Ottaviano Fregoso

オッタヴィアーノ・フレゴーソ

生没:1470年~1524年
出身:ジェノヴァ
没地:イスキア
在位:ジェノヴァのドージェ 1513年6月17日~1515年9月7日
父:アゴスティーノ・フレゴーソ
母:ジェンティーレ・ダ・モンテフェルトロ
子:アウレーリオ1世・フレゴーソ

概要

 オッタヴィアーノ・フレゴーソは、15世紀~16世紀のイタリアの男性。

年表

1502年9月末~10月9日
叔父グイドバルド・ダ・モンテフェルトロの代理として、マジョーネの会合に出席。
1502年10月9日
マジョーネの会合、反ボルジア一族で共同行動を取ることなどを約定、攻守同盟を締結(1502年10月8日)。
1502年11月前半
グイドバルド・ダ・モンテフェルトロの代理としてチェーザレ・ボルジアと安全保障を交渉。カルマッツォでの捕虜の交換などが決まる。
1513年6月17日
オッタヴィアーノ・フレゴーソ、ライモンド・ディ・カルドーナから与えられた軍を率いてジェノヴァに入り、ルイ12世の総督Antoniotto Adornoを追放してドージェに就任。
1515年
この頃?、レオ10世の強い支持を得て対フランス同盟側についていたジェノヴァのドージェ・オッタヴィアーノ・フレゴーソ、フランソワ1世によるイタリア侵攻軍の目覚しい強化、結集に怯えて彼と秘密裡に協定を結ぶが、すぐ露見。
傭兵隊長プロスペロ・コロンナ指揮のミラノ軍が、スイス連邦軍と共にジェノヴァ攻撃に向かうが、オッタヴィアーノ・フレゴーソの訴えを受け入れたレオ10世に制止される。
1515年8月
フランソワ1世、大軍を率いてCol d'Argentièreからアルプスを越えイタリアに侵攻。サヴォーナを海から攻めて制圧し、ジェノヴァを押さえ、トルトーナ、アレッサンドリア、アスティなどを占領。
オッタヴィアーノ・フレゴーソは、彼に忠誠を誓い、その総督としてジェノヴァを統治。
フランソワ1世軍の侵攻と同時にバルトロメオ・ダルヴィアーノ指揮のヴェネツィア軍もロンバルディアに出撃。マントヴァ、クレモーナを制圧しフランソワ1世の名で占領。
1521年5月20日
フランソワ1世Navarra攻撃に対してPampelona城塞を守備していたイグナティウス・デ・ロヨラが負傷。その療養中、回心し、「神の騎士」となることを期する。
この頃?、レオ10世は、フランソワ1世のジェノヴァ支配を打倒すべく、ジェノヴァから追放されているアドルノ家などにカール5世から借りた軍を与えてジェノヴァを攻撃させるが、攻撃を察知して防備を固めていたオッタヴィアーノ・フレゴーソ指揮の軍に撃退される。

別表記

 Ottaviano di CampofregosoOttaviano Fregioso

外部リンク

 Genealogy.EU
 Malta Genealogy
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『Lucretia Borgia
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2006年10月7日以前