェ
没地:ローマ
在位:ヴォルテッラ司教 1450年~1461年
   フィレンツェ大司教 1462年~1473年7月18日
父:ネローネ・ネローニ
母:レオナルダ・クレーシ
概要
 ジョヴァンニ・ネローニは、15世紀頃のイタリアの男性、聖職者。
別表記
 ジョヴァンニ・ネッロ
外部リンク
 GCatholic.com
 Treccani
参考文献
 『メディチ家の人びと』

ジョヴァキーノ・グァスコーニ Giovacchino Guasconi

生没:1438年4月30日~1521年4月8日
出身:アンコーナ
没地:フィレンツェ
在位:正義の旗手 1499年9月~10月
父:ビアジオ・グァスコーニ
母:ナンナ・マチンギ
妻:フランチェスカ・リドルフィ
子:ラッファエーレ・グァスコーニ
  ナンナ・グァスコーニ
  ジュリアーノ・グァスコーニ
  アレッサンドラ・グァスコーニ
概要
 ジョヴァキーノ・グァスコーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
別表記
 Gioacchino
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

ロレンツォ・ディ・フィリッポ・ストロッツィ Lorenzo Strozzi

生没:1482年~1549年
父:フィリッポ・ディ・マッテオ・ストロッツィ
母:セルヴァッジア・ジャンフィリアッツィ
妻:ルクレツィア・ルチェッライ
子:ジョヴァンニ・バッティスタ・ストロッツィ
  パッラ・ストロッツィ
概要
 ロレンツォ・ストロッツィは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1504年
ルクレツィア・ルチェッライと結婚。
外部リンク
 Treccani.it
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

オッド・フォルテブラッチ Oddo Fortebracci

生没:~1380年
父:グイド・フォルテブラッチ
妻:ヤコパ・モンテメリーニ
子:カルロ・フォルテブラッチ
  ジョヴァンニ・フォルテブラッチ
  アンドレア・フォルテブラッチ
  ステッラ・フォルテブラッチ
  モナルドゥッチア・フォルテブラッチ
  ジョヴァンナ・フォルテブラッチ
概要
 オッド・フォルテブラッチは、14世紀頃の男性。
年表
1372年~1373年
フィレンツェのカピターノ・デル・ポーポロ。
外部リンク
 Geneanet
 Treccani

ピエロ・ディ・ニッコロ・カッポーニ Piero Capponi

生没:1504年5月19日~1568年5月22日
出身:フィレンツェ
父:ニッコロ・カッポーニ
母:アレッサンドラ・ストロッツィ
妻:シモーナ・グィッチャルディーニ
概要
 ピエロ・カッポーニは、16世紀のイタリアの男性。
年表
1504年5月19日
フィレンツェにて、生。
1528年
シモーナ・グィッチャルディーニと結婚(1527年)。
1568年5月22日
死。
外部リンク
 Treccani

フランチェスコ・パンドルフィーニ Francesco Pandolfini

生没:1466年10月26日~1520年7月2日
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
在位:正義の旗手 1519年9月~10月
父:ピエルフィリッポ・パンドルフィーニ
母:マリーア・ネローニ
妻:イッポーリタ・ネルリ
概要
 フランチェスコ・パンドルフィーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
年表
1501年3月6日
イッポーリタ・ネルリと結婚。持参金2千フィオリーノ。6人の子をもうける。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

ルキノ・ノヴェッロ・ヴィスコンティ Luchino Novello Visconti

生没:~1399年
没地:ヴェネツィア
父:ルキノ・ディ・マッテオ・ヴィスコンティ
母:イザベッラ・フィエスキ
妻:ルイーザ・アドルノ
  マッダレーナ・ストロッツィ
子:マッダレーナ・ディ・ルキノ・ヴィスコンティ
概要
 ルキノ・ノヴェッロ・ヴィスコンティは、14世紀のイタリアの男性。
年表
1372年
マッダレーナ・ストロッツィと結婚。
外部リンク
 Foundation for Medieval Genealogy
 Histoire de l'Europe
 Treccani.it

エマヌエレ・ダッピアーノ Emanuele d'Appiano

生没:1380年頃~1457年2月15日
出身:ピサ
没地:ピオンビーノ
在位:ピオンビーノの君主
父:ヤコポ1世・ダッピアーノ
妻:コーリア・ダラゴーナ
子:ヤコポ3世・ダッピアーノ
概要
 エマヌエレ・ダッピアーノは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
年表
1445年
ナポリにて、コーリア・ダラゴーナと結婚。
外部リンク
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani.it

ジーノ・カッポーニ Gino Capponi

生没:1478年10月11日~
出身:フィレンツェ
父:ネリ・カッポーニ
母:ヴィオランテ・サッセッティ
妻:カテリーナ・ディ・フィリッポ・ストロッツィ
子:ネリ・カッポーニ
  ピエロ・カッポーニ
概要
 ジーノ・カッポーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1503年
カテリーナ・ディ・フィリッポ・ストロッツィと結婚。
1512年8月31日
フィレンツェ市庁舎へ入り込み、ソデリーニ退陣を要求。
別表記
 ジーノ・カポーニ、ジーノ・ディ・ネリ・カッポーニ
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『君主論』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家の人びと』

マルコ・ディ・ジョルジョ・コルナーロ Marco Cornaro

生没:1406年12月~1479年8月1日
出身:ヴェネツィア
没地:ヴェネツィア
父:ジョルジョ・コルナーロ
母:カテリーナ・ジュスティニアン・ディ・ジュスティアーノ
妻:フィオレンツァ・クレスポ
子:ヴィオランテ・コルナーロ
  ジョルジョ・コルナーロ
  カテリーナ・コルナーロ
  コルネリア・コルナーロ
  エリザベッタ・コルナーロ
  ビアンカ・コルナーロ
  アニェーゼ・コルナーロ
概要
 マルコ・コルナーロは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1444年
フィオレンツァ・クレスポと結婚。
外部リンク
 Foundation for Medieval Genealogy
 Treccani

ジョヴァンニ・ディ・フィリッポ・ボッロメオ Giovanni Borromeo

生没:1439年5月12日~1495年11月14日
父:フィリッポ・ボッロメオ
母:フランチェスキーナ・ヴィスコンティ
妻:マリーア・クレオファ・ピオ
子:ジャン・ヤコポ・ボッロメオ
  フランチェスコ・ボッロメオ
  ジベルト・ボッロメオ
  イッポーリタ・ボッロメオ
  イザベッラ・ボッロメオ
  ルクレツィア・ボッロメオ
  ルドヴィーコ・ボッロメオ
  フィリッポ・ボッロメオ
  フランチェスキーナ・ボッロメオ
  ジュスティーナ・ボッロメオ
  ランチェッロット・ボッロメオ
  ビアンカ・ボッロメオ
  ガレアッツォ・ボッロメオ
概要
 ジョヴァンニ・ボッロメオは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1458年
マリーア・クレオファ・ピオと結婚。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani

グイド・バリオーニ Guido Baglioni

生没:1425年~1500年7月15日
父:マラテスタ1世・バリオーニ
妻:コスタンツァ・ダ・ヴァラーノ
子:アストッレ・バリオーニ
  モルガンテ・バリオーニ
  ジェンティーレ・バリオーニ
  マルカントーニオ・バリオーニ
  アドリアーノ・バリオーニ
  シギスモンド・バリオーニ
  オッタヴィアーノ・バリオーニ
  ヤコパ・バリオーニ
概要
 グイド・バリオーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1456年5月28日
コスタンツァ・ダ・ヴァラーノと結婚。
外部リンク
 Geni.com
 Treccani
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』

ネロ・カンビ Nero Cambi

在位:正義の旗手 1488年11月~12月
父:ステファノ・カンビ
妻:トンマーザ・デッラ・パッラ
  バルトロメア・パンチァティキ
子:ジョヴァンニ・カンビ
  ステファノ・カンビ
  ランベルト・カンビ
  マルコ・カンビ
  ジョヴァンニ・カンビ
  ステファノ・カンビ
  バルトロメオ・カンビ
  ランベルト・カンビ
概要
 ネロ・カンビは、イタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
年表
1456年
プリオリ。
1488年11月~12月
正義の旗手
1490年
公職追放が解ける。プリオリ。
1496年
プリオリ。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

リドルフォ1世・バリオーニ Ridolfo I Baglioni

生没:~1501年2月24日
父:マラテスタ1世・バリオーニ
母:ヤコパ・フォルテブラッチ
妻:フランチェスカ・カステルサンピエトロ
子:シモネット・バリオーニ
  ジャンパオロ・バリオーニ
  ルクレツィア・バリオーニ
  カミッラ・バリオーニ
  ペンテジーレア・バリオーニ
概要
 リドルフォ1世・バリオーニは、15世紀~16世紀の男性。
年表
1456年5月28日
フランチェスカ・カステルサンピエトロと結婚。
1478年10月8日
妻フランチェスカ・カステルサンピエトロ、死。
外部リンク
 Geni.com
 Treccani
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』

ジョヴァンニ・フォリアーニ Giovanni Fogliani

生没:~1502年1月8日
妻:モンターニア・デリ・オットーニ
子:ニコローザ・フォリアーニ
  ジェンナーロ・フォリアーニ
概要
 ジョヴァンニ・フォリアーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、金羊毛騎士団騎士、フェルモの最有力市民。
年表
14??年
きょうだいカテリーナ・フォリアーニの夫ジョヴァンニ・エウッフレドゥッチ、死。
甥トンマーゾ・エウッフレドゥッチ、バッティスタ・エウッフレドゥッチ、オリヴェロット・エウッフレドゥッチを引き取る。
1499年
フェッランテ・ダラゴーナへの大使。
別表記
 Giovanni Fogliano
外部リンク
 Tiscali Webspace
 Treccani
参考文献
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『The Life of Cesare Borgia

ルイジ・ディ・ピエロ・ディ・ルイジ・グィッチャルディーニ Luigi Guicciardini

生没:1407年~1487年
父:ピエロ・ディ・ルイジ・ディ・ピエロ・グィッチャルディーニ
母:アニョーラ・ブオンデルモンティ
概要
 ルイジ・グィッチャルディーニは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1466年3月8日
フランチェスコ1世・スフォルツァが没し、ミラノで政変が起こる可能性が危惧されたため、ベルナルド・ジューニと共にミラノへ派遣される。無事に新ミラノ公となったガレアッツォ・マリーア・スフォルツァと外交折衝し、ミラノ公国の最も安定した収入源を提供することを担保に貸付金を送るよう要請する書簡をピエロ・イル・ゴットーソに届ける。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ボジオ1世・スフォルツァ Bosio I Sforza

生没:1411年~1476年3月
出身:モンテジオーヴェ
没地:パルマ
父:ムッツォ・アッテンドロ・スフォルツァ
母:アントーニア・サリンベーニ
妻:チェチリア・アルドブランデスキ
  Griseide di Capua
子:アナスタジア・スフォルツァ
  グイド・スフォルツァ
  コンスタンツァ・スフォルツァ
  フランチェスコ・スフォルツァ
  カッサンドラ・スフォルツァ
  ピウベッラ・スフォルツァ
概要
 ボジオ1世・スフォルツァは、15世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani

グイド・スフォルツァ Guido Sforza

生没:1445年~1508年頃
父:ボジオ1世・スフォルツァ
母:チェチリア・アルドブランデスキ
妻:フランチェスカ・ファルネーゼ
子:フェデリーコ1世・スフォルツァ
  チェチリア・スフォルツァ
  ジューリア・スフォルツァ
  マルツィア・スフォルツァ
  アウレリア・スフォルツァ
  ツェノービア・スフォルツァ
概要
 グイド・スフォルツァは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
チェーザレ・ボルジア数
 子マルツィア・スフォルツァ→夫ジャン・ジョルジョ・チェザリーニ→きょうだいジャナンドレア・チェザリーニ→妻ジロラーマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Famille de Carné
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani

ピエロ・ディ・フィリッポ・デリ・アルビッツィ Piero degli Albizzi

生没:~1378年12月23日
没地:フィレンツェ
父:フィリッポ・デリ・アルビッツィ
母:コンテッサ・ドナーティ
妻:マルゲリータ・ストロッツィ
子:ルカ・ディ・ピエロ・デリ・アルビッツィ
  フィリッポ・デリ・アルビッツィ
  アンドレア・デリ・アルビッツィ
  パオロ・デリ・アルビッツィ
  ニッコロ・デリ・アルビッツィ
  タンチア・デリ・アルビッツィ
  フランチェスカ・デリ・アルビッツィ
  ネーラ・デリ・アルビッツィ
  コンテッサ・デリ・アルビッツィ
概要
 ジョルジョ・スカーリトンマーゾ・ストロッツィに首をはねられる。
別表記
 Pietro
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

アグリッパ・フォン・ネッテスハイム Agrippa von Nettesheim

生没:1486年9月14日~1535年2月18日
概要
 アグリッパ・フォン・ネッテスハイムは、15世紀~16世紀の男性、医師、哲学者、錬金術研究者。
著作
 『学問及び芸術の不確かさと虚しさ』
 『秘密の哲学について』
 『神秘哲学論』
年表
1486年9月14日
ドイツ、ケルンに生。
1530年
De incertitudine et vanitate scientiarum et artium(学問及び芸術の不確かさと虚しさ)をAntwerpenで刊行。
1533年
De occulta philosophia(神秘哲学)をバーゼルで(?)刊行。
1535年2月18日
フランス南東部グルノーブルまたはリヨンで死。
正式名
 ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ・フォン・ネッテスハイム
 Heinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『魔女狩り』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アルベルト3世・ピオ Alberto III Pio

生没:1475年7月23日~1531年1月8日
出身:カルピ
没地:パリ
在位:カルピ領主 1480年~1527年
父:レオネッロ1世・ピオ
母:カテリーナ・ピコ
妻:カミッラ・ゴンザーガ
  チェチリア・オルシーニ
子:カテリーナ・ピオ
  マルゲリータ・ピオ
概要
 アルベルト3世・ピオは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1475年7月23日
カルピにて、生。
1494年
カミッラ・ゴンザーガと結婚。
1518年2月13日
チェチリア・オルシーニと結婚。
1531年1月8日
パリにて、死(1530年)。
別表記
 ピーオ・ダ・カルピ
外部リンク
 JDA's Family Tree
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』

バッティスティーナ・ウソディマーレ Battistina Usodimare

生没:1477年~1523年
出身:ローマ
没地:ジェノヴァ
父:アントーニオ・ウソディマーレ
母:テオドリーナ・チーボ
夫:ルドヴィーコ・ダラゴーナ
概要
 バッティスティーナ・ウソディマーレは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。
年表
1477年
ローマで生。
1489年
ヴァティカン宮殿ルドヴィーコ・ダラゴーナとの結婚式を挙げる。
1493年6月12日
ルクレツィア・ボルジアジョヴァンニ・スフォルツァヴァティカン宮殿での結婚式に参列。
1523年
ジェノヴァで没。
別表記
 バッティスティーナ・ダラゴーナ
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

ボンジャンニ・ジャンフィリアッツィ Bongianni Gianfigliazzi

生没:1418年3月9日~1484年11月11日
出身:フィレンツェ
没地:ピサ
父:ボンジャンニ・ジャンフィリアッツィ
母:シモーナ・トシンギ
妻:アドリアーナ・テリアッチ
  コスタンツァ・デル・ヴィーニャ
  マッダレーナ・パレンティ
子:シモーナ・ジャンフィリアッツィ
  ヤコポ・ジャンフィリアッツィ
概要
 ボンジャンニ・ジャンフィリアッツィは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1463年
妻アドリアーナ・テリアッチ、死。
別表記
 ボンジャニオ・デ・ジャンフィアリッツィ、ブォンジアノ
外部リンク
 Google Books
 Treccani
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『フィレンツェ史』

カミッラ・マルテッリ Camilla Martelli

生没:1545/47年~1590年
父:アントーニオ・ディ・ドメニコ・マルテッリ
母:フィアンメッタ・ソデリーニ
夫:コジモ1世・デ・メディチ
子:ヴィルジーニア・デ・メディチ
概要
 カミッラ・マルテッリは、16世紀のイタリアの女性。
年表
1570年3月29日
コジモ1世・デ・メディチと結婚。
外部リンク
 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Geneanet
 Geni.com
 Wikipedia
外部リンク
 カーミラ
参考文献
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

