オルシーノ・ミリオラーティ

Orsino Migliorati

オルシーノ・ミリオラーティ

生没年:1473年~1500年
在位:ヴァザネッロの君主
父:ルドヴィーコ・ミリオラーティ
母:アドリアーナ・デル・ミラ
妻:ジューリア・ファルネーゼ
子:ラウラ・ミリオラーティ

概要

 オルシーノ・ミリオラーティは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。オルシーニ姓を名乗っていたらしく、オルソ・オルシーニ、オルシーノ・オルシーニと表記されることが多い。ジューリア・ファルネーゼの夫。

容姿

 斜視。

年表

1489年5月20日
ボルジア宮殿(現スフォルツァ・チェザリーニ宮殿)の星の間でジューリア・ファルネーゼと婚姻契約。証人は、アンジェロ・ファルネーゼニコラ・カエターニ、教皇庁首席書記官ヤコポ・カエターニ、その他高位聖職者、ローマの貴族ら。婚姻契約書は公証人カミッロ・ベネイムベネによって書かれ、教皇庁副尚書院長ロドリゴ・ボルジア枢機卿が第1証人で、持参金は3千フィオリーノ。
1489年5月21日
ジューリア・ファルネーゼと結婚。ボルジア宮殿で行われたこの式には、ロドリゴ・ボルジア、サンタ・マリア・イン・ポルティコの枢機卿ジョヴァンニ・バッティスタ・ゼノジョヴァンニ・バッティスタ・オルシーニ枢機卿、フィレンツェ大司教リナルド・オルシーニ、その他の高位聖職者、商人、オルシーニ、ボルジア各家の親類などが列席。
1493年
この頃?、サンタ・マリア・イン・ポルティコ宮殿に妻ジューリア・ファルネーゼが移り住むが、自らは教皇アレクサンデル6世から与えられたヴァザネッロの城で暮らしていた。
1494年9月初め
部隊と共にウンブリアに移動し、カラブリア公フェッランディーノ・ダラゴーナのアラゴン陣営に合流すべしとの指令が出される。アレクサンデル6世ジューリア・ファルネーゼローマに呼び寄せようとしていることを知り、チッタ・ディ・カステッロで病気を口実にしてヴァザネッロに引き返す。
1494年10月初旬
ジューリア・ファルネーゼカポディモンテから去らせてヴァザネッロに呼び寄せようとし、それができないなら、たとえ全財産を失い、何度命を落としてでも、世界中を醜聞で満たしてやる、とまで言う。
1494年
少数の手勢を率いてカポディモンテに駆けつけ、自分の妻ジューリア・ファルネーゼを当然の権利として取り戻すことができたはずであるが、そうはせず、事を投げ出した姿勢を見せる。
1494年11月28日
アレクサンデル6世に、部隊への給与支払いを理由として高額の金を要求。
1500年
眠っていたところ、天井の落下にて死。

チェーザレ・ボルジア数

 母アドリアーナ・デル・ミラ→父ペレ・デル・ミラ→母カテリーナ・デ・ボルハ→きょうだいイザベッラ・デ・ボルハ→子アレクサンデル6世→子チェーザレ・ボルジア

異名

 片目のオルシーノ

別表記

 オルソ・オルシーニ、オルシーノ・オルシーニ、Orso Orsini

外部リンク

 世界帝王事典
 Famille de Carné
 Geneanet
 JDA's Family Tree
 RootsWeb.com
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『Lucretia Borgia

記載日

 2006年10月27日以前
ミリオラーティ家
歴史人物辞典
そこそこアレな感じで