Orazio Baglioni

オラーツィオ・バリオーニ

生没:1493年頃~1528年5月22日
出身:ペルージア
父:ジャンパオロ・バリオーニ
妻:フランチェスカ・ペトルッチ

概要

 オラーツィオ・バリオーニはイタリアの傭兵隊長。

年表

1521年12月上旬~下旬
レオ10世の死の報に彼に押さえられていた者たちの反抗始まる:アルフォンソ1世・デステは奪われた諸領地を回復し、ロートレック子爵オデ・ド・フォワは教皇総督フランチェスコ・グィッチャルディーニ配下のパルマを攻撃して撃退され、フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレは1521年12月23日ウルビーノを奪回し、ペーザロ、カメリーノを制圧した上、レオ10世に追放されていた故ジャンパオロ・バリオーニの子マラテスタ・バリオーニ(1491年~1531年)、オラーツィオ・バリオーニ(1493年頃~1528年)と共にフィレンツェ軍の守備するペルージアに迫る。
1522年1月4日~1522年1月5日
フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレと共にペルージアに迫っていたマラテスタ・バリオーニ、、オラーツィオ・バリオーニ兄弟は、ペルージアに復帰し支配。ジェンティーレ・バリオーニは逃亡。
フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレは引き続きシエナに進軍し、その政体変更を迫るが、ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ指揮のフィレンツェ軍に撃退される。フィレンツェ軍はジェンティーレ・バリオーニを伴ってペルージア奪回に向かう。
1528年5月22日
この頃までに度重なる戦闘ですでに兵士の3分の1を失っていたフィレンツェ軍(Bande Nere)の指揮官オラーツィオ・バリオーニ、戦死。
1528年
この頃?、フィレンツェは、前年6月の協定に従い援軍を派遣せよとのオデ・ド・フォワの求めに応じて、そのナポリ攻撃にオラーツィオ・バリオーニ指揮の小軍(Bande Nere)を派遣することに決める。

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Geni.com
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史Ⅴ』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

記載日

 2006年10月27日以前