Lorenzo il Popolano

ロレンツォ・イル・ポポラーノ

生没:1463年~1503年
父:ピエルフランチェスコ・デ・メディチ
母:ラウドミア・アッチャイウオリ
妻:セミラミーデ・ダッピアーノ
子:ピエルフランチェスコ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ
  アヴェラルド・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ
  ヴィンチェンツォ・デ・メディチ
  ジネヴラ・デ・メディチ
  ラウドミア・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ

概要

 ロレンツォ・デ・メディチは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

年表

1481年8月
セミラミーデ・ダッピアーノと婚約。
1482年7月19日
金曜日、セミラミーデ・ダッピアーノと結婚。
1494年夏~初秋
メディチ一族及びメディチ派有力貴族の内部にもナポリ支持政策に反対してピエロ・イル・ファトゥオから離反し、親フランスの動きを示す者が生じるなど、市民の間にメディチ支配を逃れようとの動き広まる。ピエロ・イル・ファトゥオは、この動きを促進している者として、ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(1430/1431年~1476/1477年)の子ロレンツォ・イル・ポポラーノ(1463年~1503年)とジョヴァンニ・イル・ポポラーノ(1467年~1498年)を市外に追放。両名はフランスに逃亡。
1494年11月
この頃、ピエロ・イル・ファトゥオによって追放されてシャルル8世の陣にいたロレンツォ・イル・ポポラーノジョヴァンニ・イル・ポポラーノが市内に戻り、反メディチ支配の気運なお高まる。
1503年
この年頃アメリゴ・ヴェスプッチ、自身の大航海に関する第5の書簡(ロレンツォ・イル・ポポラーノ宛)、通称Mundaus Novus(新世界)を刊行。
この中でアメリゴ・ヴェスプッチ、新大陸をアジアではなく新世界と呼ぶ。

別表記

 ロレンツィーノ

外部リンク

 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Genealogy.EU
 Wikipedia

参考文献

 『銀色のフィレンツェ』
 『フィレンツェ史』
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルネッサンス夜話』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

記載日

 2005年5月29日以前