Ίωάννης Η' Παλαιολόγος

ヨハネス8世・パレオロゴス

生没:1392年12月18日~1448年10月31日
在位:東ローマ帝国皇帝 1425年~1448年
父:マヌエル2世・パレオロゴス
母:ヘレネ・ドラガシュ
妻:アンナ・ヴァシリエーヴナ・ウラジーミルスカヤ
  ソフィア・パレオロガ
  マリーア・コムネナ

概要

 ヨハネス8世・パレオロゴスは、14世紀~15世紀の男性。

年表

1392年12月18日
誕生。(1390年)
1431年7月23日
東地中海を覆うオスマン・トルコの脅威に直面して西ヨーロッパの支援を求めたく、ヨハネス8世・パレオロゴスが提唱していた東西両教会の和解について、エウゲニウス4世は、ローマ教会の合意を固めるべく、バーゼルに公会議を招集。
1438年3月4日
ビザンティン皇帝ヨハネス8世・パレオロゴス、トレビゾント生まれの人文主義者・神学者ヨハネス・ベッサリオン(1403年~)、コンスタンティノポリス生まれの哲学者、人文主義者ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン(1355年頃~1450/52年)ら、会議が開催されていたフェッラーラに到着。4日後コンスタンティノポリス総主教Iosephフェッラーラに到着。東西両教会の合同の討議を行なう(~1439年)。
1439年1月
エウゲニウス4世、ペストの蔓延を口実に公会議をフェッラーラから、メディチ家の財政的支援を期待できるフィレンツェに移すことに決め、ビザンティン皇帝ヨハネス8世・パレオロゴス及びコンスタンティノポリス総主教Iosephの同意を得る。
1439年1月末
ヨハネス8世・パレオロゴス及びIosephらビザンティン帝国の一行、フィレンツェに向かう。
1448年10月31日
ヨハネス8世・パレオロゴス死(1390年~:在位1425年)——弟コンスタンティノス11世・パレオロゴス(1404年~)、ビザンティン皇帝(=ビザンティン帝国最後の皇帝)となる。(翌1449年1月6日戴冠:在位~1453年)。

別表記

 ヨハネス・パレオロガス、Johannes VIII Palaiologos

外部リンク

 ウィキペディア
 Genealogy.EU

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2012年7月26日