Maria de Habsburgo

マリア・デ・アブスブルゴ

生没:1528年~1603年
父:カール5世
母:イサベル・デ・アヴィシュ
夫:マクシミリアン2世
子:アナ・デ・アウストリア
  ルドルフ2世
  マチアス

概要

 マリア・デ・アブスブルゴは、16世紀~17世紀の女性。

年表

1544年9月18日
クレピーの和:カール5世ヘンリー8世両軍によるパリ攻撃・占領の危険を感ずるフランソワ1世と、前進・撤退いずれの策も自軍の大損害を招くと見たカール5世、クレピーで和約し、(1)フランソワ1世の第三子OrléansCharlesd'Orléans:1522年~:在位1536年~)はカール5世の娘マリア・デ・アブスブルゴ(1528年~1603年)と結婚し婚資としてネーデルラントを得るか、フェルディナンドの娘Annavon Österreich:1528年~1590年)と結婚し婚資としてミラノを得る、(2)フランソワ1世ミラノナポリ及びフランドル、アルトワへの継承請求権を放棄する、(3)カール5世はピエモンテ、サヴォイアを、フランソワ1世はブーローニュをそれぞれ返還する、(4)両者は共にオスマン・トルコに対抗する、(5)宗教の再統合のために公会議の開催を促進し、カール5世はドイツ・プロテスタントといかなる同盟も結ばない、ことを約定(第4次カール5世フランソワ1世戦争終結(1542年~))。
ヘンリー8世、この和約を受容しながらも、約定の前に占領したことを理由にブーローニュ占領を解かず、フランソワ1世軍に対する戦闘を続行。
しかしこの和により、カール5世は西ヨーロッパで圧倒的な優位を、とりわけイタリアで決定的優位を占め、領内ドイツでのプロテスタントとの対決に専心可能となり、フランソワ1世はドイツ・プロテスタント諸侯との同盟の必要性から解放されたことに伴い、パウルス3世はこの両者から協力を得られることになってトレント公会議開催の主たる障害から解放される。
1548年9月
帝国の相続問題を懸念するカール5世、長女マリア・デ・アブスブルゴと弟フェルディナンドの長子マクシミリアン2世(1527年~1576年:ハンガリー王Maximilian I在位1563年~1576年:神聖ローマ皇帝在位1564年~1576年)の結婚式を、自身も列席してマドリードで盛大に挙げさせる。

別表記

 Maria von Habsburg

外部リンク

 ウィキペディア
 Find A Grave
 Genealogy.EU
 The Medici Archive Project

参考文献

 『メディチ家の人びと』
 『ハプスブルク家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2006年5月9日以前