カルロ・パンドルフィーニ Carlo Pandolfini

生没:1394年~1470年
父:アニョーロ・パンドルフィーニ
子:メーリオ・パンドルフィーニ
  ドメニコ・パンドルフィーニ
  フランチェスコ・パンドルフィーニ
概要
 カルロ・パンドルフィーニは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
年表
1394年
生。
1451年
フリードリヒ3世への外交官として、フェッラーラに派遣される。
1454年
教皇ニコラウス5世への大使として派遣される。
1461年9月~10月
正義の旗手
1464年
教皇即位の祝意を述べるため、パウルス2世のもとに派遣される。
1467年1月~2月
正義の旗手
1470年5月~6月
正義の旗手
1470年
死。

カルロ・スフォルツァ Carlo Sforza

生没:1461年~1483年5月9日
父:ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ
母:ルクレツィア・ランドリアーニ
妻:ビアンカ・シモネッタ
子:アンジオーラ・スフォルツァ
  イッポーリタ・ディ・カルロ・スフォルツァ
概要
 カルロ・スフォルツァは、15世紀のイタリアの男性。
在位
 マジェンタ伯
年表
1461年
生(1458年)。
1483年5月9日
死。
外部リンク
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 GeneaNet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

シャルル・ド・フランス Charles de France

生没:1446年12月26日~1472年3月24日
在位:ベリ公 1461年~1465年
父:シャルル7世
母:マリー・ダンジュー
概要
 シャルル・ド・フランスは、15世紀の男性。
年表
1464年12月
ブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンら大諸侯と公益同盟を結成して兄ルイ11世に反乱。間もなく戦争状態に入る。
1465年10月5日
この日及び1465年10月29日ルイ11世、反乱大諸侯に担がれている弟の彼にノルマンディを与えるなどの譲歩を含む協定をパリ南東コンフラン及びサン・モールで公益同盟と結び、戦争を締結させる。公益同盟解体。
1472年3月
死。彼の死により、公領は本領に再併合される。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア史』
 『世界大百科事典』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

クリストフォロ1世・トレッリ Cristoforo I Torelli

生没:~1460年3月6日
出身:グアスタッラ
没地:モンテキアルーゴロ
父:グイド1世・トレッリ
母:オルシーナ・ヴィスコンティ
妻:タッデア・ピオ
子:マルカントーニオ・トレッリ
  マルシリオ・トレッリ
  グイド2世・トレッリ
  フランチェスコ・トレッリ
  ジョヴァンニ・アントーニオ・トレッリ
  ヤコポ・トレッリ
  アムーラト・トレッリ
  ジャン・バッティスタ・トレッリ
  マッテオ・トレッリ
  アルダ・トレッリ
  ベルナルディーナ・トレッリ
  アナスタシア・トレッリ
  エレオノーラ・トレッリ
  ビアンカ・トレッリ
  カテリーナ・トレッリ
概要
 クリストフォロ1世・トレッリは、15世紀頃のイタリアの男性。
年表
1428年
タッデア・ピオと結婚(1439年)。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

エレオノーラ・ディアーナ・ダラゴーナ Eleonora Diana d'Aragona

父:アルフォンソ5世・デ・アラゴン
母:グエラルドーナ・カルリーノ
夫:ジャンフランチェスコ・マリーノ・ダ・マルツァーノ
子:ルイーザ・ダ・マルツァーノ
  ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・マルツァーノ
  フランチェスカ・マルゲリータ・ダ・マルツァーノ
  カテリーナ・ダ・マルツァーノ
  カミッラ・ダ・マルツァーノ
  マリーア・ディ・ジャンフランチェスコ・ダ・マルツァーノ
概要
 エレオノーラ・ディアーナ・ダラゴーナは、15世紀頃のイタリアの女性。
年表
1444年5月3日
ジャンフランチェスコ・マリーノ・ダ・マルツァーノと結婚。
外部リンク
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

エリザベッタ・ダ・モンテフェルトロ Elisabetta da Montefeltro

生没:1445年頃~1503年
出身:ウルビーノ
没地:ローマ
父:フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ
夫:ロベルト・サンセヴェリーノ
子:ジューリオ・サンセヴェリーノ
  フェデリーコ・サンセヴェリーノ
  エレオノーラ・サンセヴェリーノ
  ウーゴ・サンセヴェリーノ
  ジューリア・サンセヴェリーノ
  イッポーリタ・サンセヴェリーノ
  ルドヴィーカ・サンセヴェリーノ
  ジョルジョ・サンセヴェリーノ
概要
 エリザベッタ・ダ・モンテフェルトロは、15世紀のイタリアの女性、庶子。
年表
1445年頃
ウルビーノで生。
1462年
ロベルト・サンセヴェリーノと結婚(1460年、1461年)。
1503年
ローマで死(1472年)。
外部リンク
 Genealogy.EU

エリザベッタ・ダ・モンテフェルトロ Elisabetta da Montefeltro

生没:1464年頃~1521年
出身:ウルビーノ
没地:ヴェネツィア
父:フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ
母:バッティスタ・スフォルツァ
夫:ロベルト・マラテスタ
概要
 エリザベッタ・ダ・モンテフェルトロは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。
年表
1479年
ロベルト・マラテスタと結婚。
1482年9月10日
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが没する。
ロベルト・マラテスタが没する。
外部リンク
 Genealogy.EU
 kleio.org
 sdamy
 Wikipedia
参考文献
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

フィリッポ・ブルネレスキ Filippo Brunelleschi

生没:1377年~1446年4月15日
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
弟子:バロンチェリ
概要
 フィリッポ・ブルネレスキは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、建築家、彫刻家。
設計
 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
年表
1410年頃
線遠法発見。
1446年4月15日
フィレンツェで死。
別表記
 ブルネレスコ
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『世界・美術の旅ガイド3 北イタリア』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

フィリッポ・ヴァローリ Filippo Valori

生没:1456年~1494年11月25日
没地:ナポリ
父:バルトロメオ・ディ・フィリッポ・ヴァローリ
母:カテリーナ・デ・パッツィ
妻:アレッサンドラ・ダヴェラルド・サルヴィアーティ
子:バッチオ・ヴァローリ
  カテリーナ・ヴァローリ
概要
 フィリッポ・ヴァローリは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1492年8月12日
ローマにてOtto di Pratica宛に手紙を書く。
外部リンク
 Google Books
 Google Books
 Internet Archive
 Internet Archive
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『ルネサンス精神の深層』
 『The Life of Cesare Borgia

フランチェスコ・ミネルベッティ Francesco Minerbetti

父:トンマーゾ・ミネルベッティ
在位:サッサーリ大司教 1515年?~1525年以前
   アレッツォ司教 1527年~1537年
年表
1523年
ジューリオ・デ・メディチの教皇即位の祝賀行事、市を挙げて盛大かつ華麗に繰り広げられる。
新教皇クレメンス7世に祝意と恭順の意を表する使節を派遣することにし、フランチェスコ・ミネルベッティ、フランチェスコ・ヴェットーリロレンツォ・モレッリヤコポ・ディ・ジョヴァンニ・サルヴィアーティ、ジョヴァンニ・トルナブオーニ、ロレンツォ・ストロッツィ、パッラ・ルチェッライロベルト・アッチャイウオリ、アントーニオ・デ・パッツィ、ガレオット・メディチ、アレッサンドロ・プッチの11名が選出される。
外部リンク
 GCatholic.com
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ガブリエーレ・マリーア・ヴィスコンティ Gabriele Maria Visconti

生没:?~1408年
在位:ピサの君主 1402年~1405年
父:ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ
母:アニェーゼ・マンテガッツァ
概要
 ガブリエーレ・マリーア・ヴィスコンティは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
チェーザレ・ボルジア数
 きょうだいヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
別表記
 ガブリエールマリア・ヴィスコンティ(Gabrielmaria Visconti)
外部リンク
 Genealogy.EU
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア史』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ガレアッツォ・マラテスタ Galeazzo Malatesta

生没:1385年~1461年
出身:ペーザロ
没地:フィレンツェ
父:マラテスタ4世・マラテスタ
母:エリザベッタ・ヴァラーノ・キアヴェッリ
妻:バッティスタ・ダ・モンテフェルトロ
子:エリザベッタ・ディ・ガレアッツォ・マラテスタ
概要
 ガレアッツォ・マラテスタは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
年表
1405年6月16日
バッティスタ・ダ・モンテフェルトロと結婚(1404年)。
外部リンク
 Geneanet
 JDA's Family Tree
 Treccani.it
 Wikipedia
参考文献
 『ルネサンス宮廷大全』

ガレオット・ロベルト・マラテスタ Galeotto Roberto Malatesta

生没:1411年2月3日~1432年
出身:サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャ
在位:リーミニ領主 1429年~1432年
父:パンドルフォ3世・マラテスタ
妻:マルゲリータ・デステ
概要
 ガレオット・ロベルト・マラテスタは、15世紀のイタリアの男性。庶子。
年表
1411年2月3日
ブレッシャ又はリーミニにて、生(1412年)。
14??年
伯父カルロ・マラテスタエリザベッタ・ディ・ルドヴィーコ・ゴンザーガ夫婦のもとで養育される。
1427年
マルゲリータ・デステと結婚。
外部リンク
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『ルネサンス宮廷大全』

ジェンティーレ・ダ・モンテフェルトロ Gentile da Montefeltro

生没:1448年~1513/29年
出身:ウルビーノ
没地:ジェノヴァまたはペーザロ
父:フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ
夫:カルロ・マラテスタ
  アゴスティーノ・フレゴーソ
子:オッタヴィアーノ・フレゴーソ
  フェデリーコ・フレゴーソ
概要
 ジェンティーレ・ダ・モンテフェルトロは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。
年表
1463年
カルロ・マラテスタと結婚。
1469年
アゴスティーノ・フレゴーソと結婚。
外部リンク
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 Malta Genealogy

ゲラルド・ダッピアーノ Gherardo d'Appiano

生没:1370年頃~1405年5月
出身:ピサ
没地:ピオンビーノ
在位:ピサの君主 1398年~1399年
   ピオンビーノの君主 1398年~1405年
父:ヤコポ1世・ダッピアーノ
妻:パオラ・コロンナ
子:ヤコポ・ダッピアーノ
  カテリーナ・ダッピアーノ
  ヴィオランテ・ダッピアーノ
  ポリッセーナ・ダッピアーノ
概要
 ゲラルド・ダッピアーノは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
年表
1396年6月18日
ローマにて、パオラ・コロンナと結婚。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani.it
 Wikipedia

ジャン・ガレアッツォ1世・マンフレディ Gian Galeazzo I Manfredi

生没:~1417年10月16日
父:アストッレ1世・マンフレディ
母:レーダ・ダ・ポレンタ
妻:ジェンティーレ・マラテスタ
子:カルロ・マンフレディ
  グイダントーニオ・マンフレディ
  アストッレ2世・マンフレディ
  ジャン・ガレアッツォ2世・マンフレディ
  ジネヴラ・マンフレディ
  マルツィア・マンフレディ
概要
 ジャン・ガレアッツォ1世・マンフレディは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
年表
1396年
ジェンティーレ・マラテスタと結婚。
外部リンク
 Geneanet
 Google Books
 Google Books

ジャンノッツォ・マネッティ Giannozzo Manetti

生没:1396年~1459年10月27日
出身:フィレンツェ
没地:ナポリ
子:ベルナルド・マネッティ
  ピエラ・マネッティ
概要
 ジャンノッツォ・マネッティは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、政治家、人文主義者。
著作
 人間の尊厳と優越について
年表
1452年
人間の尊厳と優越について』を完成(1451年~1452年)し、アルフォンソ5世・デ・アラゴンに献呈。
1459年10月27日
ナポリで死。
1532年
バーゼルで『人間の尊厳と優越について』刊行。
別表記
 ジァノッツォ・マネッティ
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』

ジョヴァンニ・バッティスタ・アドリアーニ Giovanni Battista Adriani

生没:1511年~1579年
出身:フィレンツェ
概要
 ジョヴァンニ・バッティスタ・アドリアーニは、16世紀のイタリアの男性、歴史家。
年表
1511年
フィレンツェに生。
1541年~1542年
コジモ1世・デ・メディチ、1540年創立されたAccademia degli Umidiを自分の支配下に収めて公的なAccademia Fiorentina(フィレンツェ学園)に改組し、ベネデット・ヴァルキG. GelliB Segniジョヴァンニ・バッティスタ・アドリアーニP. Vettoriらをメンバーとしてトスカーナ語の純化、古典の収集・編纂・刊行を行わせる。
君主・宮廷を中心のその委嘱の下で、ないしはそれとの主従関係の中で生ずる宮廷文学・学芸が支配的になり始める。
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』

ジョヴァンニ・オリヴィエーリ Giovanni Olivieri

生没:~1510年
在位:イゼルニア司教 1500年4月8日~1510年
概要
 ジョヴァンニ・オリヴィエーリは、15世紀~16世紀の男性、聖職者。
年表
1500年10月
パンドルフォ4世・マラテスタリーミニ出発の日、チェーザレ・ボルジアによる無血開城を祝って大聖堂で荘厳ミサが歌われ、ジョヴァンニ・オリヴィエーリがリーミニの教会に対する忠誠の誓いを受ける。
この後すぐ、リーミニは教皇アレクサンデル6世に使節を送り、パンドルフォ4世・マラテスタからの解放を感謝する。
別表記
 ジョヴァンニ・オリビエーリ
外部リンク
 Catholic-Hierarchy
 GCatholic.com
 Wikipedia
参考文献
 『The Life of Cesare Borgia

ジローラモ・デリ・アルビッツィ Girolamo degli Albizzi

生没:1483年10月8日~1556年4月24日
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
父:ルカ・ディ・マーゾ・デリ・アルビッツィ
母:カテリーナ・サルヴィアーティ
妻:コスタンツァ・デ・ロッシ
概要
 ジローラモ・デリ・アルビッツィは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1554年1月22日~1554年1月25日
フィレンツェ、アレッツォ、ヴォルテッラ、ピサの4市の城門を全て閉めて出入りを禁じたコジモ1世・デ・メディチにより、秘密裏に軍を整える指揮を任される。
外部リンク
 Google Books
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ジューリア・デッラ・ローヴェレ Giulia della Rovere

生没:1531年~1563年4月4日
父:フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレ
母:エレオノーラ・ゴンザーガ
夫:アルフォンソ・デステ
子:チェーザレ・デステ
  アルフォンシーノ・デステ
  エレオノーラ・デステ
概要
 ジューリア・デッラ・ローヴェレは、16世紀のイタリアの女性。
チェーザレ・ボルジア数
 子チェーザレ・デステ→妻ヴィルジーニア・デ・メディチ→きょうだいルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ→夫アルフォンソ2世・デステ→父エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Geni.com
 Wikipedia
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ヤコパ・オルシーニ Jacopa Orsini

父:ジューリオ・オルシーニ
母:マルゲリータ・コンティ
夫:エルメス・ベンティヴォーリオ
子:コスタンツァ・ベンティヴォーリオ
  ジョヴァンニ・ベンティヴォーリオ
  エルメス・ベンティヴォーリオ
概要
 ヤコパ・オルシーニは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。
年表
1501年
エルメス・ベンティヴォーリオと結婚(1504年12月)。
チェーザレ・ボルジア数
 父ジューリオ・オルシーニ→母クラリーチェ・ディ・カルロ・オルシーニ→きょうだいエレーナ・オルシーニ→子ルドヴィーコ・ミリオラーティ→妻アドリアーナ・デル・ミラ→父ペレ・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
別表記
 GiacomaJacoma Orsina
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ヤコポ・グィッチャルディーニ Jacopo Guicciardini

生没:1480年10月2日~1552年
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
父:ピエロ・ディ・ヤコポ・ディ・ピエログィッチャルディーニ
母:シモーナ・ジャンフィリアッツィ
妻:カミッラ・バルディ
子:マリーア・グィッチャルディーニ
  イザベッラ・グィッチャルディーニ
  アルジェンティーナ・グィッチャルディーニ
  アニョーロ・グィッチャルディーニ
  ジョヴァンニ・バッティスタ・グィッチャルディーニ
  ロレンツォ・グィッチャルディーニ
  ラッファエーレ・グィッチャルディーニ
  ヴィンチェンツォ・グィッチャルディーニ
  ルドヴィーコ・グィッチャルディーニ
  ピエロ・グィッチャルディーニ
  ロベルト・グィッチャルディーニ
概要
 ヤコポ・グィッチャルディーニは、次男。
年表
1504年
カミッラ・バルディと結婚。
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『フィレンツェ史』

