Johannes Bessarion

ヨハネス・ベッサリオン

生没:1403年~1472年
在位:枢機卿 1439年12月18日~1472年
       任命した教皇:エウゲニウス4世

概要

 ヨハネス・ベッサリオンは、15世紀の男性、聖職者、枢機卿。

年表

1438年3月4日
ビザンティン皇帝ヨハネス8世・パレオロゴス、トレビゾント生まれの人文主義者・神学者ヨハネス・ベッサリオン(1403年~)、コンスタンティノポリス生まれの哲学者、人文主義者ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン(1355年頃~1450/52年)ら、会議が開催されていたフェッラーラに到着。4日後コンスタンティノポリス総主教Iosephフェッラーラに到着。東西両教会の合同の討議を行なう(~1439年)。
1439年7月6日
フィレンツェ公会議で、オスマン・トルコに対抗するための西ヨーロッパからの支援を約束されたギリシア正教会側の妥協により、前日、東西両教会の合同案に署名がなされ、この日、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂前で公表される。
この公会議に出席したヨハネス・ベッサリオンゲオルギオス・ゲミストス・プレトンらギリシアの聖職者や学者たち、ギリシア語・ギリシア古典についてイタリア人に教示し、古典復活に大きく貢献。この後こうしたギリシアの学者・文人のイタリア移住、始まる。
1440年
コジモ・イル・ヴェッキオや彼を囲む文人、学者ら、前年のフィレンツェ公会議終了後もこの地に留まったゲオルギオス・ゲミストス・プレトンやその弟子・枢機卿ヨハネス・ベッサリオン(在位1439年12月~1472年)からプラトン哲学を知るなど強い刺激を受ける。コジモ・イル・ヴェッキオは以後プラトン学園の設立を構想。
1463年7月
ピウス2世、対オスマン・トルコ十字軍の結成に再び専心。
この月、枢機卿ヨハネス・ベッサリオンをヴェネツィアに派遣し、オスマン・トルコに対する公式の宣戦布告及びキリスト教諸国・諸権力者による十字軍への参加を促す。しかしヴェネツィアはいずれにも難色を示す。
1468年5月13日
ヨハネス・ベッサリオン、多数の蔵書(ギリシア語写本)をヴェネツィアの元老院に寄贈。Biblioteca Marcianaの基をなす。
1471年12月23日
シクストゥス4世、オスマン・トルコに対するキリスト教世界の防衛を説く使節を枢機卿の中から選んでヨーロッパ各国に送ることを決め、ヨハネス・ベッサリオンロドリゴ・ボルジアアンジェロ・カプラーニカ(1410年頃~1478年:在位1460年~1478年)、マルコ・バルボをこの任に当てる。さらに1471年12月末、各国に防衛の具体案を講ずるよう促す勅書を発する。但し、使節は翌1472年4月以降出発。
1472年11月18日
ヨハネス・ベッサリオンルイ11世のもとへの教皇使節からの帰途、ラヴェンナで死。
1469年
ヨハネス・ベッサリオンIn Caluminatorem Platonis(プラトンの曲解者へ)を、ローマConrad SweynheimArnold Pannartzの下で印刷刊行。

別表記

 ヨハンネス・ベッサリオン、ヨアニス・ヴィサリオン、Ioannes Bessarion

外部リンク

 ウィキペディア
 GCatholic.com
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『April Blood
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前