Matthias Corvinus

マティアス・コルヴィヌス

生没:1440年~1490年
在位:ハンガリー王 1458年~1490年
    先代:ラディスラウス・ポストゥムス
    次代:ウラースロー2世・ヤギェウォ
父:フンヤディ
妻:ベアトリーチェ・ダラゴーナ

概要

 マティアス・コルヴィヌスは、15世紀の男性、ハンガリー王。

年表

1458年1月24日
フンヤディの次男マティアス・コルヴィヌス(1440/1443年~1490年)、ハンガリー議会によりハンガリー王に選出される(在位1458年~1490年)。
1463年7月24日
ピウス2世、対オスマン・トルコの一環としてハンガリーの内紛を調停し、マティアス・コルヴィヌスを終身王とする和を結ばせる。
1469年5月3日
ハンガリー王マティアス・コルヴィヌス、ボヘミア王Jiřìz Podĕbradに反抗する大領主、カトリック貴族に推されてボヘミア王と宣言し、Jiřìz Podĕbradに対抗。両者の争い、後者の死まで続く(1469年~1471)。
1471年3月22日
Jiřìz Podĕbrad死(1420年~:在位1458年~)——1471年3月27日ポーランド王Kazimierz IVの長子Władysław、ボヘミア王Vladislav IIとして即位(在位~1516年)。
Jiřìz Podĕbradに反抗する大領主、カトリック貴族によりボヘミア王に推され(1469年)て以来Jiřìz Podĕbradと争ってきたハンガリー王マティアス・コルヴィヌス、以後、Vladislav IIと争いを続ける。
1478年12月7日
Vladislav IIマティアス・コルヴィヌス、共にボヘミア王であることを認め合う和約をボヘミアのオロモウツで締結。マティアス・コルヴィヌスはモラヴァ、シレジア及びラウジッツを得る。
1485年6月1日
ハンガリー王・ボヘミア王マティアス・コルヴィヌス1477年から繰り返し攻撃してきたウィーンを含むオーストリアの大部分をついに攻略し、ハプスブルク家から奪ってハンガリーに併合。
1490年4月4/6日
マティアス・コルヴィヌス、後継者を残さず死(1440/1443年~1490年:ハンガリー王在位1458年~1490年:ボヘミア(共同)王在位1469(1478年)年~1490年)。ボヘミア(共同)王Vladislav IIウラースロー2世・ヤギェウォとしてハンガリー王に即位。
1490年8月29日
マクシミリアン1世、前ハンガリー王マティアス・コルヴィヌスに奪われたオーストリアの領土を奪還。

別表記

 マーチャーシュ、Hunyadi MátyásMátyás I CorvinusMattia

外部リンク

 ウィキペディア
 Famille de Carné
 Genealogy.EU

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『世界大百科事典』
 『戦闘技術の歴史2 中世編』
 『血の伯爵夫人エリザベート・バートリ』
 『ハプスブルク家』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス精神の深層』
 『ルネサンス百科事典』
 『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』

記載日

 2005年5月29日以前