ヤコポ・デ・ネルリ Jacopo de' Nerli

生没:1461年10月13日~
父:タナイ・デ・ネルリ
母:ジョヴァンナ・カッポーニ
妻:エリザベッタ・サッセッティ
概要
 ヤコポ・デ・ネルリは、15世紀頃のイタリアの男性。
年表
1501年
シニョーリアにより、急ぎ使節として、ピエロ・ソデリーニアラマンノ・ディ・アヴェラルド・サルヴィアーティと共にSieveの近くのチェーザレ・ボルジアのもとに派遣され、彼の要求を聞く。
チェーザレ・ボルジアは、フィレンツェ領内自由通行の承認、自らをフィレンツェの傭兵隊長に雇う契約の締結、フィレンツェの政体の変更を要求。
別表記
 ヤコポ・ディ・タナイ・デ・ネルリ、Iacopo de' Nerli
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『イタリア史』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ジャンヌ・ダルク Jeanne d'Arc

生没:1412年1月6日~1431年5月30日
概要
 ジャンヌ・ダルクは、15世紀の女性。
年表
1429年5月8日
アルマニャック派の支持によりロワール川以南を領有しフランス王を称するシャルル7世に対し、イングランド王をフランス王位継承者とするトロワの和約にもかかわらずシャルル7世こそ正統なフランス王位継承者だと提言してシャルル7世より小軍を与えられ、この日、オルレアンをイングランドから解放。
1429年7月17日
シャルル7世は、伝統に則りランス大聖堂でフランス王として戴冠式を実現。
1430年5月23日
イングランドと結ぶブルゴーニュ派軍にコンピエーニュで捕らえられてイングランド軍に引き渡され、以後ルーアンに幽閉される。
1431年5月30日
宗教裁判で有罪と宣告され、この日、ルーアンで火刑に処される。しかしこの悲劇を機にフランスのナショナリズム醸成される。
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『君主論』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フアン・セルヴィロン Juan Cervillon

生没:~1499年12月22日
概要
 フアン・セルヴィロンは、アラゴン家に親しいスペイン人隊長。
性格
 思うところを率直に語ることを恐れない。気丈で勇敢。
年表
1499年
ボルジア家の内情に通暁しており、サンチャ・ダラゴーナの振る舞いを公然と非難し、チェーザレ・ボルジアとの醜聞にも言及したらしい。
1499年12月
ローマを去って、妻子の待つナポリへ帰り、フェデリーコ・ダラゴーナに仕えるようにしたいと、教皇アレクサンデル6世に願い出、不承不承許可される。
1499年12月22日
甥のテゼオ・ピニャテッリのところで夕食を終えた時に、自身は剣を抜く暇もなく、斬り殺される。
1499年12月23日
未明、死体の検分もされず、ボルゴ・ヌオーヴォのサンタ・マリア・イン・トラスポンティーナ教会の墓地に埋葬される。
別表記
 Giovanni
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

フアン・デ・モンカーダ Juan de Moncada

生没:~1461年
父:オートン・デ・モンカーダ
母:エルフェ・デ・ルナ
妻:Marquesa de Vilaragut
子:ペドロ・ラモン・デ・モンカーダ
  フアナ・デ・モンカーダ
概要
 フアン・デ・モンカーダは、15世紀頃の男性。
年表
1461年
死(1489年)。
チェーザレ・ボルジア数
 子フアナ・デ・モンカーダ→夫ホフレ・ランソル→母フアナ・デ・ボルハ→きょうだいアレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Famille de Carné
 Fundación Casa Ducal de Medinaceli
 GeneaNet
 Geni.com
 Tabla de Parentescos de don Fernando de Castilla

ルクレツィア・トルナブオーニ Lucrezia Tornabuoni

生没:1425年~1482年3月28日
父:フランチェスコ・トルナブオーニ
夫:ピエロ・イル・ゴットーソ
子:ロレンツォ・イル・マニーフィコ
  ビアンカ・デ・メディチ
概要
 ルクレツィア・トルナブオーニは、15世紀のイタリアの女性。
年表
1444年3月6日
ピエロ・イル・ゴットーソと結婚。
外部リンク
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 RootsWeb.com
 Treccani.it
参考文献
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『ルネサンスの歴史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ルドヴィーコ・アリオスト Ludovico Ariosto

生没:1474年9月8日~1533年7月6日
出身:レッジョ・エミリア
没地:フェッラーラ
父:ニッコロ・アリオスト
概要
 ルドヴィーコ・アリオストは、15世紀~16世紀の男性、詩人、劇作家。
年表
1516年4月
Orlando furioso(狂えるオルランド、狂乱のオルランド)をフェッラーラで刊行。イッポーリト・ディ・エルコーレ・デステ枢機卿に献呈。
外部リンク
 ウィキペディア
別表記
 ルドヴィコ
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

ルドヴィーコ・ポドカタロ Ludovico Podocataro

生没:1429年~1504年8月25日
出身:ニコシア
没地:ミラノ
在位:枢機卿 1500年9月28日~
概要
 ルドヴィーコ・ポドカタロは、15世紀~16世紀の男性、聖職者、枢機卿。
年表
1478年
シャルロット・ド・リュジニャンに随行して、ローマに。
14??年
ロドリゴ・ボルジア枢機卿と知り合い、彼の秘書兼医師となる。おそらくロドリゴ・ボルジアの子供たちにギリシア語を教えた。
外部リンク
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『Lucretia Borgia

ルドヴィーコ・ヴィスコンティ Ludovico Visconti

生没:~1404年3月7日
父:ベルナボ・ヴィスコンティ
妻:ヴィオランテ・ヴィスコンティ
概要
 ルドヴィーコ・ヴィスコンティは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
年表
1381年4月18日
ヴィオランテ・ヴィスコンティと結婚。
チェーザレ・ボルジア数
 妻ヴィオランテ・ヴィスコンティ→きょうだいジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子ヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Foundation for Medieval Genealogy
 Genealogy.EU
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

ルイジ・ダル・ヴェルメ Luigi dal Verme

生没:1390年頃~1449年9月4日
没地:メルツォ
父:ヤコポ・ダル・ヴェルメ
妻:ヴァルプルガ・スコッティ
  ルキナ・ブッソーネ
子:ピエトロ・ダル・ヴェルメ
  アントーニア・ダル・ヴェルメ
  タッデオ・ダル・ヴェルメ
  ジョヴァンニ・ダル・ヴェルメ
  カテリーナ・ダル・ヴェルメ
  ヤコポ・ダル・ヴェルメ
概要
 ルイジ・ダル・ヴェルメはイタリアの傭兵隊長。
年表
1408年
ヴァルプルガ・スコッティと結婚。
1430年
ルキナ・ブッソーネと結婚。
別表記
 Ludovico
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

マルカントーニオ・サベリコ Marcantonio Sabellico

生没:1436頃~1506年
出身:ヴィコヴァーロ
没地:ヴェネツィア
概要
 マルカントーニオ・サベリコは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、人文主義者、歴史家。
年表
1436年
この年頃、ローマ近郊ヴィコヴァーロに生。
1487年
Rerum Venetarum ab urbe condita(ヴェネツィア誌)をヴェネツィアで刊行。
1498年
Enneades sive Rapsodiae historiarum(真の世界史)92篇の刊行をヴェネツィアで開始(1498年~1504年)。
1506年4月18日
ヴェネツィアで死。
本名
 Marcantonio Coccio
別表記
 マルコ・アントーニオ・サベリコ
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

マルコ・コッポラ Marco Coppola

生没:~1527年
在位:モンテペローゾ司教 1498年11月26日~1527年
父:フランチェスコ・コッポラ
概要
 マルコ・コッポラは、15世紀~16世紀の男性、聖職者。
年表
1486年8月13日
ナポリフェッランテ・ダラゴーナの孫マリーア・トデスキーニとの結婚のためカステル・ヌオーヴォに赴くが、大広間に花嫁の代わりに兵を連れて入って来たフェッランテ・ダラゴーナにより、男爵たちの陰謀に加担したとして父フランチェスコ・コッポラと共に逮捕され投獄される。
1491年4月
釈放される。
1491年4月24日
修道士になる。
1498年11月26日
モンテペローゾ司教に任命される。
1527年
死。
別表記
 Marco Copula
外部リンク
 Academia.edu
 GCatholic.com

マルゲリータ・ディ・グリエルモ・ゴンザーガ Margherita Gonzaga

生没:1564年~1618年
父:グリエルモ・ゴンザーガ
母:エレオノーラ・ダズブルゴ
夫:アルフォンソ2世・デステ
概要
 マルゲリータ・ゴンザーガは、16世紀~17世紀のイタリアの女性。
チェーザレ・ボルジア数
 夫アルフォンソ2世・デステ→父エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』

ナポ・デッラ・トッレ Napo della Torre

生没:~1278年8月16日
没地:コモ
父:パガーノ1世・デッラ・トッレ
子:カッソーノ・デッラ・トッレ
  ムスカ・デッラ・トッレ
概要
 ナポ・デッラ・トッレは、13世紀頃のイタリアの男性。
年表
1260年
ピアチェンツァのポデスタ
1265年
アンツィアーノ・デル・ポーポロ。コモ、ノヴァーラ、ベルガモ、ローディのポデスタ
1274年
神聖ローマ皇帝ルドルフ1世により、ミラノ皇帝総代理に任命される。
1277年1月21日
デジオの戦いで捕らえられる。コモのバラデッロ城に投獄される。
1278年8月16日
コモのバラデッロ城にて、死。
外部リンク
 Foundation for Medieval Genealogy
 Wikipedia
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

ニッコロ・ソデリーニ Niccolò Soderini

生没:1487年8月5日~1563年8月1日
父:ベルナルド・ソデリーニ
母:ルクレツィア・ヴェンチュリ
妻:マッダレーナ・リカゾーリ
  マッダレーナ・デ・パッツィ
子:フィアンメッタ・ソデリーニ
  ピエロ・ソデリーニ
  ベルナルド・ソデリーニ
  ガスパーレ・ソデリーニ
  マッダレーナ・ソデリーニ
  カルロ・ソデリーニ
  ルクレツィア・ソデリーニ
  ナンニーナ・ソデリーニ
概要
 ニッコロ・ソデリーニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1520年2月7日
マッダレーナ・リカゾーリと結婚。
1533年
マッダレーナ・デ・パッツィと結婚。
外部リンク
 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『メディチ家の人びと』

オルガンティーノ・オルシーニ Organtino Orsini

生没:~1510年頃
在位:モンテロトンド領主
   サン・ポロ領主
   スティミリアーノ領主
   コッレヴェッキオ領主
   フィアネッロ領主
   サン・ヴァレンティーノ伯 1485年12月15日~1498年
父:ヤコポ・オルシーニ
母:マッダレーナ・オルシーニ
妻:コンスタンツァ・サヴェッリ
子:フランチェスコ・オルシーニ
概要
 オルガンティーノ・オルシーニはイタリアの傭兵隊長。
年表
1503年1月
破門され、教皇アレクサンデル6世に所領を没収される。
しかし、その後すぐに復帰。
別表記
 オルソ、Orso
外部リンク
 Condottieri di ventura
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『フィレンツェ史』

パンドルフォ2世・マラテスタ Pandolfo II Malatesta

生没:1325年~1373年1月
在位:ペーザロの君主 1326年~1330年
    先代:マラテスタ1世・マラテスタ
    次代:教皇領
   ペーザロの君主 1333年~1340年
    先代:教皇領
    次代:ガレオット・マラテスタ
父:マラテスタ2世・マラテスタ
母:コンスタンツァ・ホンデデイ
妻:ルパ・フランチェスカ・ブルガレッリ
  パオラ・オルシーニ
子:マラテスタ4世・マラテスタ
  エリザベッタ・ディ・パンドルフォ・マラテスタ
  パオラ・ビアンカ・マラテスタ
概要
 パンドルフォ2世・マラテスタはイタリアの傭兵隊長。
年表
 1371年2月 パオラ・オルシーニと結婚(1362年)。
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Geneanet
 Wikipedia
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

ピエルジェンティーレ1世・ダ・ヴァラーノ Piergentile I da Varano

生没:1400年~1433年9月6日
没地:レカナーティ
父:リドルフォ3世・ダ・ヴァラーノ
母:コンスタンツァ・スメドゥッチ
妻:エリザベッタ・ディ・ガレアッツォ・マラテスタ
子:リドルフォ4世・ダ・ヴァラーノ
  コスタンツァ・ダ・ヴァラーノ
概要
 ピエルジェンティーレ1世・ダ・ヴァラーノは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1400年
生。
1425年
エリザベッタ・ディ・ガレアッツォ・マラテスタと結婚。
1433年9月6日
レカナーティにて、兄弟ベルナルド・ダ・ヴァラーノとジェンティーレ・パンドルフォ・ダ・ヴァラーノの手の者に暗殺される。
外部リンク
 JDA's Family Tree
 Geneanet
 Wikipedia

リドルフォ4世・ダ・ヴァラーノ Ridolfo IV da Varano

生没:1426年~1464年
出身:カメリーノ
没地:カメリーノ
父:ピエルジェンティーレ1世・ダ・ヴァラーノ
母:エリザベッタ・ディ・ガレアッツォ・マラテスタ
妻:カミッラ・デステ
子:ニコラ・マリーア・ダ・ヴァラーノ
  ピエルジェンティーレ・ダ・ヴァラーノ
  エルコーレ・ダ・ヴァラーノ
  ファブリツィオ・ダ・ヴァラーノ
  ニコリーナ・ダ・ヴァラーノ
  ジェンティーレ・ダ・ヴァラーノ
  ジネヴラ・ダ・ヴァラーノ
  コンスタンツァ・ダ・ヴァラーノ
概要
 リドルフォ4世・ダ・ヴァラーノは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1448年
カミッラ・デステと結婚。
外部リンク
 Geneanet
 Wikipedia

リナルド・デステ Rinaldo d'Este

生没:1435年頃~1503年4月8日
出身:フェッラーラ
没地:フェッラーラ
在位:サンタ・マリア・ポンポーザ教会長
   オステッラート領主
父:ニッコロ3世・デステ
母:アンナ・デ・ロベルティ
妻:ルクレツィア・パレオロガ
子:ニッコロ・デステ
  ラウラ・デステ
概要
 リナルド・デステは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1495年
ルクレツィア・パレオロガと結婚。
外部リンク
 世界帝王事典
 Foundation for Medieval Genealogy
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 trionfi 生没:~1378年
父:ジョヴァンニ1世・パレオロゴ
妻:ヴィオランテ・ヴィスコンティ
概要
 セコンドット・パレオロゴは、14世紀の男性。
年表
1377年8月2日
ヴィオランテ・ヴィスコンティと結婚。
チェーザレ・ボルジア数
 妻ヴィオランテ・ヴィスコンティ→きょうだいジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子ヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
別表記
 セコンドオット
外部リンク
 Foundation for Medieval Genealogy
 Genealogy.EU
参考文献
 『ルネサンス宮廷大全』

セッティミーア・カッチーニ Settimia Caccini

生没:1591年9月27日~1660年
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
父:ジューリオ・カッチーニ
母:ルチア・ガニョランティ
概要
 セッティミーア・カッチーニは、16世紀~17世紀のイタリアの女性、作曲家、声楽家。
年表
1591年9月27日
フィレンツェにて、生(1591年10月6日)。
別表記
 La Flora
外部リンク
 ウィキペディア
 Find A Grave
 Journal Publishing Services - Pompeo Caccini and Euridice
 The Medici Archive Project
参考文献
 『Pompeo Caccini and Euridice

ステファヌ・バートリ Stefan Batóry

生没:1533年~1586年
在位:ポーランド王 1575年12月14日~1586年12月12日
概要
 ステファヌ・バートリは、16世紀の男性。
年表
1574年5月30日
シャルル9世死(1550年~:在位1560年~)。——弟・王総代理官(在位1567年~)・ポーランド王アンリ3世、この王位を捨てて(在位1573年~)フランス王に即位し、アンリ3世を名乗る(在位~1589年)——(ポーランド王に、翌1575年12月12日トランシルヴァニア公ステファヌ・バートリ(1533年~1586年)が選出されその翌1576年5月1日クラクフで戴冠(王名ステファヌ・バートリ:在位~1586年))。
別表記
 ステファン・バトーリ、Báthory István
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス百科事典』

