マリーア・エンリケス

María Enríquez

マリーア・エンリケス

生没年:1474年~1539年
父:エンリケ・エンリケス
母:マリーア・デ・ルナ
夫:フアン・ボルジア
子:フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケス
  イサベル・デ・ボルハ

概要

 マリーア・エンリケスは、15世紀~16世紀の女性。

年表

1493年6月末
フェッランテ・ダラゴーナ、次男フェデリーコ・ダラゴーナ(1451年~1504年)をローマに送り、シャルル8世の側からのアレクサンデル6世への工作を阻みつつアレクサンデル6世を自分の側に引き寄せるべく硬軟両様の工作を始める。その一環として子アルフォンソ2世・ダラゴーナの庶出の娘サンチャ・ダラゴーナ(1478年~?)とアレクサンデル6世の末子ホフレ・ボルジア(1481年頃~1516/1517年)との結婚をも提案。
この頃フェルディナンド・ダラゴーナ、自分の叔父の娘、寡婦マリーア・エンリケスアレクサンデル6世の子、ガンディア公フアン・ボルジア(1476年~1497年:在位1488年~1497年)との結婚を提案。
1493年8月24日
フアン・ボルジアマリーア・エンリケスの結婚式、バルセロナでフェルディナンド・ダラゴーナイサベル1世・デ・トラスタマラ両王の出席のもと盛大に挙行される。
1497年9月27日
法廷に出廷し、ヴァレンシア総督ルイス・デ・カバイネレスの前で、故フアン・ボルジアの領土であるガンディア、ナポリ王国のセッサ、テアーノ、カリーノラ、モンテフォスコリの正統な相続者として子フアン・デ・ボルハ・イ・エンリケスが認可されるよう願い出、受容される。
1498年12月19日
フアン・ボルジアローマの家の財産も要求していたが、この日、アレクサンデル6世により、甥のために管理するとしてチェーザレ・ボルジアに委譲されるという公文書がカミッロ・ベネイムベネの手で作成される。

チェーザレ・ボルジア数

 夫フアン・ボルジア→きょうだいチェーザレ・ボルジア

別表記

 Maria d'Aragona

外部リンク

 世界帝王事典
 そらのお城
 Apellido Bermúdez de Castro
 JDA's Family Tree
 THE BORGIAS wiki
 Viquipèdia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2006年5月9日以前
エンリケス家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで