Maria Gondi

マリーア・ゴンディ

生没:1530年頃~1580年5月
没地:ラッコニージ
父:アントーニオ・ゴンディ
母:マリー・カトリーヌ・ド・ピエルヴィーヴ
夫:ニコラ・グリエ
  クラウディオ・ディ・サヴォイア
子:イザベッラ・グリエ
  フィリッポ・グリエ
  マリーア・グリエ
  カルロ・マッシミリアーノ・グリエ

概要

 マリーア・ゴンディは、16世紀~17世紀のイタリアの女性。

年表

1530年頃
生(1542年、1543年)。
1551年7月18日
ブロワ城にて、ニコラ・グリエと結婚式を挙げる。後のフランス王フランソワ2世と妻メアリー・スチュアートも列席。
155?年
フランス宮廷に入り、フランソワ1世の娘マグリット・ド・ヴァロワ付き侍女となる。
155?年
イザベッラ・グリエを出産(1551年)。
1554年
フィリッポ・グリエを出産。
1555年
マリーア・グリエを出産。
1557年6月
マリーア・ゴンディが5人目の子を身ごもっている時、夫ニコラ・グリエ、死。
1558年
5人目の子カルロ・マッシミリアーノ・グリエを出産。
1559年7月10日
マグリット・ド・ヴァロワエマヌエレ・フィリベルト・ディ・サヴォイアと結婚。
結婚式に後に夫となるクラウディオ・ディ・サヴォイアも列席。
マリーア・ゴンディはピエモンテマグリット・ド・ヴァロワに供せず。
1562年
カルロ・エマヌエレ1世・ディ・サヴォイアを出産後のマグリット・ド・ヴァロワエマヌエレ・フィリベルト・ディ・サヴォイアが、フォッサーノに引っ越す。
1562年8月
マリーア・ゴンディがピエモンテに到着。
マグリット・ド・ヴァロワの第一侍女として、サヴォイア宮廷に入る。
1562年
フォッサーノ到着。
156?年
クラウディオ・ディ・サヴォイアピエモンテに到着して数か月後、彼と結婚(1576年以降)。以後ピエモンテに住み続ける。
1563年
この年には、カルロ・エマヌエレ1世・ディ・サヴォイアの後見人となる。
1574年
マグリット・ド・ヴァロワエマヌエレ・フィリベルト・ディ・サヴォイアが人事異動を行い、息子カルロ・エマヌエレ1世・ディ・サヴォイアのために新宮廷を作る。マリーア・ゴンディはその新宮廷の官長を任せられる。
1576年8月30日
遺言書を作成。
1580年5月
おそらくラッコニージにて、死(1603年2月)。

備考

 塩野七生著『愛の年代記』収録の『エメラルド色の海』にて、マグリット・ド・ヴァロワの代わりにウルグ・アリに会ったのは、このマリーア・ゴンディではなく、フィリッポ・ディ・サヴォイア=ラッコニージの妻パオラ・コスタである。
 1560年6月にマリーア・ゴンディはまだサヴォイア宮廷にはいなかったが、パオラ・コスタは1560年春にニースにおり、『Histoire généalogique del Guichenon』に「dama di Racconigi」との記載があり、当時のmadama di Racconigiとはパオラ・コスタのことであるから、間違いないようである。

別表記

 ピアンカリエリ伯爵夫人マリア・デ・ゴンディ

外部リンク

 Geneanet
 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE
 Treccani

参考文献

 『愛の年代記』

記載日

 2006年10月27日以前