アルベリーコ・ダ・バルビアーノ Alberico da Barbiano

生没:1344年頃~1406年頃
出身:バルビアーノ
没地:カステッロ・ディ・ピエーヴェ
父:アリドージオ・ダ・バルビアーノ
妻:ベアトリーチェ・ダ・ポレンタ
子:ルドヴィーコ・ダ・バルビアーノ
  マンフレド・ダ・バルビアーノ
  アントーニア・ダ・バルビアーノ
  バンデッツェーテ・ダ・バルビアーノ
  ジョルジョ・ダ・バルビアーノ
概要
 アルベリーコ・ダ・バルビアーノは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。
年表
1344年頃
バルビアーノにて生(1348年)。
1406年頃
カステッロ・ディ・ピエーヴェにて死(1409年)。
別表記
 アルベリコ、アルベリーゴ、アルベリーコ・ディ・コーニオ
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Naval Data Base.
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』

アレッサンドロ1世・ゴンザーガ Alessandro I Gonzaga

生没:1490年頃~1530年
没地:ナポリ
在位:第2代ノヴェッラーラ伯
父:ジャンピエトロ1世・ゴンザーガ
母:カテリーナ・トレッリ
妻:コンスタンツァ・ディ・コレッジョ
子:アルフォンソ・ゴンザーガ
概要
 アレッサンドロ1世・ゴンザーガは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。
年表
1515年
ノヴェッラーラ、コルテヌオーヴァ、バニョーロ伯として、兄弟と共に叙任される。ヴェネツィア貴族社会に再び地歩を固める。
1530年
イタリアのスペイン騎兵将軍。
別表記
 アレッサンドロ・ディ・ノヴェッラーラ
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』

アレッサンドロ・デリ・アレッサンドリ Alessandro degli Alessandri

生没:1391年6月13日~1460年12月27日
父:ウーゴ・デリ・アレッサンドリ
母:ジェンマ・カンビ
妻:オネスタ・アッチャイウオリ
子:マリーア・デリ・アレッサンドリ
  ジョヴァンニ・デリ・アレッサンドリ
  ニコローサ・デリ・アレッサンドリ
  ヤコポ・デリ・アレッサンドリ
  アントーニオ・デリ・アレッサンドリ
  ブリジーダ・デリ・アレッサンドリ
  フィリッポ・デリ・アレッサンドリ
  ベルナルド・デリ・アレッサンドリ
  コンスタンツァ・デリ・アレッサンドリ
概要
 アレッサンドロ・デリ・アレッサンドリは、14世紀~15世紀のフィレンツェの男性。
年表
1391年6月13日
生(1391年7月13日)。
1460年12月27日
死。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『メディチ家の人びと』

アレッサンドロ・カッポーニ Alessandro Capponi

生没:1512年5月31日~1587年2月15日
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
父:ジュリアーノ・カッポーニ
母:ジネヴラ・サッケッティ
妻:エリザベッタ・グィッチャルディーニ
子:カッサンドラ・カッポーニ
  ジュリアーノ・カッポーニ
  ルカ・カッポーニ
  ピエロ・カッポーニ
  フランチェスコ・カッポーニ
概要
 アレッサンドロ・カッポーニは、16世紀頃のフィレンツェの男性。
年表
1512年5月31日
フィレンツェにて、生。
1536年
ナポリ到着。
1536年7月
数日間拘禁される。
1539年
フィレンツェ到着。
エリザベッタ・グィッチャルディーニと結婚(1537年)。
外部リンク
 Geneanet
 Treccani

アレッサンドロ・ソデリーニ Alessandro Soderini

父:トンマーゾ・ディ・パオラントーニオ・ソデリーニ
母:フランチェスカ・パンドルフィーニ
概要
 アレッサンドロ・ソデリーニは、16世紀頃のイタリア人の男性。
年表
1548年2月26日
フランソワ1世宮廷からヴェネツィアに移って逃亡生活を続けていたロレンツィーノ・デ・メディチは、コジモ1世・デ・メディチのヴェネツィア駐在大使Pierfilippo Pandolfini(1502年~1560年:在位1545年~1549年)の雇った2人の刺客に、母マリーア・ソデリーニの兄弟アレッサンドロ・ソデリーニと同道していたところを襲われて刺殺され(1513/1514年~)、遺骸は間もなく駆けつけたマリーア・ソデリーニに渡される。ロレンツィーノ・デ・メディチを守ろうとして刺されたアレッサンドロ・ソデリーニも数日後、死。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アンジオーラ・スフォルツァ Angiola Sforza

生没:1479年~1497年
父:カルロ・スフォルツァ
母:ビアンカ・シモネッタ
夫:エルコーレ・デステ
概要
 アンジオーラ・スフォルツァは、15世紀のイタリアの女性。
年表
1479年
生。
1491年
エルコーレ・デステと結婚。
1497年
死。
別表記
 アンジェラ、AgnolaAngela Sforza
外部リンク
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 GeneaNet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

アンナ・ヤギェウォ Anna Jagiełło

生没:~1547年
父:ウラースロー2世・ヤギェウォ
夫:フェルディナンド1世
子:マクシミリアン2世
  フェルディナンド2世・フォン・ハプスブルク
  カタリーナ・フォン・ハプスブルク
  エレオノーラ・ダズブルゴ
  バルバーラ・ダズブルゴ
  カール
  ジョヴァンナ・ダズブルゴ
概要
 アンナ・ヤギェウォは、16世紀頃の女性。
年表
1515年5月20日
フェルディナンド1世と婚約。
1521年5月
カール5世の弟、オーストリア大公フェルディナンド1世と結婚。
別表記
 ヤギエロ
外部リンク
 ウィキペディア
 Find A Grave
 Genealogy.EU
参考文献
 『ハプスブルク家』
 『血の伯爵夫人エリザベート・バートリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アントーニア・ディ・ベルナボ・ヴィスコンティ Antonia Visconti

生没:1360年頃~1405年3月26日
出身:ミラノ
没地:シュトゥットガルト
父:ベルナボ・ヴィスコンティ
母:ベアトリーチェ・デッラ・スカーラ
夫:フェデリーコ3世・デ・バルセロナ
  エヴェラード3世・フォン・ヴュッテンベルク
子:エヴェラード4世・フォン・ヴュッテンベルク
概要
 アントーニア・ヴィスコンティは、14世紀~15世紀の女性。
チェーザレ・ボルジア数
 きょうだいルドヴィーコ・ヴィスコンティ→妻ヴィオランテ・ヴィスコンティ→きょうだいジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子ヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Genealogy.EU
 Wikipedia
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

バルトロメオ・フローレス Bartolomeo Flores

生没:~1498年7月23日
在位:ネピ・ストリ司教 1489年8月21日~1495年8月4日
   コゼンツァ大司教 1495年8月4日~1497年9月14日
概要
 バルトロメオ・フローレスは、15世紀のイタリアの男性、聖職者。
年表
1489年9月8日
司教。
1497年9月14日
教皇アレクサンデル6世により、教皇秘書官の召使3人と共に20の小勅書を捏造したとして、サンタンジェロ城に投獄される。
死ぬまで暗い部屋で、ランプの油とパンと水が与えられた。
1497年10月
カンポ・デ・フィオーリ広場にて、3人の召使が火刑にされる。
別表記
 Bartholomeo Florido
外部リンク
 Catholic-Hierarchy
 GCatholic.com
 Treccani
参考文献
 『ヨハン・ブルカルトの日記
 『The Life of Cesare Borgia

バルトロメオ・ディ・ニッコロ・ヴァローリ Bartolomeo Valori

生没:1354年5月7日~1427年9月11日
在位:正義の旗手 1420年
父:ニッコロ・ディ・タルド・ヴァローリ
母:カルレッタ・アディマリ
妻:イザベッラ・デリ・アレッサンドリ
  ?・マッチンギ
子:ニッコロ・ヴァローリ
  フィリッポ・ディ・バルトロメオ・ヴァローリ
概要
 バルトロメオ・ヴァローリは、14世紀~15世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家、外交官。
年表
1419年
教皇マルティヌス5世のもとへ大使として派遣される。
1423年
ミラノフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティのもとへ大使として派遣される。
外部リンク
 Google Books
 Internet Archive
 Internet Archive
 Treccani

ベアトリーチェ・ディ・ニッコロ・デステ Beatrice d'Este

生没:1427年4月9日~1497年11月29日以前
父:ニッコロ3世・デステ
夫:ニッコロ1世・ダ・コッレッジオ
  トリスターノ・スフォルツァ
子:ニッコロ・ダ・コッレッジオ
  エリザベッタ・スフォルツァ
概要
 ベアトリーチェ・デステは、15世紀のイタリアの女性。舞踊が得意で、祭典の女王と呼ばれた。
年表
1427年4月9日
生(1455年頃)。
1448年10月7日
ニッコロ1世・ダ・コッレッジオと結婚。
1449年7月11日
夫ニッコロ1世・ダ・コッレッジオ死。
1455年
トリスターノ・スフォルツァと結婚(1454年)。
1497年11月29日
この日以前に死。
外部リンク
 Project Gutenberg - Beatrice d'Este, Duchess of Milan, 1475-1497 by Julia Cartwright
 JDA's Family Tree
 trionfi
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

ベネデット・アッコルティ Benedetto Accolti

生没:1415年~1464年9月26日
出身:アレッツォ
没地:フィレンツェ
父:ミケーレ・アッコルティ
子:ミケーレ・アッコルティ
  ロゼッロ・アッコルティ
  ベネデット・アッコルティ
  ピエトロ・アッコルティ
  ベルナルド・アッコルティ
  エリザベッタ・アッコルティ
  カテリーナ・アッコルティ
  ルクレツィア・アッコルティ
概要
 ベネデット・アッコルティは人文主義者、法学者。
年表
1464年9月26日
フィレンツェで死(1466年)。
1532年
遺作De bello a christianis contra barbaros gesto pro Christi sepulchro et Iudaea recuperandis(キリスト教徒によるキリストの墳墓およびユダヤ地方奪回戦争について)、ヴェネツィアで刊。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ベルナルディーノ・カエターニ Bernardino Caetani

生没:~1500年5月
在位:セルモネータ領主 1494年~
    先代:ニコラ・カエターニ
    次代:グリエルモ・カエターニ
父:ニコラ・カエターニ
母:エレオノーラ・オルシーニ
概要
 ベルナルディーノ・カエターニは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1494年?~
セルモネータ、バッシアーノ、ニンファ、ノルマ、チステルナ、サン・ドナート領主。おじグリエルモ・カエターニと共同。
1500年2月11日~1500年2月15日
教皇アレクサンデル6世により、所領を没収される。
1500年5月下旬
チェーザレ・ボルジアの命により、殺害される。
別表記
 ベルナルディノ・ガエタニ、Bernardino Maria
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia

ベルナルド・アッコルティ Bernardo Accolti

生没:1458年9月11日~1535年2月28日頃
出身:アレッツォ
没地:ローマ
父:ベネデット・アッコルティ
子:アルフォンソ・アッコルティ
  ヴィルジーニア・アッコルティ
概要
 ベルナルド・アッコルティは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1458年9月11日
アレッツォにて、生。
1520年~1534年
教皇レオ10世により、ネピ公を封与される(1521年~)。
1534年
教皇パウルス3世により、ネピ公の地位を剥奪される。
1535年2月28日頃
ローマにて、生。
別表記
 ベルナルディーノ、アレティーノ
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの華』

ビアンカ・リアリオ Bianca Riario

生没:1481年10月30日~1522年以降
出身:ローマ
没地:フィレンツェ
父:ジローラモ・リアリオ
母:カテリーナ・スフォルツァ
夫:アストッレ3世・マンフレディ
  トロイロ1世・デ・ロッシ
子:コスタンツァ・デ・ロッシ
  ピエル・マリーア3世・デ・ロッシ
  ジャン・ジローラモ・デ・ロッシ
  アンジェラ・デ・ロッシ
  ベルトランド・デ・ロッシ
  アレッサンドロ・デ・ロッシ
  エットーレ・デ・ロッシ
  カミッラ・デ・ロッシ
  ジューリオ・チェーザレ・デ・ロッシ
概要
 ビアンカ・リアリオは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。
年表
1481年10月30日
ローマにて、生(1478年3月)。
1494年
アストッレ3世・マンフレディと結婚。
1503年
トロイロ1世・デ・ロッシと結婚。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

カルロ・ディ・ベルナボ・ヴィスコンティ Carlo Visconti

生没:1359年11月~1403年8月
出身:ミラノ
父:ベルナボ・ヴィスコンティ
母:ベアトリーチェ・デッラ・スカーラ
妻:ベアトリクス・ダルマニャック
子:マルコ・ヴィスコンティ
  ヴェルデ・ヴィスコンティ
  ボーナ・ヴィスコンティ
  ジャン・カルロ・ヴィスコンティ
概要
 カルロ・ヴィスコンティは、14世紀~15世紀のイタリアの男性。
チェーザレ・ボルジア数
 きょうだいルドヴィーコ・ヴィスコンティ→妻ヴィオランテ・ヴィスコンティ→きょうだいジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子ヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Genealogy.EU
 Wikipedia
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

カルロ・ゴンザーガ Carlo Gonzaga

生没:1417年~1456年12月21日
没地:フェッラーラ
父:ジャンフランチェスコ1世・ゴンザーガ
母:パオラ・マラテスタ
妻:ルチア・デステ
  レンガルダ・マンフレディ
子:ウゴロット・ゴンザーガ
  チェチリア・ゴンザーガ
  パオラ・ゴンザーガ
  ジェンティリーナ・ゴンザーガ
  エヴァンジェリスタ・ゴンザーガ
概要
 カルロ・ゴンザーガはイタリアの傭兵隊長。
年表
1437年
ルチア・デステと結婚。
1445年
レンガルダ・マンフレディと結婚。
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』

カテリーナ・デ・パッツィ Caterina de' Pazzi

生没:1437年~
父:ピエロ・デ・パッツィ
母:フィアンメッタ・ジューニ
夫:バルトロメオ・ディ・フィリッポ・ヴァローリ
子:フィリッポ・ヴァローリ
  ニッコロ・ディ・バルトロメオ・ヴァローリ
  エリザベッタ・ヴァローリ
  ジネヴラ・ヴァローリ
  ルクレツィア・ヴァローリ
  ピッキーナ・ヴァローリ
  カッサンドラ・ヴァローリ
  マリーア・ヴァローリ
  フィアンメッタ・ヴァローリ
概要
 カテリーナ・デ・パッツィは、フィレンツェの女性。
年表
1437年
生。
1438年
2千フィオリーノの婚資口座がカテリーナ・デ・パッツィのために開設される。
1452年
バルトロメオ・ディ・フィリッポ・ヴァローリと結婚。持参金2千フィオリーノ
外部リンク
 Google Books
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

コンサルヴォ・ディ・ミラフォンテ Consalvo di Mirafonte

生没:~1510年頃
概要
 コンサルヴォ・ディ・ミラフォンテは、15世紀~16世紀の男性、傭兵隊長。
年表
14??年
チェーザレ・ボルジアに雇われる。
1500年1月
チェーザレ・ボルジアにより、ラヴァルディーノ城の修復とフォルリの統治を任命される。
1500年1月
エルコーレ・ベンティヴォーリオ指揮の騎兵5百と共に、コンサルヴォ・ディ・ミラフォンテは歩兵3百でフォルリに駐屯。
1503年10月
アントーニオ・マリーア・オルデラッフィフォルリを襲撃され、ラヴァルディーノ城に籠城。
1504年1月
アントーニオ・マリーア・オルデラッフィに降伏。
別表記
 Gonsalvo de Mirafuente
外部リンク
 Condottieri di ventura
参考文献
 『The Life of Cesare Borgia

エレーナ・オルシーニ Elena Orsini

父:カルロ・ディ・ジョヴァンニ・オルシーニ
母:パオラ・オルシーニ
夫:ジェンティーレ・ミリオラーティ
子:ルドヴィーコ・ミリオラーティ
概要
 エレーナ・オルシーニは、15世紀頃のイタリアの女性。
年表
1418年
フェルモ領主ジェンティーレ・ミリオラーティと結婚。
1433年
ヴァザネッロの城代。
チェーザレ・ボルジア数
 子ルドヴィーコ・ミリオラーティ→妻アドリアーナ・デル・ミラ→父ペレ・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Famille de Carné
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 RootsWeb.com

