Leonor de Austria

レオノール・デ・アウストリア

生没:1498年11月15日~1558年2月25日
父:フェリペ1世
母:フアナ1世・デ・トラスタマラ
夫:マヌエル1世
  フランソワ1世

概要

 レオノール・デ・アウストリアは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1526年1月14日
マドリード協定:カール5世フランソワ1世は、カール5世はイングランドとフランスの提携、自分のイタリアにおける支配力の強化を恐れるイタリアの諸権力者、諸国のフランスへの傾斜を見て、フランスとの対立を回避するのを得策と考え、フランソワ1世は自分の身柄の解放を何よりも望んで、子息フランソワとアンリ(1519年~1559年:フランス王在位1547年~1559年)を人質として釈放されること、ミラノ、ナポリ、ジェノヴァ、フランドル、アルトワ、Tournai、ブルゴーニュなどの支配権ないしはその要求権をカール5世に委譲すること、カール5世の姉で前ポルトガル王故Manoel Iの後室レオノール・デ・アウストリア(1498年~1558年)と結婚することなどを協定。
カール5世のイタリア人重臣、法務卿Mercurino Arborio di Gattinaraフランソワ1世が自由の身となった時にこれを遵守するはずがなく、これはフランソワ1世をより恐るべき敵とするだけだとしてこれに署名することを拒否し、カール5世は1526年2月11日自らこれに署名。
この協定の報が伝わるに連れ、自由の身になればフランソワ1世はこの協定を守るはずがないと広く、とりわけイタリア各地で広く信じられる。
1529年8月5日
カンブレーの和(貴婦人の和):マルグリット・ドートリッシュルイーザ・ディ・サヴォイアは、カール5世フランソワ1世から巨額の身代金を得てその2人の子息を釈放すること、フランソワ1世はナポリ、ミラノ、アスティなどイタリア各地への継承請求権及びフランドル、アルトワ、TournayArrasへの継承請求権を放棄すること、カール5世はブルゴーニュを要求しないこと、フランソワ1世の同盟国ヴェネツィア、フィレンツェ、アルフォンソ1世・デステは4ヶ月以内にカール5世と和解すればこの和平に加えられること、フランソワ1世カール5世の姉レオノール・デ・アウストリアと結婚することなどを協定。
これにより、イタリアにおいてフランスの威勢は決定的に衰え、スペイン・ハプスブルク王家が決定的に優位を占める。
1530年7月7日
フランソワ1世、マドリード協定(1526年)及びカンブレーの和により、カール5世の姉レオノール・デ・アウストリアと結婚。
1533年10月13日
フランソワ1世、王妃レオノール・デ・アウストリアと2名の王子を初め200名に上る上級貴族を伴ってマルセイユに着く。
以後、クレメンス7世フランソワ1世、この地で秘密裡に会見を繰り返す。クレメンス7世フランソワ1世にミラノへの進出を認め、フランソワ1世クレメンス7世に自国での異端の撲滅を約束か?

別表記

 フランス語:エレオノール(Éléonore)
 ドイツ語:エレオノーレ(Eleonore)
 ポルトガル語:レオノーラ(Leonora)
 Eleonora von Habsburg

外部リンク

 ウィキペディア
 Find A Grave
 Genealogy.EU
 kleio.org

参考文献

 『カトリーヌ・ド・メディシス』
 『世界悪女大全』
 『ハプスブルク家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2006年5月4日以前