Marsilio Ficino

マルシリオ・フィチーノ

生没:1433年10月19日~1499年10月1日
出身:フィリーネ・ヴァルダルノ

概要

 マルシリオ・フィチーノは、15世紀のイタリアの男性、哲学者、人文主義者。

著作

 プラトン神学
 愛について
 弁明
 三重の生について
 キリスト教論
 フェッランテ王に宛てたアルフォンソ王の予言

翻訳

 エネアデス

年表

1433年10月19日
フィレンツェ近郊フィリーネ・ヴァルダルノに誕生。(1433年10月9日)
1456年
フェッラーラ・フィレンツェ公会議(1438年~1439年)に出席したギリシアの人文主義者Ioannes Argyropoulos(1415年頃~1487年)をフィレンツェ大学及び自分の息子らの師として招いたコジモ・イル・ヴェッキオ、公会議後に着想を得た哲学及び哲学的討論に関心を抱く有能な若者たちの集いアカデミア・プラトニカの実現に向かう。自分の侍医の息子で1451年頃からプラトン哲学を学ばせておいた最も有能な23歳の青年マルシリオ・フィチーノをその中心メンバーと想定。
1459年
この頃、コジモ・イル・ヴェッキオ、マルシリオ・フィチーノにプラトンの著作のラテン語への翻訳、註解を指示し、そのための支援を始める。
1462年
コジモ・イル・ヴェッキオは、マルシリオ・フィチーノにプラトンの著作のラテン語への翻訳・註解の場としてカレッジの自分の別荘を提供。プラトン・アカデミーは、以後この別荘でマルシリオ・フィチーノを中心に発展。
1463年4月
『ヘルメス文書』をラテン語に翻訳。(1471年刊行)。
1469年
プラトンの『饗宴』への注釈を完了。
1470年
この年頃、プラトンの著作(対話篇)のラテン語訳を完成。1484年以降刊。
1474年
キリスト教論』を執筆。(1476年刊)。
1482年11月25日
プラトン神学』をフィレンツェで刊行。
1489年12月3日
医学・神学論『三重の生について』をフィレンツェで刊行し、ロレンツォ・イル・マニーフィコに献呈。
1490年1月
この月?、ミケランジェロロレンツォ・イル・マニーフィコに招かれてメディチ宮殿に住み(1490年~1492年)、Bertoldo di Giovanniに彫刻を学び始める。以後ここでマルシリオ・フィチーノ、アンジェロ・ポリツィアーノジョヴァンニ・ピコらと交流。
1492年5月7日
この日までにギリシア哲学者プロティノス(205年頃~79年)の作品の翻訳をフィレンツェで印刷。
1499年10月1日
フィレンツェ郊外カレッジのメディチ家別荘で死。

肖像

 洗礼者ヨハネの生涯
 マルシリオ・フィチーノの胸像

別表記

 マルシーリオ・フィツィーノ、マルシリオフィチーノ

外部リンク

 ウィキペディア
 フィチーノ研究のラウンジ
 早稲田大学図書館
 魔術人名録
 Renaissance Astrology
 Treccani.it

参考文献

 『イコノロジー研究
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『君主論』
 『世界大百科事典』
 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
 『フィレンツェ史』
 『マキアヴェリ』
 『メディチ家』
 『メディチ家の人びと』
 『ルネッサンスの光と闇』
 『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンスの歴史』
 『ルネサンスとは何であったか』
 『ルネッサンス夜話』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年5月29日以前