エンリコ・ダラゴーナ Enrico d'Aragona

生没:1431年頃~1478年11月21日
没地:テッラノーヴァ・ダ・シーバリ
在位:ジェラーチェ侯 1473年5月21日~1478年11月21日
父:フェッランテ・ダラゴーナ
母:ジョヴァンナ・カラッチオーロ
妻:ポリッセーナ・デ・サンテーリャス
子:カテリーナ・ダラゴーナ
  ルドヴィーコ・ダラゴーナ
  イッポーリタ・ダラゴーナ
  ジョヴァンナ・ディ・エンリコ・ダラゴーナ
  カルロ・ダラゴーナ
概要
 エンリコ・ダラゴーナは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1431年頃
生(1451年頃)。
1478年11月21日
テッラノーヴァ・ダ・シーバリにて、毒茸を食して死(1478年5月11日)。
別表記
 Arrigo d'Aragona
外部リンク
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア史』

フィリッポ・マリーア・スフォルツァ Filippo Maria Sforza

生没:1449年12月22日~1492年
出身:パヴィア
没地:ミラノ
在位:コルシカ伯
   パヴィア伯
    先代:フランチェスコ1世・スフォルツァ
父:フランチェスコ1世・スフォルツァ
母:ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ
妻:コスタンツァ・スフォルツァ
子:ボーナ・スフォルツァ
概要
 フィリッポ・マリーア・スフォルツァは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1449年12月22日
パヴィアにて、生(1448年クレモーナ)。
1472年1月13日
コルシカ伯。
外部リンク
 Genealogy.EU
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

フランチェスコ・アリドージ Francesco Alidosi

生没:1460年頃~1511年5月24日
在位:枢機卿 1505年12月1日~1511年5月24日
       任命した教皇:ユリウス2世
概要
 フランチェスコ・アリドージは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。
年表
1511年5月15日
ボローニャを去り、ラヴェンナに移動するユリウス2世により、教皇の代理として指名される。
1511年5月21日~1511年5月23日
ボローニャでアルフォンソ1世・デステとも通じた市民の反乱が生じたため、逃亡する。ベンティヴォーリオ家は、ジャン・ヤコポ・トリヴルツィオ率いるフランス軍と共にボローニャに入り、市民の大歓迎を受ける。
別表記
 アリドーシ
外部リンク
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』

ガレオット・ピコ Galeotto Pico

生没:1442年~1499年4月7日
出身:ミランドラ
没地:ミランドラ
父:ジャンフランチェスコ1世・ピコ
母:ジューリア・ボイアルド
妻:ビアンカ・マリーア・デステ
子:ガレオット・ピコ
  ジューリア・ピコ
  ジャンフランチェスコ2世・ピコ
  マリーア・マッダレーナ・ピコ
  フェデリーコ1世・ピコ
  ルドヴィーコ・ピコ
  エレオノーラ・ピコ
概要
 ガレオット・ピコは、15世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。
別表記
 デッラ・ミランドラ、Galeotto I Pico della Mirandola
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』

ジェンティーレ・ベッキ Gentile Becchi

生没:~1497年
出身:ウルビーノ
没地:アレッツォ
在位:アレッツォ司教 1473年10月20日~1497年
    先代:ロレンツォ・アッチャイウオリ
    次代:コジモ・デ・パッツィ
著作:フィレンツェ司教会議
概要
 ジェンティーレ・ベッキはロレンツォ・イル・マニーフィコの5歳の頃からの家庭教師、後に外交官に転ずる。
年表
1478年11月4日
カファッジョーロでフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの書記であるフェデリーコ・ガッリ宛書簡をしたためる。フィレンツェ共和国は被害者なのであり、初めに仕掛けたのはこちら側ではないと主張する。
外部リンク
 GCatholic.com
 Treccani.it
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルネッサンス夜話』
 『メディチ家』
 『フィレンツェ史』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ジャンノッツォ・プッチ Giannozzo Pucci

生没:~1497年8月21日
父:アントーニオ・プッチ
妻:ルクレツィア・ビーニ
概要
 ジャンノッツォ・プッチは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1483年
ルクレツィア・ビーニと結婚。
1497年8月5日
メディチ派の陰謀。メディチ家復辟の陰謀が発覚し、官職の指導的地位を占める有力者を含む多数の者が逮捕される。
陰謀の首謀者として死刑を宣告されたベルナルド・デル・ネロニッコロ・リドルフィ、ジャンノッツォ・プッチ、ロレンツォ・トルナブオーニジョヴァンニ・カンビの5名、1495年3月19日の法によりコンシーリオ・マッジョーレへ提訴。
緊迫した険悪な空気が広まる中で市民の陰謀への恐怖と首謀者への憎悪募り、その提訴権の否認、反逆者への復讐の声が高まる。
別表記
 ジャンノッツォ・ディ・アントーニオ・プッチ、ジァノッツォ・プッチ
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

ジョヴァンニ・ディ・ベルナルド・ルチェッライ Giovanni Rucellai

生没:1475年10月20日~1525年4月3日
出身:フィレンツェ
没地:ローマ
父:ベルナルド・ルチェッライ
母:ナンニーナ・デ・メディチ
概要
 ジョヴァンニ・ルチェッライは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、人文主義者、詩人。
年表
1475年10月20日
フィレンツェに生。
1515年
悲劇Rosamunda(ロスムンダ)を完成。
1524年
Le api(蜜蜂)を執筆。
1525年4月3日
ローマで死。
1525年
Rosamunda刊行。
1539年
Le api刊行。
外部リンク
 Treccani.it
 Wikipedia
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ジローラモ・カルダーノ Girolamo Cardano

生没:1501年9月24日~1576年
概要
 ジローラモ・カルダーノは、16世紀のイタリアの男性、数学者、医学者、自然科学者。
作品
 外科の歴史
年表
1501年9月24日
パヴィアに生。
1539年
Pratica arithmetica et mensurandi singularis(実用算術・測量論)をミラノで刊行。
1545年
Artis magnae, sive de regulis algebracis(大学問の、もしくは代数学の規則)をニュルンベルクで刊行。
1550年
Desubtilitate rerum(事物の微妙さについて)をニュルンベルクで刊行。
1557年
De rerum varietate(事物の諸相)をバーゼルで刊行。
別表記
 ジェロラモ、Gerolamo Cardano
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『錬金術』
 『ローマ教皇検死録』

グレゴリウス13世 Gregorius XIII

生没:1502年1月7日~1585年4月10日
在位:第226代教皇 1572年~1585年
    先代:ピウス5世
    次代:シクストゥス5世
概要
 ウーゴ・ブオンコンパーニは、16世紀の男性、聖職者、第226代教皇グレゴリウス13世。
年表
1572年5月14日
教皇に即位。
1582年2月
ユリウス暦からグレゴリオ暦への、暦の切り替えの勅令を発布。
1582年10月
ユリウス暦からグレゴリオ暦への、暦の切り替えが実施される。カトリックの国であるイタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランドなどで採用され、ユリウス暦の1582年10月5日が1582年10月15日に改められた。
本名
 ウーゴ・ブオンコンパーニ、Ugo Buoncompagni
外部リンク
 ウィキペディア
 Find A Grave
 GCatholic.com
参考文献
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lost Girls

ヤコポ1世・ダッピアーノ Jacopo I d'Appiano

生没:1322年頃~1398年9月5日
在位:ピサの君主 1392年~1398年
父:ヴァンニ・ダッピアーノ
妻:マルゲリータ・デ・パスキ
  ポリッセーナ・デ・パンノッチエスキ
  アガティーナ・コロンナ
  ルドヴィーカ・マラスピーナ
子:ヴァンニ・ダッピアーノ
  ゲラルド・ダッピアーノ
  エマヌエレ・ダッピアーノ
概要
 ヤコポ1世・ダッピアーノは、14世紀のイタリアの男性。
年表
1353年
ピサでマルゲリータ・デ・パスキと結婚。
1373年
ピサでポリッセーナ・デ・パンノッチエスキと結婚。
1387年
ローマでアガティーナ・コロンナと結婚。
1392年
フィレンツェでルドヴィーカ・マラスピーナと結婚。
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani.it
参考文献
 『イタリア史』

ヤコポ・フェオ Jacopo Feo

生没:1471年~1495年8月28日
出身:フォルリ
妻:カテリーナ・スフォルツァ
概要
 ヤコポ・フェオは、15世紀のイタリアの男性、ジローラモ・リアリオの下級の臣。
年表
1471年
この年頃、生(1468年、1472年頃)。
1490年
この年頃までに、フォルリにて、カテリーナ・スフォルツァと事実上、結婚(1494年)。
1495年8月27日
義理の息子オッタヴィアーノ・リアリオの重臣たちに殺害される。
別表記
 ジャコモ・フェロ、デ・フェオ、Giacomo Feo
外部リンク
 世界帝王事典
 Wikipedia
参考文献
 『世界悪女大全』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ルネサンスの女たち』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジョルジョ・コスタ Jorge da Costa

生没:1406年~1508年9月18日
在位:枢機卿 1476年12月18日~
       任命した教皇:シクストゥス4世
概要
 ジョルジョ・コスタは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。
年表
1501年9月
枢機卿会議で、ルクレツィア・ボルジアを考慮してエステ家に好意を示しているような発言をする。
備考
 ルクレツィア・ボルジアの代父。
別表記
 Giovanni of PratoCardinal of LisbonCardinal of Colenzo
外部リンク
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia
参考文献
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家の黄金の血』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

フアン・デル・ミラ Juan del Milà

生没:~1460年
在位:Massalavés男爵
父:フアン・デル・ミラ
母:カタリーナ・デ・サンテーリャス
妻:カテリーナ・デ・ボルハ
子:ペレ・デル・ミラ
  ダミアータ・デル・ミラ
  ルイス・フアン・デル・ミラ
  ルイス・デル・ミラ
  カタリーナ・デル・ミラ
概要
 フアン・デル・ミラは、15世紀頃のスペインの男性。
年表
1447年
カテリーナ・デ・ボルハと結婚。
チェーザレ・ボルジア数
 妻カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
外部リンク
 世界帝王事典
 Google Books
 JDA's Family Tree
参考文献
 『Lucretia Borgia

フアナ・デ・トラスタマラ・イ・グレア Juana de Trastámara

生没:?~1521年
父:アロンソ・デ・トラスタマラ
母:アナ・デ・グレア
夫:フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケス
子:フランシスコ・デ・ボルハ
概要
 フアナ・デ・トラスタマラは、16世紀頃のスペインの女性。
年表
1509年1月31日
バリャドリードにて、フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケスと結婚。
1521年
死。
チェーザレ・ボルジア数
 夫フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケス→父フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
別表記
 フアナ・ダラゴーナ、ファナ・ダラゴン、ホアナ・デ・アラゴン、Juana d'Aragona
外部リンク
 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia

ルクレツィア・パレオロガ Lucrezia Paleologa

生没:1467年~1508年
出身:カザーレ
没地:フェッラーラ
父:グリエルモ8世・パレオロゴ
母:マリー・ド・フォワ
夫:ピエトロ・アルチアーティ
  ジャン・バルトロメオ・デル・カッレット
  リナルド・デステ
子:ラウラ・デステ
概要
 ルクレツィア・パレオロガは、15世紀~16世紀の女性。
年表
1467年
カザーレにて、生(1468年)。
1485年
ジャン・バルトロメオ・デル・カッレットと結婚。
1493年
夫ジャン・バルトロメオ・デル・カッレット、カザーレにて死。
1495年
リナルド・デステと結婚。
1508年
フェッラーラにて、死。
外部リンク
 Famille de Carné
 Geneanet
 Genealogy.EU

ルイジ・ダ・ポルト Luigi da Porto

生没:1485年~1529年
概要
 ルイジ・ダ・ポルトは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、散文作家。
年表
1485年8月10日
ヴィチェンツァに生。
1510年3月16日
手紙を書く。バルダッサーレ・ディ・スキピオーネが、「スペイン両王フェルナンド2世・デ・アラゴンイサベル1世・デ・カスティーリャに安全保障を約束されていたにもかかわらず、チェーザレ・ボルジアをナポリで拘留し、王権に不名誉と汚名をもたらした」ことを否定するスペイン人は誰であれ決闘すると、「全キリスト教界」の公共場に挑戦状を掲示したこと。
1524年
Giulietta e Romeo(ロメオとジゥリエッタ)執筆。
1529年5月10日
ヴィチェンツァで死。
1530年
Giulietta e Romeo(ロメオとジゥリエッタ)ヴェネツィアで刊。
別表記
 ルイジ・ダ・ポルトゥ
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『The Life of Cesare Borgia

マリーア・ルクレツィア・デ・メディチ Maria Lucrecia de' Medici

生没:1540年4月3日~1557年11月19日
父:コジモ1世・デ・メディチ
母:エレオノーラ・ディ・トレド
概要
 マリーア・ルクレツィア・デ・メディチは、16世紀のイタリアの女性。
年表
1556年
アルフォンソ2世・デステと婚約。
チェーザレ・ボルジア数
 きょうだいルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ→夫アルフォンソ2世・デステ→父エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 Wikipedia
参考文献
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

マリーア・ディ・サヴォイア Maria di Savoia

生没:1411年~1469年
父:アメーデオ8世・ディ・サヴォイア
夫:フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ
概要
 マリーア・ディ・サヴォイアは、15世紀のイタリアの女性。彼女のために建てられた城の一画に閉じ込められたまま暮らし、仕えるのは全員女であった。夫に握られた手は洗わないほど夫を愛したと伝えられている。
年表
1428年10月29日
36歳のフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティと結婚。
外部リンク
 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani.it
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの女たち』

マリーア・ソデリーニ Maria Soderini

生没:~1548年以降
父:トンマーゾ・ディ・パオラントーニオ・ソデリーニ
母:フィアンメッタ・ストロッツィ
夫:ピエルフランチェスコ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ
子:ロレンツィーノ・デ・メディチ
  ジュリアーノ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ
  ラウドミア・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ
  マッダレーナ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ
概要
 マリーア・ソデリーニは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。
年表
1511年
ピエルフランチェスコ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチと結婚。
外部リンク
 Famille de Carné
 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ニッコロ1世・オルシーニ Niccolò I Orsini

生没:~1445年頃
父:ベルトルド・オルシーニ
母:アニェーゼ
妻:ルイジア・オルシーニ
子:アルドブランディーノ2世・オルシーニ
  イザベッラ・ディ・ニッコロ・オルシーニ
  オルシーナ・オルシーニ
概要
 ニッコロ1世・オルシーニはイタリアの傭兵隊長。
チェーザレ・ボルジア数
 子アルドブランディーノ2世・オルシーニ→妻バルトロメア・ディ・カルロ・オルシーニ→きょうだいエレーナ・オルシーニ→子ルドヴィーコ・ミリオラーティ→妻アドリアーナ・デル・ミラ→父ペレ・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Famille de Carné
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ニッコロ・ニッコリ Niccolò Niccoli

生没:1364年~1437年
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
概要
 ニッコロ・ニッコリは、14世紀~15世紀のフィレンツェの男性、人文主義者、古典収集家並びに研究家。
年表
1437年2月3日
フィレンツェで死(1364年頃~1437年)。
1444年
コジモ・イル・ヴェッキオニッコロ・ニッコリの遺した古典書と自ら収集した古典書(計800余巻?)収蔵の間をサン・マルコ修道院ミケロッツォの設計で作らせ、ニッコロ・ニッコリの遺言通り、かつエウゲニウス4世の侍従として市内にあったTommaso Parentucelli(1397年~)の協力を得て定めた規則に則り、全ての研修者に開放させる。ヨーロッパ最初の公開図書館、誕生。
別表記
 ニッコロニッコリ
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

オッタヴィアーノ・ウバルディーニ Ottabiano Ubaldini

生没:~1498年
父:ベルナルディーノ・ウバルディーニ
母:アウラ・ダ・モンテフェルトロ
概要
 オッタヴィアーノ・ウバルディーニは、政治よりも錬金術や占星術に関心を持っていたが、時折フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの相談相手を務めた。そしてフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの死後は彼の息子グイドバルド・ダ・モンテフェルトロの後見人となり、彼に代わって国事を取り仕切った。
年表
1478年2月15日
ウルビーノピエロ・フェリーチ宛書簡をしたためる。この書簡により、彼がパッツィ家の陰謀の全貌を知っていて、成功には悲観的であることが分かる。他にグイドバルド・ダ・モンテフェルトロが日曜のミサで首飾りを大喜びして見せびらかしていたことを述べている。
外部リンク
 Google Books - The Book of the Courtier
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

