Lorenzo Giustini

ロレンツォ・ジュスティーニ

生没:~1487年11月13日

概要

 ロレンツォ・ジュスティーニは、15世紀頃のイタリアの男性、ジローラモ・リアリオの腹心の部下。

年表

1473年1月14日
ミラノでのジローラモ・リアリオカテリーナ・スフォルツァの結婚式に参列。
1477年11月
ナポリへ使節。
1477年9月
ペルージアの反逆者たちの裁判でロレンツォ・イル・マニーフィコを非難する主張を行う。
その後モントーネの包囲に向かった。
1478年2月14日
朝、ウルビーノ公宮殿小書斎で、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロと会合。グイドバルド・ダ・モンテフェルトロへのシクストゥス4世からの贈り物である首飾りを持参。
1478年3月27日
ヴァティカン宮殿で会合。出席者はジローラモ・リアリオ、ナポリ大使アネッロ・アルカモーネ、ウルビーノ公使アゴスティーノ・スタッコーリ及びピエロ・フェリーチ
1480年3月6日
アラゴン家の代表としてのイッポーリタ・ディ・フランチェスコ・スフォルツァと、ロレンツォ・イル・マニーフィコの代わりにナポリに留まったニッコロ・ミケロッツィの間で交わされた法的合意書を書いた。
1480年3月13日
フィレンツェ共和国とナポリ王国の協定書に代理人により署名がされる。フィレンツェ共和国の譲歩には、彼自身の死刑宣告の取消も含まれていた。彼を許すことで、ロレンツォ・イル・マニーフィコは自分の身の安全を守ったのである。しかし、シクストゥス4世ジローラモ・リアリオは、教会にとって不利な和平を成立させられてしまったため腹心の部下に裏切られたように感じる。
1487年11月13日
昔の敵の息子であるパオロ・ヴィテッリに決闘を申し込まれて殺される。首を切り落とされ、服を盗まれて、首のない裸の死体は地面に放置されたまま腐っていったという。

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

記載日

 2005年5月29日以前