Ottaviano Riario

オッタヴィアーノ・リアリオ

生没:1479年9月~1533年
在位:イーモラフォルリの君主 1488年~1499年
    先代:ジローラモ・リアリオ
    次代:チェーザレ・ボルジア
父:ジローラモ・リアリオ
母:カテリーナ・スフォルツァ

概要

 オッタヴィアーノ・リアリオは、15世紀~16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

年表

1488年4月14/15日
圧政により民衆の憎悪、怨恨の的ともなっていたジローラモ・リアリオは、自身の役人チェッコ・オルシら3名の主導により殺害される(1443年~1488年:イーモラの君主在位1473年~1488年:フォルリの君主在位1480年~1488年)。妻カテリーナ・スフォルツァ、持ち前の勇猛心と機転を発揮し、かつルドヴィーコ・イル・モーロからも援軍を得て城塞を叛徒から守り、1488年4月25日幼子オッタヴィアーノ・リアリオフォルリとイーモラを継承させて自らはその摂政となり、支配権を掌握。
1495年8月27日
カテリーナ・スフォルツァの事実上の夫ヤコポ・フェオが、彼女と亡父ジローラモ・リアリオとの子オッタヴィアーノ・リアリオの重臣たちに殺害される(1471/1472年頃~)。
1498年6月9日
ルドヴィーコ・イル・モーロの意を繋ぎ留めておくため、その姪カテリーナ・スフォルツァの子オッタヴィアーノ・リアリオをも傭兵隊長として雇う。
1499年
この頃?、アレクサンデル6世、イーモラとフォルリの君主カテリーナ・スフォルツァとその子オッタヴィアーノ・リアリオなどロマーニャの都市の君主たちを破門し、その教皇代理としての正統性を否認し、かつその追放を訴える小勅書を発して、チェーザレ・ボルジアロマーニャ攻略に名分を与え、正統化。
1499年6月末
傭兵隊長オッタヴィアーノ・リアリオは、その雇傭契約の更新を拒否。

別表記

 オッタヴィオ・リアリオ

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『世界悪女大全』
 『フィレンツェ史』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネサンスの女たち』
 『Dizionario di Erudizione Storico-Ecclesiastica
 『The Life of Cesare Borgia

記載日

 2005年10月1日以前