パンドルフォ・パンドルフィーニ Pandolfo Pandolfini

生没:1424年~1465年
没地:ナポリ
父:ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
子:ジャンノッツォ・パンドルフィーニ
  フランチェスコ・パンドルフィーニ
  バッティスタ・パンドルフィーニ
  ジョヴァンニ・パンドルフィーニ
  ルクレツィア・パンドルフィーニ
  アンジョリーナ・パンドルフィーニ
概要
 パンドルフォ・パンドルフィーニは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1424年
生。
1454年
プリオーレ。
1459年
プリオーレ。
1465年2月
ナポリ王国におけるフェッランテ・ダラゴーナの権力再確立を祝うため、ナポリへ派遣される。
ナポリ駐在フィレンツェ大使として、ナポリに残る。
1465年秋
ナポリにて、死。
埋葬地
 サンタ・マリア・ラ・ノヴァ教会

パンドルフォ・プッチ Pandolfo Pucci

生没:~1560年1月2日
妻:ラウドミア・グィッチャルディーニ
概要
 パンドルフォ・プッチは、16世紀頃のイタリアの男性。
年表
1533年
ラウドミア・グィッチャルディーニと結婚。
15??年
コジモ1世・デ・メディチの宮廷で、何らかの不道徳行為を指摘されて政界から追放される。一説には共和国制度の復活を訴えたためにコジモ1世・デ・メディチの反感を買ったとも言われる。
1559年
パウルス4世の死(1559年8月)後この頃までの間に、政界追放を根に持ち復讐するため、あるいは共和国政復活という政治イデオロギーに則ってコジモ1世・デ・メディチに対して陰謀を計画するが、露見。
1560年1月2日
絞首刑に処される。他、Stordo Cavalcantiら3名が斬首され、Bernardo CorbinelliIacopo Corbinelli兄弟が1560年叛徒として追放される。
外部リンク
 不埒な天国
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ステファノ・ポルカリ Stefano Porcari

生没:?~1453年1月9日
概要
 ステファノ・ポルカリは、15世紀頃のイタリアの男性、熱狂的な共和政論者。
年表
1453年1月3日
ニコラウス5世によりローマから遠ざけられボローニャの教皇軍指揮官に左遷されていたがその地を逃亡し、共和政ローマの復活を目指す反乱の陰謀を胸にローマに潜入。
1453年1月5日
ボローニャからの通報により、陰謀は発覚。チェストの中に隠れ、妹ともう1人の女性が上に座って守ろうとするが、引きずり出され捕らえられる。
1453年1月9日
サンタンジェロ城内で絞首刑に処せられる。
別表記
 ステーファノ・ポルカーリ
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『April Blood
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

スヴェヴァ・ダ・モンテフェルトロ Sveva da Montefeltro

生没:1434年頃~1478年9月8日
出身:ウルビーノ
没地:ペーザロ
父:グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ
母:カテリーナ・コロンナ
夫:アレッサンドロ・スフォルツァ
概要
 スヴェヴァ・ダ・モンテフェルトロは、15世紀のイタリアの女性。
年表
1448年
アレッサンドロ・スフォルツァと結婚。
1457年
アレッサンドロ・スフォルツァとの結婚解消。
1457年
マリア・セラフィーナという名で修道女となる。
1467年
ペーザロのサンタ・キアラ修道院に入る。
1478年9月8日
没。
1754年
列福される。
別表記
 Seraphina Sforza
外部リンク
 Genealogy.EU
 Wikipedia
参考文献
 『ルネサンス宮廷大全』
 『Lucretia Borgia

タッデア・ヴィスコンティ Taddea Visconti

生没:1352年~1381年9月28日
没地:ミュンヘン
父:ベルナボ・ヴィスコンティ
母:ベアトリーチェ・デッラ・スカーラ
夫:シュテファン3世・フォン・バイエルン=インゴルシュタット
子:ルートヴィヒ8世・フォン・バイエルン=インゴルシュタット
  エリザベス・フォン・バイエルン=インゴルシュタット
概要
 タッデア・ヴィスコンティは、14世紀の女性。
チェーザレ・ボルジア数
 きょうだいルドヴィーコ・ヴィスコンティ→妻ヴィオランテ・ヴィスコンティ→きょうだいジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子ヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Foundation for Medieval Genealogy
 Genealogy.EU
 Wikipedia
参考文献
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』

トンマーゾ・カンパネッラ Tommaso Campanella

生没:1568年9月5日~1639年5月21日
出身:スティーロ
概要
 トンマーゾ・カンパネッラは哲学者、ドミニコ会修道士。
著作
 『スペイン王国論』(Monarchia di Spagna)
 『政治警句集』Aforismi politici)
 『天文学』Astronomia)
 『救世主王国論』Monarchia del Messia)
 『克服されたる無神論』Atheismus triumphatus)
 『イタリア諸侯に捧げる辞』Discorsi ai Principi d'Itaria)
 『諸物の感覚および魔術』Senso delle cose e lamagia)
 『ガリレオの弁明』Apologia pro Galolaeo) 1616年
年表
1568年9月5日
カラブリアのスティーロに生。
1602年
La città del sole(太陽の都)執筆。
1623年
La città del soleのラテン語訳Civitas solis、フランクフルトで刊。
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』

トリスターノ・スフォルツァ Tristano Sforza

生没:1424年~1477年7月11日
出身:ジェノヴァ
没地:ミラノ
父:フランチェスコ1世・スフォルツァ
妻:ベアトリーチェ・ディ・ニッコロ・デステ
子:エリザベッタ・スフォルツァ
概要
 トリスターノ・スフォルツァは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1424年
ジェノヴァで誕生。
1454年10月28日
ベアトリーチェ・ディ・ニッコロ・デステと結婚。
1477年
ミラノで死。
外部リンク
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani.it
参考文献
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』

ヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチ Vespasiano da Bisticci

生没:1421年~1498年7月28日
概要
 ヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチは、書籍商。
著作
 ウルビーノ公フェデリーコ伝
年表
1421年
フィレンツェ近郊リニャーノ・スッラルノのビスティッチに生。
1480年
書籍商を辞める。
1482年
生業を辞めて以来籠もっていたフィレンツェ郊外アンテッラの農園でLe vite di uomini illustri del secolo XV(十五世紀著名人列伝)の執筆を開始。
1498年7月28日
フィレンツェ郊外アンテッラで死。
1839年
Le vite di uomini illustri del secolo XVローマで刊。
別表記
 ヴェスパジアーノ・フィオレンティーノ、Vespasiano Florent.
外部リンク
 Treccani.it
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス百科事典』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

アニェーゼ・ファルネーゼ Agnese Farnese

生没:1460年頃~1509年10月23日
出身:イスキア
没地:シエナ
父:ガブリエーレ・フランチェスコ・ファルネーゼ
母:イザベッラ・ディ・ニッコロ・オルシーニ
夫:アンドレア・トデスキーニ
概要
 アニェーゼ・ファルネーゼは、15世紀~16世紀のイタリアの女性。
年表
1475年1月
シエナにてアンドレア・トデスキーニと結婚。
チェーザレ・ボルジア数
 母イザベッラ・ディ・ニッコロ・オルシーニ→きょうだいアルドブランディーノ2世・オルシーニ→妻バルトロメア・ディ・カルロ・オルシーニ→きょうだいエレーナ・オルシーニ→子ルドヴィーコ・ミリオラーティ→妻アドリアーナ・デル・ミラ→父ペレ・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Genealogy.EU
 Wikipedia

アニェーゼ・ディ・グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ Agnese da Montefeltro

生没:1425年頃~1447年12月16日
没地:イーモラ
父:グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ
母:カテリーナ・コロンナ
夫:グイダントーニオ・マンフレディ
  アレッサンドロ・ゴンザーガ
概要
 アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロは、15世紀のイタリアの女性。
年表
1442年
グイダントーニオ・マンフレディと結婚。
1446年
アレッサンドロ・ゴンザーガと結婚。
1447年12月16日
イーモラにて、死(1522年)。
別表記
 アニェージナ、Agnesina
外部リンク
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 Wikipedia
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アゴスティーノ・カッポーニ Agostino Capponi

生没:1471年4月3日~1513年
出身:フィレンツェ
父:ベルナルド・カッポーニ
母:コスタンツァ・ブオンジローラミ
概要
 アゴスティーノ・カッポーニは、15世紀~16世紀のフィレンツェの男性。
年表
1513年2月18日
反メディチ陰謀発覚:ピエトロ・パオロ・ボスコリと共に中心となって若者20名ほどとジュリアーノ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチとその甥ロレンツォ・デ・メディチを襲撃する陰謀を企んでいたことが、ソデリーニ家と親戚に当たるレンツィ家で発見されたピエトロ・パオロ・ボスコリの手になる参画者リストから発覚したとオットー・ディ・バーリアに報告され、中心の両名を初めとするリスト上の人物が逮捕、拘留され、拷問による取調べを受ける。
1513年2月22~23日
深夜、ピエトロ・パオロ・ボスコリと共に処刑される。
別表記
 アゴスティーノ・ディ・ルッカ・カポーニ、アゴスティーノ・ディ・ルカ・カッポーニ
外部リンク
 Treccani
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アルフォンソ・デステ Alfonso d'Este

生没:1527年3月10日~1587年11月1日
出身:フェッラーラ
没地:フェッラーラ
在位:モンテッキオ侯 1562年~1587年
父:アルフォンソ1世・デステ
母:ラウラ・エウストキア・ディアンティ
妻:ジューリア・デッラ・ローヴェレ
子:チェーザレ・デステ
  アルフォンシーノ・デステ
  エレオノーラ・デステ
概要
 アルフォンソ・デステは、16世紀のイタリアの男性、モンテッキオ侯。
チェーザレ・ボルジア数
 子チェーザレ・デステ→妻ヴィルジーニア・デ・メディチ→きょうだいルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ→夫アルフォンソ2世・デステ→父エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

アロンソ・デ・トラスタマラ・イ・エスコバル Alonso de Trastámara

生没:1415年~1485年
出身:オルメド
没地:リナーレス
在位:第1代ビジャエルモーサ公 1464年~1485年
    次代:アロンソ・デ・トラスタマラ
父:フアン2世・デ・アラゴン
母:レオノール・デ・エスコバル
妻:レオノール・デ・ソトマヨル
女:マリーア・フンケルス
子:フアン・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス
  レオノール・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス
  フェルディナンド・デ・トラスタマラ・イ・ソトマヨル
  アロンソ・デ・トラスタマラ・イ・ソトマヨル
  マリーア・デ・トラスタマラ・イ・ソトマヨル
概要
 アロンソ・デ・トラスタマラは、15世紀の男性。
チェーザレ・ボルジア数
 子レオノール・デ・トラスタマラ・イ・フンケルス→夫ハイメ・デル・ミラ→父ルイス・フアン・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

アロンソ・デ・トラスタマラ Alonso de Trastámara

生没:1470年3月10日~1520年2月23日
出身:サルベーラ
没地:レセラ
在位:ヴァレンシア大司教 1512年1月23日~1520年2月24日
    先代:ペドロ・ルイス・ランソル
父:フェルナンド2世・デ・アラゴン
母:アルドンザ・ローチ
妻:アナ・デ・グレア
子:マルティン・デ・トラスタマラ
  フアン・デ・トラスタマラ・イ・グレア
  フェルナンド・デ・トラスタマラ
  アルフォンソ・デ・トラスタマラ
  フアナ・デ・トラスタマラ・イ・グレア
  アナ・デ・トラスタマラ
  アントーニオ・デ・トラスタマラ
概要
 アロンソ・デ・トラスタマラは、15世紀~16世紀のスペインの男性、聖職者。
別表記
 アルフォンソ・ダラゴーナ
外部リンク
 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Foundation for Medieval Genealogy
 Wikipedia
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

アンドレア・マラテスタ Andrea Malatesta

生没:1373年~1416年9月20日
父:ガレオット1世・マラテスタ
妻:レンガルダ・アリドージオ
  ルクレツィア・オルデラッフィ
子:ガレオット・マラテスタ
  エリザベッタ・マラテスタ
  アントーニア・マラテスタ
  パリジーナ・マラテスタ
概要
 アンドレア・マラテスタはイタリアの傭兵隊長。
年表
1390年
レンガルダ・アリドージオと結婚。
1403年
ルクレツィア・オルデラッフィと結婚。
別表記
 マラテスタ・マラテスタ
チェーザレ・ボルジア数
 子アントーニア・マラテスタ→夫ジョヴァンニ・マリーア・ヴィスコンティ→きょうだいヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Wikipedia

アンヌ・ド・モンモランシー Anne de Montmorency

生没:1492年3月15日~1567年11月12日
概要
 アンヌ・ド・モンモランシーは、15世紀~16世紀の男性。
年表
1536年7月25日
この日頃カール5世フランソワ1世に反撃すべく大軍を3隊に分け三方からプロヴァンスに入り各地を攻撃させるが、折からの暑さ、フランソワ1世の総督アンヌ・ド・モンモランシー(1493年~1567年)の焦土化作戦による食糧調達の困難化、ペストの発生、などにより進軍に難渋し停滞。
1557年8月10日
フランドルからフランスに侵攻したエマヌエレ・フィリベルト・ディ・サヴォイア指揮下5万7千のフェリペ2世の大軍、パリ北東百キロ余りのサン・カンタンに籠るアンヌ・ド・モンモランシー指揮の2万4千のアンリ2世軍を包囲し大破。2日後サン・カンタンに入ったWilliam Herbert指揮のメアリー1世軍、アンヌ・ド・モンモランシー自身とその子らを捕囚とする。
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

アントーニア・ディ・フィリッポ・ヴィスコンティ Antonia Visconti

父:フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ
夫:フランチェスコ・ブッソーネ
子:ルキナ・ブッソーネ
チェーザレ・ボルジア数
 父フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ→きょうだいヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
 父フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ→母カテリーナ・ヴィスコンティ→きょうだいルドヴィーコ・ヴィスコンティ→妻ヴィオランテ・ヴィスコンティ→きょうだいジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子ヴァレンティーナ・ディ・ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ→子シャルル1世・ド・ヴァロワ→子ルイ12世→子ルネ・ド・フランス→夫エルコーレ2世・デステ→母ルクレツィア・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

アントーニオ2世・ダ・モンテフェルトロ Antonio da Montefeltro

生没:1348年~1404年4月29日
出身:ウルビーノ
没地:ウルビーノ
在位:ウルビーノ伯 1363年~1404年
    次代:グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ
   カーリの君主 1377年~
   カンティアーノの君主 1377年~
   グッビオの君主 1384年~
父:フェデリーコ2世・ダ・モンテフェルトロ
妻:アニェジーナ・デ・プレフェッティ
子:バッティスタ・ダ・モンテフェルトロ
  グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ
  ニコラ・ダ・モンテフェルトロ
概要
 アントーニオ2世・ダ・モンテフェルトロはイタリアの傭兵隊長。
外部リンク
 世界帝王事典
 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア史』

アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ Antonio da Sangallo il Vecchio

生没:1453年頃~1534年
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
概要
 アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオは建築家、軍事技師。
年表
1453年
この年頃、フィレンツェに生(1455年)。
1504年1月25日
ミケランジェロの「ダヴィデ像」完成し、この日、その設置場所を決定するため、ボッティチェッリレオナルド・ダ・ヴィンチペルジーノフィリッピーノ・リッピジュリアーノ・ダ・サンガッロ、アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオなどによる設置委員会開かれる。
1534年12月7日
フィレンツェで死。
本名
 Antonio Giamberti
外部リンク
 ウィキペディア
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lucretia Borgia

アヴェラルド・ディ・アヴェラルド・デ・メディチ Averardo de' Medici

生没:1270年頃~1320年
在位:プリオリ 1309年
   正義の旗手 1299年、1314年
父:アヴェラルド・ディ・フィリッポ・デ・メディチ
妻:マンディーナ・アグッチ
子:サルヴェストロ・ディ・アヴェラルド・デ・メディチ
  ヤコポ・デ・メディチ
  ジョヴェンコ・デ・メディチ
  フランチェスコ・ディ・アヴェラルド・デ・メディチ
  コンテ・デ・メディチ
  タレント・デ・メディチ
概要
 アヴェラルド・デ・メディチは、13世紀~14世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
別表記
 アヴェラルド2世
外部リンク
 Genealogy.com
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Our Family Histories
 RootsWeb.com
参考文献
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』

