Lorenzo Pucci

ロレンツォ・プッチ

生没:1458年8月18日~1531年9月16日
在位:枢機卿 1513年9月23日~
父:アントーニオ・プッチ
母:ピエラ・マネッティ

概要

 ロレンツォ・プッチは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

年表

1493年12月23日
ローマにて兄弟ジャンノッツォ・プッチ宛てに手紙をしたためる。

 アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿にローマの降誕祭へ招かれ、同行。馬でヴィテルボから、枢機卿の親類サヴェッリ家のリニャーノへ行き、公式に歓迎される。その後ローマへの旅を続ける途上で枢機卿と交わした内密の会話、ラウラ・ミリオラーティの結婚について。ピエロ・イル・ファトゥオは自身の娘をアストッレ3世・マンフレディに嫁がせることを望んでいるが、ファルネーゼ家ラウラ・ミリオラーティをと望んでいる。これは彼とフィレンツェ共和国双方に有利であり、教皇アレクサンデル6世との関係を深めることになると、枢機卿はピエロ・イル・ファトゥオを説得したいという。教皇とピエロ・イル・ファトゥオがお互いに納得の上だという風に事は運ばれるだろう。アレクサンデル6世ジューリア・ファルネーゼは同意するだろうし、アドリアーナ・デル・ミラの影響も期待できる。「猊下、教皇は娘をその紳士に与えるでしょう。その子はルクレツィア・ボルジアと同じように教皇の娘なのだと私は信じていますし、猊下の姪なのですから」「教皇の娘で、枢機卿の姪で、オルシーノ・ミリオラーティの想定上の娘である彼女に、教皇はヴァザネッロ近くの城を3つか4つ与えるつもりでおられる。加えて、枢機卿はおっしゃった。兄アンジェロ・ファルネーゼがもし相続者を持たないままでいたなら、この子が相続人となるだろう。兄にとって大切な彼女のことであるし、すでに兄はそのことを検討中だ。すなわち、この永続的な恩義のために、高名なピエロ・イル・ファトゥオは、枢機卿の援助を受けることになると」。ローマに弟プッチョ・ダントーニオ・プッチが来てくれれば、アドリアーナ・デル・ミラジューリア・ファルネーゼの影響力を通して、よい地位を得ることができるでしょうと、枢機卿にお願いしている。
1493年12月24日
ローマにてジャンノッツォ・プッチ宛てに手紙をしたためる。

 私のジャンノッツォ。昨晩私は上述のように書いた。降誕祭の前日の夜である今日、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿が晩課を行うためにヴァティカン宮殿に馬で向かうのに同行し、枢機卿が礼拝堂に入る前に、私はジューリア・ファルネーゼに会うためにサンタ・マリア・イン・ポルティコ宮殿を訪問した。私が伺った時、彼女はちょうど髪を洗い終えた後で、教皇の娘ルクレツィア・ボルジアアドリアーナ・デル・ミラと一緒に暖炉のそばに座っていた。私はお三方から心からの歓迎を受けた。ジューリア・ファルネーゼは私に隣に座るように言い、姉ジローラマ・ファルネーゼを家に連れてきたことを感謝し、また連れてきてくれるとうれしいとおっしゃった。アドリアーナ・デル・ミラは「カポディモンテとマルタに行くよりも、ここに来ることを禁じられているのは本当なの」と聞かれた。そんなことは何も知らないし、手紙で願われていたように、妻を連れてくることでジューリア・ファルネーゼが喜ぶならそれで私には十分で、これからは望んだようになるでしょうと答えました。適当と思うだけ姉と会うことを、その全ての機会に敏感なジューリア・ファルネーゼに任せたい。ジローラマ・ファルネーゼもそうであるように、姉の素晴らしさを見たいと思っているのですから。それについてジューリア・ファルネーゼは暖かく感謝し、幸福をもたらしてくれたとおっしゃった。それで、彼女が私のためにしてくださったことでどんなに恩義を受けているか、ジローラマ・ファルネーゼを連れてくる以上に謝意を表せることはないと言った。彼女はそんなつまらないことにお礼の必要はないとおっしゃった。もっとお力になればという彼女に、私はその時には彼女を訪ねるでしょうと。アドリアーナ・デル・ミラがそれに交じって、長官でもアントーニオ・プッチでも彼の代理人でもなく、ジューリア・ファルネーゼ自身に恩を売っておくことが有益なのだということをよくご存じなのでしょうと言われた。
 反論したりしないためにも、存じておりますと答え、再び感謝を示した。そこでジューリア・ファルネーゼプッチョ・ダントーニオ・プッチについてお聞きになり、「その内に大使としてここにやってくれば、努力にもかかわらずこれまで効果を得られなかったことが、それほど難しくなく成就させることができるでしょう」とおっしゃった。我々が旅中にしていた話を、昨夜枢機卿が持ちだしたことをおっしゃい、私に手紙を書くように強く勧められた。もし私が事を運ぶなら、高名なるピエロ・イル・ファトゥオは好意的になるとお考えなのだ。事はここまで進展している。その子と会ったが、すくすくと成長され、私には教皇に似ているように思われた。ジューリア・ファルネーゼはどういうわけか頑健になられ、最も美しくあられた。私の前で髪を下ろし、結われた。足まで届く長さで、これまで見たこともない最も美しい髪をお持ちだ。リネンのヘッド・ドレスの上から、金糸を編み込んだ空気のように軽いネットのようなものを着けていた。実際、太陽のように輝くのだよ。君がよく知りたがっていたことを自分の目で確かめられたらよかったのに。彼女はナポリで流行の裏打ちしたローブを纏っていて、ルクレツィア・ボルジアも同じ感じのものを着ていたが、着替えに出ていった。少し後に戻ってくると、紫のビロードを基調としたドレスだったよ。晩課が終わって枢機卿が出発する時、私は辞した。
1512年7月11日
ユリウス2世の使節として、ピエロ・ソデリーニの解任と神聖同盟への加盟を求めるユリウス2世の書簡を持ってフィレンツェに到着。
1513年9月23日
レオ10世により、枢機卿に任命される。

外部リンク

 Catholic-Hierarchy
 GCatholic.com
 IDLE SPECULATIONS
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2005年5月29日以前