Marguerite d'Autriche

マルグリット・ドートリッシュ

生没:1480年1月10日~1530年12月1日
在位:ネーデルラント総督 1507年~1515年
             1519年~1530年
    次代:マリア・フォン・ハプスブルク
父:マクシミリアン1世
母:マリー・ド・ブルゴーニュ
夫:シャルル8世
  フアン・デ・トラスタマラ
  フィリベルト2世・ディ・サヴォイア

概要

 マルグリット・ドートリッシュは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1482年12月23日
マクシミリアン1世ルイ11世によるブルゴーニュ公領(本領)とピカルディ地方の取得を認め、さらに、自分の娘マルグリット・ドートリッシュルイ11世の子シャルル8世と婚約させ、娘の婚資としてアルトワ、フランシュ=コンテをシャルル8世に与えることを認める(アラスの和約)。
1491年12月6日
シャルル8世マクシミリアン1世の抗議にも拘らず、その娘マルグリット・ドートリッシュとの婚約を破棄した上、1490年マクシミリアン1世が代理人誓約の形で結婚した相手のアンヌ・ド・ブルターニュとの結婚を強行し、ブルターニュ公領を事実上、併合。
しかしシャルル8世、この婚約破棄と結婚へのインノケンティウス8世の特別認可を得ることに難渋。但し、以後、姉アンヌ・ド・フランスの摂政(1483年~1491年)を排し親政を始める。
1493年5月23日
シャルル8世、イタリア侵攻態勢を固めるべくマクシミリアン1世とフランス中北部Senlisで協定を結び、マクシミリアン1世の娘マルグリット・ドートリッシュとの婚約破棄(1491年)に関連して婚資のArtois、フランシュ=コンテをマクシミリアン1世に返還。Senlis協定。
しかし以後この二つの領土を巡るフランス王室とハプスブルク家の対立、続く。
1497年4月
マクシミリアン1世の娘マルグリット・ドートリッシュフェルナンド2世・デ・アラゴンイサベル1世・デ・カスティーリャの子フアン・デ・トラスタマラ(1478年~1497年)、結婚。但し数ヵ月後フアン・デ・トラスタマラ死。
前年に続く政略結婚によって、マクシミリアン1世は、家領を拡大しハプスブルク家の基盤を固め続ける。
1508年12月10日
カンブレー同盟:ユリウス2世の呼びかけでマクシミリアン1世ルイ12世、それぞれ代理として娘マルグリット・ドートリッシュ、宰相ジョルジュ・ダンボワーズをカンブレーに送り、表向き対オスマン・トルコを装って対ヴェネツィア同盟を締結。
後にフェルナンド2世・デ・アラゴン、イングランド王ヘンリー7世、ハンガリー王ウラースロー2世・ヤギェウォフェッラーラアルフォンソ1世・デステ、マントヴァ候フランチェスコ2世・ゴンザーガ、サヴォイア公カルロ2世も加盟。ユリウス2世は翌1509年ようやく正式に加盟。
1515年3月~1515年4月
イタリア侵攻、ミラノ奪還を企図して軍を大幅に増強、結集しながら、1515年3月24日、1515年1月5日より叔母マルグリット・ドートリッシュの後見を排して独立したネーデルラントの君主カール5世(在位1506年~)と、1515年4月5日、ヘンリー8世とそれぞれ協定して背後を固める。
1529年7月7日
この日頃、カール5世の叔母、かつての後見人マルグリット・ドートリッシュ(1480年~1530年:ネーデルラント総督在位1507年~1515年、1519年~1530年)とフランソワ1世の母ルイーザ・ディ・サヴォイア、それぞれカンブレーに着き、直ちに和平交渉に入る。
1529年8月5日
カンブレーの和(貴婦人の和):マルグリット・ドートリッシュルイーザ・ディ・サヴォイアは、カール5世フランソワ1世から巨額の身代金を得てその2人の子息を釈放すること、フランソワ1世はナポリ、ミラノ、アスティなどイタリア各地への継承請求権及びフランドル、アルトワ、TournayArrasへの継承請求権を放棄すること、カール5世はブルゴーニュを要求しないこと、フランソワ1世の同盟国ヴェネツィア、フィレンツェ、アルフォンソ1世・デステは4ヶ月以内にカール5世と和解すればこの和平に加えられること、フランソワ1世カール5世の姉レオノール・デ・アウストリアと結婚することなどを協定。
これにより、イタリアにおいてフランスの威勢は決定的に衰え、スペイン・ハプスブルク王家が決定的に優位を占める。
1530年12月1日
カール5世の叔母・ネーデルラント総督マルグリット・ドートリッシュ死(1480年~1530年:ネーデルラント総督在位1507年~1515年、1519年~1530年)。

別表記

 マリア、マルゴット、Margarete von HabsburgMaria
 フランス語:マルグリット・ドートリッシュ(Marguerite d'Autriche)
 スペイン語:マルガリータ・デ・アウストリア(Margarita de Austria)
 イタリア語:マルゲリータ・ダウストリア(Margherita d'Austria)
 オランダ語:マルハレータ・ファン・オーステンレイク(Margaretha van Oostenrijk)
 ドイツ語:マルガレーテ・フォン・エスターライヒ(Margarete von Österreich)

外部リンク

 ウィキペディア
 Find A Grave
 Genealogy.EU
 kleio.org
 Treccani.it

参考文献

 『イタリア史』
 『ハプスブルク家』
 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

記載日

 2006年10月27日以前