バルトロメア・デ・ネッリ Bartolomea de' Nelli

生没:1441年~1496年10月11日
父:ステファノ・デ・ネッリ
夫:ニッコロ・ベノッツィ
  ベルナルド・マキアヴェッリ
子:プリマヴェーラ・マキアヴェッリ
  マルゲリータ・マキアヴェッリ
  ニッコロ・マキアヴェッリ
  トット・マキアヴェッリ
概要
 バルトロメア・デ・ネッリは、15世紀のイタリアの女性。
年表
1441年
生。
14??年
ニッコロ・ベノッツィと結婚。
夫ニッコロ・ベノッツィ、死。
ベルナルド・マキアヴェッリと結婚。
1465年
プリマヴェーラ・マキアヴェッリを出産。
1468年
マルゲリータ・マキアヴェッリを出産。
1469年5月3日
長男ニッコロ・マキアヴェッリを出産。
1475年
トット・マキアヴェッリを出産。
1496年10月11日
死。
外部リンク
 Online Library of Liberty
参考文献
 『君主論』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

カミッロ・ベネイムベネ Camillo Beneimbene

生没:~1505年11月
概要
 カミッロ・ベネイムベネは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、ローマの公証人。現在サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会(ロンバルド広場?)が建っているところに彼の事務所があった。
年表
1486年6月8日
ヴァノッツァ・デイ・カッタネイカルロ・カナーレの婚姻契約書を作成。
1489年5月20日
ジューリア・ファルネーゼオルシーノ・ミリオラーティの婚姻契約書を作成。
1501年8月26日
ヴァティカン宮殿にて、ルクレツィア・ボルジアアルフォンソ1世・デステの婚姻契約書を作成。
1505年4月9日
フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレエレオノーラ・ゴンザーガの婚姻契約書を作成。
1505年
この年まで法的書類を作成する仕事を続ける。
別表記
 カミーロ・ベネインベーネ、BenembeneBenimbene
外部リンク
 Treccani.it
参考文献
 『Lucretia Borgia

カルロッタ・ディ・サヴォイア Carlotta di Savoia

生没:1441年~1483年
父:ルドヴィーコ・ディ・サヴォイア
夫:ルイ11世
子:アンヌ・ド・フランス
  シャルル8世
  ジャンヌ・ド・ヴァロワ
概要
 カルロッタ・ディ・サヴォイアは、15世紀の女性。
年表
1468年7月6日
ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァアメーデオ9世・ディ・サヴォイア及びルイ11世の妻カルロッタ・ディ・サヴォイア(1441年~1483年)の妹ボーナ・ディ・サヴォイア(1449年~1503年)と結婚。
外部リンク
 ウィキペディア
 Find A Grave
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 kleio.org
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『イタリア史』

コーラ・ディ・リエンツォ Cola di Rienzo

生没:1313年?~1354年
年表:1347年 ローマで革命
概要
 コーラ・ディ・リエンツォは、14世紀のイタリアの男性。
年表
1347年5月20日
ローマの民衆が、コラ・ディ・リエンツォに「護民官」の称号を与える。
1347年12月15日
コラ・ディ・リエンツォが民衆の離反で退位し、ローマから逃亡する。
1354年8月1日
リエンツォがローマに帰還し、政権を回復する。
1354年10月8日
ローマに帰還したリエンツォが民衆の反乱で殺害される。
別表記
 ニコラ・ディ・リエンツォ、Cola di Rienzi
外部リンク
 Wikipedia
 歴史データベース
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの歴史』
 『Lucretia Borgia

コジモ・ロッセッリ Cosimo Rosselli

生没:1439年~1507年1月7日
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
師:ネリ・ディ・ビッチ
弟子:ピエロ・ディ・コジモ
   フラ・バルトロメオ
概要
 コジモ・ロッセッリは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、画家。
年表
1439年
フィレンツェに生。
1481年夏
この頃?、完成したシスティーナ礼拝堂の壁画製作の契約をシクストゥス4世と結ぶ。他に、ボッティチェッリギルランダイオルカ・シニョレッリピントゥリッキオら。
1507年1月7日
フィレンツェで死。
別表記
 コジモ・ロッセリ、コジモロッセリ、コシモ・ロッセッリ
外部リンク
 Art cyclopedia
 Web Gallery of Art
 Wikipedia
参考文献
 『イコノロジー研究
 『世界大百科事典』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ドミンゴ・デ・ボルハ Domingo de Borja

生没:1340?年~1428年
在位:ハティバ領主
父:ドミンゴ・デ・ボルハ
母:カテリーナ
妻:フランシスカ・マルティ
子:カリストゥス3世
  イザベッラ・デ・ボルハ
  フアナ・デ・ボルハ
  カテリーナ・デ・ボルハ
  フランシスカ・デ・ボルハ
概要
 ドミンゴ・デ・ボルハは、14世紀~15世紀のスペインの男性。
チェーザレ・ボルジア数
 子イザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
別表記
 Juan Domingo de Borja y Doncel
外部リンク
 世界帝王事典
 Famille de Carné
 JDA's Family Tree
 Wikipedia
参考文献
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

エンリチェッタ・ルッフォ Enrichetta Ruffo

生没:~1462年6月24日より少し後
在位:第3代コトローネ侯
    先代:アントーニオ・コロンナ
    次代:アントーニオ・デ・サンテーリャス
   第7代カンタンツァーロ伯
   ミスラーカ、シマーリ、トッレ・デッラ・マリーナ領主
父:ニコラ・ルッフォ
母:マルグリット・ド・ポワティエ
夫:アントーニオ・デ・サンテーリャス
子:アントーニオ・ディ・アントーニオ・デ・サンテーリャス
  ポリッセーナ・デ・サンテーリャス
概要
 エンリチェッタ・ルッフォは、イタリアの女性。
年表
1437年9月1日
この日ニコラ・デッラレーナとの結婚を教会より許可されているが、取り消される。
1439年
上半期、アントーニオ・デ・サンテーリャスと結婚。
1462年6月24日
この日より少し後クレパコーレ城にて、死。
外部リンク
 Archivio Storico Crotone
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

エルコーレ・ストロッツィ Ercole Strozzi

生没:1473年9月2日~1508年6月6日
出身:フェッラーラ
没地:フェッラーラ
父:ティート・ヴェスパジアーノ・ストロッツィ
妻:バルバラ・トレッリ
子:ジューリア・ストロッツィ
概要
 エルコーレ・ストロッツィは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1508年
チェーザレ・ボルジアの悲歌をルクレツィア・ボルジアに献辞。
1508年5月
バルバラ・トレッリと結婚。
1508年6月6日
朝、現パレスキ公園の近くで死体が発見される。マントに覆われ、頭髪の一部が根元から抜かれ、22か所の傷があった。
別表記
 エルコレ・ストロッツァ
外部リンク
 Treccani.it
 Wikipedia
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

エルコーレ・ダ・ヴァラーノ Ercole da Varano

生没:~1548年
没地:フェッラーラ
在位:カメリーノ公 1535年~1537年
    先代:ジョヴァンニ・マリーア・ダ・ヴァラーノ
    次代:オッタヴィオ・ファルネーゼ
父:リドルフォ4世・ダ・ヴァラーノ
母:カミッラ・デステ
妻:フィリッパ・グァルニエーリ
子:マッティア・ダ・ヴァラーノ
  ピエル・ジェンティーレ・ダ・ヴァラーノ
  アレッサンドロ・ダ・ヴァラーノ
  ファブリツィオ・ダ・ヴァラーノ
  カミッロ・ダ・ヴァラーノ
  ラヴィニア・ダ・ヴァラーノ
  ジューリア・ダ・ヴァラーノ
  ファウスティーナ・ダ・ヴァラーノ
  エルコーレ2世・ダ・ヴァラーノ
概要
 エルコーレ・ダ・ヴァラーノは、16世紀頃のイタリアの男性。
年表
1535年5月
パウルス3世により、カメリーノを封与される。
1537年7月
パウルス3世により威嚇され、封与されたカメリーノを教会に返還する。以後、カメリーノは教会領と主張される。
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フェルディナンド・ダラゴーナ Ferdinando d'Aragona

生没:1488年12月15日~1550年10月26日
在位:カラブリア公
父:フェデリーコ・ダラゴーナ
概要
 フェルディナンド・ダラゴーナは、15世紀~16世紀の男性。
年表
1501年7月5日?~9月初旬
ゴンザロ・デ・コルドバ指揮のフェルナンド2世・デ・アラゴン軍、カラブリアのトロペーアに上陸。ナポリ分割のグラナダ協定の存在を知らなかったナポリ王フェデリーコ・ダラゴーナは、カラブリアの城塞を開けさせ、フェルナンド2世・デ・アラゴン軍を歓迎させる。フェルナンド2世・デ・アラゴン軍は、2ヶ月足らずでカラブリアを制圧。フェデリーコ・ダラゴーナの長子でカラブリア公フェルディナンド・ダラゴーナ(1488年~1559年)は捕らえられてスペインに送られる。
別表記
 Ferdinando d'Aragona
外部リンク
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『イタリア史』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フィリッポ・デ・ネルリ Filippo de' Nerli

生没:1486年3月4日~1557年6月17日
出身:フィレンツェ
父:ベネデット・デ・ネルリ
母:カッサンドラ・マルテッリ
妻:カテリーナ・サルヴィアーティ
子:レオーネ・デ・ネルリ
概要
 フィリッポ・デ・ネルリは歴史家、ニッコロ・マキアヴェッリの友人。
年表
1486年3月4日
フィレンツェにて、生(1485年3月)。
1552年
この年頃、Commentari de' fatti civili occorsi dentro la città di Firenze dall' anno 1215 al 1537(1215年から1537年に至るフィレンツェの市民的事件の論評)を稿了。
1557年6月17日
死(1566年)。
1728年
Commentari de' fatti civili occorsi dentro la città di Firenze dall' anno 1215 al 1537、刊。
外部リンク
 Geneanet
 Treccani
 Treccani
参考文献
 『マキァヴェッリ 忘恩、運命、野心、好機』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フランチェスコ・ペピ Francesco Pepi

在位:正義の旗手 1500年1月~2月、1513年5月~6月
概要
 フランチェスコ・ペピは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家、法学博士、フランチェスコ・グィッチャルディーニの民法の師。
年表
1501年11月4日
「教皇アレクサンデル6世は、万霊節の時にはカタルにかかったことを理由としてサン・ピエトロ大聖堂にも礼拝堂にも姿を見せなかったが、万聖節前日の日曜日の夜には、またもや遊女や娼婦を館に呼んでおいたチェーザレ・ボルジアと共に夜半過ぎまで過ごし、ダンスやその他の楽しみに耽った」と記す。
1505年
ピエルフランチェスコ・トシンギと共に、ピサ前線への特使。
外部リンク
 Google Books - Machiavelli and Empire
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ジャナンドレア・チェザリーニ Gianandrea Cesarini

生没:~1483年
父:ガブリエーレ・チェザリーニ
母:ゴディーナ・コロンナ
妻:ジロラーマ・ボルジア
概要
 ジャナンドレア・チェザリーニは、15世紀のイタリアの男性。
年表
1482年1月
辛うじて成人という年齢の時、ジロラーマ・ボルジアと結婚。式には、父ロドリゴ・ボルジア枢機卿、ステファノ・ナルディーニ枢機卿、ジョヴァンニ・バッティスタ・サヴェッリ枢機卿、ヴィルジーニオ・オルシーニジュリアーノ・チェザリーニ、アントーニオ・ポルカロが出席。
チェーザレ・ボルジア数
 妻ジロラーマ・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア
別表記
 ジェナンドレア、Giovanni Andrea Cesarini
外部リンク
 世界帝王事典
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Casa Cesarini. Ricerche e documenti
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジャンフランチェスコ・ゴンザーガ Gianfrancesco Gonzaga

生没:1443年~1496年8月28日
在位:サッビオネータ伯 1479年~1496年
没地:ボッツォーロ
父:ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ
母:バルバラ・フォン・ブランデンブルク
妻:アントーニア・デル・バルツォ
子:エレオノーラ・ゴンザーガ
  フェデリーコ・ゴンザーガ
  ピッロ・ゴンザーガ
  ルドヴィーコ・ディ・ジャンフランチェスコ・ゴンザーガ
  バルバーラ・ゴンザーガ
  ドロテア・ゴンザーガ
概要
 ジャンフランチェスコ・ゴンザーガはイタリアの傭兵隊長。
年表
1479年
アントーニア・デル・バルツォと結婚。
外部リンク
 世界帝王事典
 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

ジャンフランチェスコ・ダ・トレンティーノ Gianfrancesco da Tolentino

生没:~1487年8月10日
出身:トレンティーノ
没地:カッリアーノ
父:ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・トレンティーノ
母:ラウラ・シニバルディ
妻:パオラ・デリ・ウベルティ
概要
 ジャンフランチェスコ・ダ・トレンティーノは、15世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。
年表
1479年10月13日
ミラノジローラモ・リアリオ宛書簡をしたためる。
1479年10月14日
ミラノジローラモ・リアリオ宛書簡をしたためる。
1479年10月18日
ミラノジローラモ・リアリオ宛書簡をしたためる。
別表記
 ジャン・フランチェスコ、ジョヴァン・フランチェスコ、ジャン・フランチェスコ・マウルッツィ、Giovann FrancescoGianfrancesco Mauruzzi
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

ジョヴァンニ・ダラゴーナ Giovanni d'Aragona

生没:1456年6月25日~1485年10月17日
出身:ナポリ
在位:枢機卿 1477年12月10日~1485年10月17日
       任命した教皇:シクストゥス4世
父:フェッランテ・ダラゴーナ
母:イザベッラ・ディ・キアロモンテ
概要
 ジョヴァンニ・ダラゴーナは、15世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。
年表
1465年
Abate commendatario di Montevergine
1471年
Abate di Ceva e Montecassino
 Protonotario Apostolico, Cardinale Diacono (Diacono di Sant’Adriano 12-12-1477 e di San Lorenzo in Lucina 10-9-1483) e Arcivescovo di Taranto dal 10-12-1477
1483年9月10日
Cardinale Vescovo di Sabina
外部リンク
 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ・マンフレディ Giovanni Evangelista Manfredi

生没:1482年~1502年
没地:ローマ
父:ガレオット・マンフレディ
母:カッサンドラ
概要
 ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ・マンフレディは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者。父ガレオット・マンフレディの死後、ファエンツァのドメニコ修道士になる。
年表
1500年11月13日
城主ニッコロ・カスタニーニに向けられた降伏が記された紙をつけた矢が発見され、ファエンツァアンツィアーニはニッコロ・カスタニーニを逮捕、財産を没収。評議会議員4人とジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ・マンフレディを要塞に配置。
1501年6月
チェーザレ・ボルジアに従い、ローマ到着。
1501年
チェーザレ・ボルジアにより、ローマサンタンジェロ城に投獄される。
別表記
 Gianevangelista
参考文献
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『The Life of Cesare Borgia

ジョヴァンニ・ディ・マッテオ・ヴィスコンティ Giovanni Visconti

生没:1290年~1354年
在位:ミラノの君主 1339年~1354年
    先代:ルキノ・ディ・マッテオ・ヴィスコンティ
    次代:マッテオ2世・ヴィスコンティ
  ガレアッツォ2世・ヴィスコンティ
  ベルナボ・ヴィスコンティ
   ミラノ大司教 1342年~1354年
父:マッテオ1世・ヴィスコンティ
母:ボナコッサ・ボッリ
子:レオナルド・ヴィスコンティ
  マルゲリータ・ヴィスコンティ
概要
 ジョヴァンニ・ディ・マッテオ・ヴィスコンティは、13世紀~14世紀のイタリアの男性。
外部リンク
 世界帝王事典
 Foundation for Medieval Genealogy
 Genealogy.EU
 Treccani.it
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『ミラノ―ヴィスコンティ家の物語』
 『ルネサンスの歴史』

ジョヴァンニ・ミキエル Giovanni Michiel

生没:1445年頃~1503年4月10日
没地:ローマ
在位:枢機卿 1468年11月21日~1503年4月10日
       任命した教皇:パウルス2世
概要
 ジョヴァンニ・ミキエルは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。
年表
1503年4月10日
ローマにて、2日間病床に伏した後、急死(1503年4月11日)。
同日夜、教皇アレクサンデル6世が、約15万ドゥカートの巨額な遺産を接収する指令を発す。教皇指令による枢機卿毒殺の疑い広まる。
別表記
 Cardinal of Sant' AngeloCardinal Michaeli
外部リンク
 Find A Grave
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

ジローラモ・ベニヴィエーニ Girolamo Benivieni

生没:1453~1542年
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
概要
 ジローラモ・ベニヴィエーニは、詩人、著作家、哲学者、ジローラモ・サヴォナローラの信奉者で著書翻訳者。
年表
1453年2月6日
フィレンツェに生。
1496年10月31日
ジローラモ・サヴォナローラDe semplicitate christianae vitae(クリスト信徒の質素な生活について)の俗語、イタリア語版Della semplicità della vita cristiana(クリスト信徒の質素な生活について)を、詩人、著作家、哲学者でジローラモ・サヴォナローラの教説にいち早く改心した中心的信徒ジローラモ・ベニヴィエーニの訳により、Lorenzo Morgiani e Johann Petri書房から刊行。(以後、この書、フィレンツェで1528年、1529年、ヴェネツィアで1533年、1547年に刊行される)。
1542年8月
フィレンツェで死。
別表記
 ベニヴィエニ
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『イコノロジー研究
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』

ジュリアーノ・ダ・サンガッロ Giuliano da Sangallo

生没:1445年~1516年10月20日
出身:フィレンツェ
没地:ファエンツァ
子:フランチェスコ・ダ・サンガッロ
概要
 ジュリアーノ・ダ・サンガッロは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、建築家、彫刻家。
年表
1445年
この年頃、フィレンツェに生。
1504年1月25日
ミケランジェロの「ダヴィデ像」完成し、この日、その設置場所を決定するため、ボッティチェッリレオナルド・ダ・ヴィンチペルジーノフィリッピーノ・リッピ、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ、アントーニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオなどによる設置委員会開かれる。
1516年10月20日
ファエンツァで死。
外部リンク
 ウィキペディア
 Treccani.it
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの華』 生没:1486年8月10日~1518年
在位:モンフェッラート候 1494年~1518年
    先代:ボニファチオ3世・パレオロゴ
    次代:ボニファチオ4世・パレオロゴ
父:ボニファチオ3世・パレオロゴ
母:マリーア・セルビア
妻:アンヌ・ド・ヴァロワ
子:マリーア・パレオロガ
  マルゲリータ・パレオロガ
  ボニファチオ4世・パレオロゴ
概要
 グリエルモ9世・パレオロゴは、15世紀~16世紀の男性。
年表
1499年10月6日
ミラノに入城したフランス王ルイ12世へ、戦勝の祝いのため伺候。
外部リンク
 ウィキペディア
 Genealogy.EU
参考文献
 『イタリア史』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『The Life of Cesare Borgia

グリエルモ・デ・パッツィ Guglielmo de' Pazzi

生没:1437年8月6日~1516年7月6日
在位:正義の旗手 1513年1月~2月
父:アントーニオ・デ・パッツィ
母:ニコローサ・デリ・アレッサンドリ
妻:ビアンカ・デ・メディチ
子:ジョヴァンナ・デ・パッツィ
  コンテッシーナ・デ・パッツィ
  アントーニオ・デ・パッツィ
  アントーニオ・デ・パッツィ
  アレッサンドラ・デ・パッツィ
  コジモ・デ・パッツィ
  ピエロ・デ・パッツィ
  レナート・デ・パッツィ
  ロレンツォ・デ・パッツィ
  ルイジア・デ・パッツィ
  マッダレーナ・デ・パッツィ
  アレッサンドロ・デ・パッツィ
  ルクレツィア・デ・パッツィ
  ジュリアーノ・デ・パッツィ
概要
 グリエルモ・デ・パッツィは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia
参考文献
 『メディチ家の人びと』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

イザベッラ・ディ・ニッコロ・オルシーニ Isabella Orsini

父:ニッコロ1世・オルシーニ
母:ルイジア・オルシーニ
夫:ガブリエーレ・フランチェスコ・ファルネーゼ
子:カテリーナ・ファルネーゼ
  ラヌッチョ・ファルネーゼ
  パオロ・ピエトロ・ファルネーゼ
  アニェーゼ・ファルネーゼ
概要
 イザベッラ・オルシーニは、15世紀頃のイタリアの女性。
年表
1442年
ピティリアーノにて、ガブリエーレ・フランチェスコ・ファルネーゼと結婚。
チェーザレ・ボルジア数
 きょうだいアルドブランディーノ2世・オルシーニ→妻バルトロメア・ディ・カルロ・オルシーニ→きょうだいエレーナ・オルシーニ→子ルドヴィーコ・ミリオラーティ→妻アドリアーナ・デル・ミラ→父ペレ・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
別表記
 Lella
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ヤコポ・ディ・アラマンノ・サルヴィアーティ Jacopo Salviati

生没:1360年~1412年11月
没地:ピオンビーノ
父:アラマンノ・サルヴィアーティ
母:コンテッサ・ボンフィリオーリ
妻:アルビエラ・グッチ
  ディアノーラ・ペトリボーニ
子:ベルナルド・ディ・ヤコポ・ディ・アラマンノ・サルヴィアーティ
  アラマンノ・サルヴィアーティ
  フィリッポ・サルヴィアーティ
  カルヴァーノ・サルヴィアーティ
  ヤコポ・ディ・ヤコポ・ディ・アラマンノ・サルヴィアーティ
  カテリーナ・ディ・ヤコポ・ディ・アラマンノ・サルヴィアーティ
概要
 ヤコポ・サルヴィアーティは、14世紀~15世紀のフィレンツェの男性。
年表
1388年
アルビエラ・グッチと結婚。
1404年
ディアノーラ・ペトリボーニと結婚。
外部リンク
 Geneanet
 Geneanet
 Google Books

ヤコポ・ナルディ Jacopo Nardi

生没:1476年~1563年
概要
 ヤコポ・ナルディは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。
年表
1534年10月
共和政の復活を目指すヤコポ・ナルディFilippo ParentiGaleotto Giugni(1497年~1541年)、Silvestro Aldobrandini(1499年~1558年)らフィレンツェ共和政派と、アレッサンドロ・デ・メディチの支配への反発から彼に代えてイッポーリト・デ・メディチを擁立しその下で貴族寡頭制を敷こうとするフィリッポ・ディ・フィリッポ・ストロッツィらフィレンツェ貴族及びフィレンツェ出身の枢機卿ニッコロ・ディ・ピエロ・リドルフィジョヴァンニ・サルヴィアーティは、クレメンス7世の死を機にそれぞれの宿願を達するべく反アレッサンドロ・デ・メディチという唯一共通の方針を掲げ、新教皇パウルス3世の援助の下ローマに結集。
1563年3月
ヤコポ・ナルディフィレンツェで死(1476年~)。(遺作Istorie della città di Firenze(フィレンツェ市国史)、1582年リヨンで刊。)
別表記
 Iacopo
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

フアナ・デ・ボルハ Juana de Borja

父:ホフレ・デ・ボルハ
母:イザベッラ・デ・ボルハ
夫:ペドロ・ギーエン・ランソル
子:ホフレ・ランソル
  フアン・ランソル・イ・ボルハ
  イサベル・ランソル
概要
 フアナ・デ・ボルハは、15世紀頃の女性。
チェーザレ・ボルジア数
 きょうだいアレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
 子イサベル・ランソル→夫フアン・デル・ミラ→父ペレ・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
別表記
 Giovanna
外部リンク
 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
参考文献
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『Lucretia Borgia

ルクレツィア・ドナーティ Lucrezia Donati

生没:1447年以前~1501年
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
父:マンノ・ドナーティ
母:カテリーナ・デ・バルディ
夫:ニッコロ・アルディンゲッリ
概要
 ルクレツィア・ドナーティは、15世紀のフィレンツェの女性。ロレンツォ・イル・マニーフィコに愛される。
容姿
 美しい顔立ち。見事な金髪。
年表
1447年
この年以前に、フィレンツェにて、生。
1469年2月7日
サンタ・クローチェ広場で行われた馬上槍試合で、女王に選ばれる。勝利者は愛人のロレンツォ・イル・マニーフィコ
14??年
フィレンツェ商人ニッコロ・アルディンゲッリと結婚。
1486年頃
ロレンツォ・イル・マニーフィコが詩集『コリント』で、ルクレツィア・ドナーティを謳う。
1501年
フィレンツェにて、死。
外部リンク
 Treccani.it
 Wikipedia
参考文献
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』

マッダレーナ・ゴンザーガ Maddalena Gonzaga

生没:1472年~1490年8月8日
出身:マントヴァ
没地:ペーザロ
父:フェデリーコ1世・ゴンザーガ
母:マルゲリータ・ディ・バヴィエラ
夫:ジョヴァンニ・スフォルツァ
概要
 マッダレーナ・ゴンザーガは、15世紀のイタリアの女性。
年表
1472年
マントヴァで生。
1489年10月27日
ジョヴァンニ・スフォルツァと結婚。
1490年8月8日
ペーザロにて、出産時に死(1490年1月8日)。
外部リンク
 世界帝王事典
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia

マッテオ・パルミエリ Matteo Palmieri

生没:1406年~1475年
出身:フィレンツェ
没地:フィレンツェ
概要
 マッテオ・パルミエリは、15世紀のイタリアの男性、人文主義者、政治家。
年表
1438~1439年
主著Della vita civile(市民生活について)を執筆。(1529年フィレンツェで刊)。
1464~1466年
マッテオ・パルミエリ、俗語詩La città di vita(生命の都)を執筆。(1529年フィレンツェで刊)。
1466年9月末
ピエロ・イル・ゴットーソ、陰謀、反乱の平定を告知するためヴェネツィア、ミラノのガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ、ボローニャのジョヴァンニ2世・ベンティヴォーリオ、ナポリのフェッランテ・ダラゴーナに使節を派遣。この後ボローニャにはマッテオ・パルミエリを派遣し、反乱をいち早く通報してくれたことへの謝意をも表明。
1475年4月13日
フィレンツェで死。
別表記
 マテオ・パルミエーリ
参考文献
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

オッド・ディ・アンドレア・フォルテブラッチ Oddo Fortebracci

生没:1410年2月15日~1425年2月
父:アンドレア・フォルテブラッチ
妻:エリザベッタ・トリンチ
概要
 オッド・フォルテブラッチはイタリアの傭兵隊長。
年表
1410年2月15日
チッタ・ディ・カステッロにて、生(1409年2月)。
1417年3月頃
エリザベッタ・トリンチと結婚。
1425年2月1日
フィレンツェ軍を率いていたが、ミラノ公フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティの軍にVal di Lamoneで大敗を喫し、ニッコロ・ピッチニーノは捕虜となる。
1425年2月
死。
別表記
 オッド・ダ・モントーネ、Oddo da MontoneOddo di Montone
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Geneanet
 Treccani
 Wikipedia
参考文献
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ペレ・デル・ミラ Pere del Milà

生没:~1455年
没地:ナポリ
父:フアン・デル・ミラ
母:カテリーナ・デ・ボルハ
妻:コヴェッラ・デル・ドーチェ
子:フアン・デル・ミラ
  アドリアーナ・デル・ミラ
概要
 ペレ・デル・ミラは、15世紀頃の男性。
チェーザレ・ボルジア数
 母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア
別表記
 ペドロ・デ・ミーラ、Pedro de MilaPiedro de MilaPietro del Mila
外部リンク
 世界帝王事典
 Google Books
 JDA's Family Tree
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea - DEL DOCE
参考文献
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

プッチョ・ダントーニオ・プッチ Puccio Pucci

生没:1460年10月~1494年8月31日
出身:フィレンツェ
没地:ローマ
父:アントーニオ・プッチ
母:ピエラ・マネッティ
妻:ジローラマ・ファルネーゼ
概要
 プッチョ・プッチは、15世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の弁護士。
年表
1460年10月
生。
1483年
ジローラマ・ファルネーゼと結婚。
1492年8月11日
教皇アレクサンデル6世即位。
妻の妹ジューリア・ファルネーゼの教皇との関係から、この後すぐフィレンツェ共和国により、教皇に恭順を示すための全権大使として派遣される。
1494年1月13日
この頃か少し以前、ローマへの大使に任命される。
1494年8月
ローマで没(1494年9月)。
外部リンク
 the borgias ITALIA
参考文献
 『フィレンツェ史』
 『Lucretia Borgia

ロベルト・オルシーニ Roberto Orsini

概要
 騎士オルシーノ。マジョーネ同盟には参加していなかったため、チェーザレ・ボルジアはロベルト・オルシーニをマジョーネ側との連絡役に使っていた。
年表
1502年10月6日
親族からマジョーネ同盟の目的を聞き出す目的で、チェーザレ・ボルジアよりパオロ・オルシーニのもとに派遣される。
1502年12月31日(土)
セニガッリアの罠:チェーザレ・ボルジアに拘束される。
別表記
 Robert of Pitigliano
外部リンク
 Google Books
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参考文献
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』

ロベール・スチュアート・ドオービニイ Robert Stuart d'Aubigny

生没:1470年頃~1544年
概要
 ロベール・スチュアート・ドオービニイは、15世紀~16世紀の男性。
年表
1499年7~8月
ジャン・ヤコポ・トリヴルツィオを名目上の指揮者とするルイ12世軍の実質上の指揮者として、アルプスを越えてイタリアに侵攻し、アスティに結集。
1501年6月1日
ルイ12世軍を指揮し、ナポリ攻略のためアルプスを越えてイタリアに侵攻。
1501年6月19日~1501年6月23日
まずイヴ・ダレーグル指揮のルイ12世軍小隊がローマに入り、それに続いて主力部隊を率いてローマに入る。
1501年6月28日
フランス軍を指揮しローマ出発。
別表記
 ドーヴィニ、エベラルド・ディ・オービニィ、ベロルド・ステュアート、Berold Stuart
外部リンク
 Wikipedia
参考文献
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

サルヴェストロ・ディ・アラマンノ・デ・メディチ Salvestro de' Medici

生没:1331年頃~1388年
在位:正義の旗手 1370年、1378年5月~6月
父:アラマンノ・ディ・リッポ・デ・メディチ
妻:バルトロメア・アルトヴィッティ
子:マルゲリータ・デ・メディチ
  オノフリア・デ・メディチ
  ニッコロ・デ・メディチ
  アラマンノ・デ・メディチ
  グレゴーリオ・デ・メディチ
  カテリーナ・デ・メディチ
概要
 サルヴェストロ・デ・メディチは、14世紀のイタリアの男性、フィレンツェ共和国の政治家。
年表
1375年7月~1378年7月
八聖人戦争。
1378年5月~1378年6月
正義の旗手
1378年7月~1378年9月
チオンピの乱
1382年
国外追放。
別表記
 サルヴェストロ・デ・メディチ
関連項目
 チオンピの乱
外部リンク
 Treccani.it
 Wikipedia
参考文献
 『世界大百科事典』
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』

トンマーゾ・カラッチオーロ Tommaso Caracciolo

生没:~1498年頃
在位:第5代ジェラーチェ伯 ~1457年12月13日
    先代:バッティスタ・カラッチオーロ
   第1代テッラノヴァ伯 ~1457年12月13日
   グロッテリーア、モッタ・サン・ジョヴァンニ、サン・ジョルジョ、
    チンクエフロンディ、フィウメ・フレッド、ガーラトロ、アノージア、
    サン・ルーチド、ロッカ・アウジトラ領主 ~1457年12月13日
父:バッティスタ・カラッチオーロ
子:ベルナルディーノ・カラッチオーロ
  ジゾッタ・カラッチオーロ
  エリザベッタ・カラッチオーロ
  シモネッタ・カラッチオーロ
概要
 トンマーゾ・カラッチオーロは、15世紀頃のイタリアの男性。
年表
1457年12月13日
投獄され、封土没収。
1494年
釈放され、ローマへ逃亡。
1498年頃
死。
備考
 ジェラーチェ候と名乗っているが、アルフォンソ5世・デ・アラゴンに承認されていない。
外部リンク
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
参考文献
 『ルネサンス宮廷大全』

ヴェナンツィオ・ダ・ヴァラーノ Venanzio da Varano

生没:1476年10月19日~1502年10月13日
出身:ピオラコ
没地:ペーザロ
父:ジューリオ・チェーザレ・ダ・ヴァラーノ
母:ジョヴァンナ・マラテスタ
妻:マリーア・ジョヴァンナ・デッラ・ローヴェレ
概要
 ヴェナンツィオ・ダ・ヴァラーノはイタリアの傭兵隊長。
年表
1502年7月19日
フランチェスコ2世・オルシーニオリヴェロット・エウッフレドゥッチ指揮のチェーザレ・ボルジア軍に、カメリーノを占領され、捕虜にされる。
1502年10月13日
きょうだいアンニーバレ・ダ・ヴァラーノと共にカットーリカの要塞にて、チェーザレ・ボルジアにより、絞殺。
別表記
 Vincenzo
外部リンク
 Condottieri di ventura
 Geneanet
 Wikipedia
参考文献
 『イタリア史』
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前